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とても簡単な「人生の魔術」

たとえばお天気のいい素晴らしい日、外は人混みでセントラルパークも見えなくなる。
でも日曜の朝、すごい雨だとだれも起きたくないし、もし起きていても外になんか出たくない。そういう時に、1人だけ外に出て歩き回るとストリートは自分だけのものという贅沢な気分を味わえる。この実感は素晴らしい。

           (アンディ・ウォーホル「ぼくの哲学」より)

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共産主義と反共思想を3行で論じる

娯楽記事(ヨタ話)中心の私の別ブログに、そのブログの主旨と真逆に載せた政治思想の短文だが、それほど感心した文章だということだ。世界の9割の人間は、この本質を知らないままで共産主義を論じている。

(以下引用)

アホコメントやキチガイコメントの多い「はてな匿名ダイアリー」だが、このコメントには感心した。共産主義と反共思想のどちらも正確に理解している。たった3行で、世界(日本)の無数の人が混迷と誤解に陥っている難問に見事に答えている。

(以下引用)

共産主義は経済のあり方だが計画経済と再配分のため巨大な官僚機構と権力集中が必要であり権威主義化する傾向がある。ただ、我が国で危険視されるのはその理由からではなく既得権益層の地位を脅かす思想だから。

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現代宇宙物理学は「七面鳥科学者」の学説である可能性

私は「反証可能性」という概念の説明を読んだことが無いので、それがどういうものか漠然と自己流解釈していたが、下の説明によると「反証の可能性を容認すること」と言えそうだ。つまり、ある学説に反する事例の存在証明を容認することの意味かと思う。ガリレオの時代の科学者(あるいは宗教家)が地動説の可能性を絶対的に認めなかったのは「反証可能性の否定」だったわけで、それは天動説が科学ではなくイデオロギーになっていたということだろう。さて、現在の、たとえばアインシュタイン的宇宙論はその説への「反証可能性」を認めているだろうか。「進化論」については、それを疑問視する科学者がかなり多くなっている雰囲気はあるようだ。

(以下引用)
いとまの丸焼き@ItomaRR

@Account_KS_1 SF作品『三体』に出てくる「農場主仮説」を思い出しました。 農場主が観測以来ずっと毎朝同じ時間に餌をくれるのを発見した七面鳥界の科学者は「宇宙の法則」を発見したと確信していたが、ある日餌は出てこず七面鳥は皆出荷されてしまった。 我々の知る「宇宙の法則」ももしかしたら…?という思考実験


2023-08-14 13:36:22
いとまの丸焼き@ItomaRR

@Account_KS_1 反射的に趣味のSFの話でリプライしてしまいましたが……こちら本質的には科学哲学の話ですね ポパーが科学の定義として「再現性」に加えて「反証可能性」を追加した理由がこれです。 我々は「必ず塩は溶ける」と断定することはできませんが、「溶けないこともあるかも」という批判の余地を残すわけです pic.twitter.com/46QNBdlyNj


2023-08-14 16:00:03

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「努力は必ず報われる」か

まあ、努力が必要なところは多々あるだろうが、「努力万能思想」は危険性が高すぎる。100人いれば、1人が勝者で99人は敗者というのがスポーツの世界で、負けた残り99人は努力していなかったのか、という話だ。
私のように、「全員が怠けて楽しく過ごせれば天国じゃね?」というのも問題だろうが、努力絶対思想は少なくとも子供の多く(たぶん99%くらい)を精神的に痛めつけていると思う。ちなみに、親から相続したカネがあれば努力ゼロでも支配層になれるのが資本主義社会である。

(以下引用)

「努力は必ず報われる」発言で炎上した池江璃花子選手、今大会で準決勝敗退「これまでの努力はなんだったんだろう」「頑張った分、無駄だったのかな」と発言

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池江璃花子 池江璃花子 競泳女子 パリ五輪 準決勝敗退 努力 がんばった分に関連した画像-01
■過去記事
水泳選手「努力は必ず報われる」←これを発言しただけで炎上
池江璃花子「これまでの努力は何だったんだろう。何でだろう」でも心は折れていない:中日新聞Web

池江璃花子 池江璃花子 競泳女子 パリ五輪 準決勝敗退 努力 がんばった分に関連した画像-02

<以下要約>

パリ五輪競泳女子100メートルバタフライ準決勝に臨んだ池江璃花子選手

復帰後、初の五輪の個人種目だったが、決勝進出を逃した。

プールを上がり「これまでの努力は何だったんだろう。何でだろう」と声を絞り出した。

同じ組で泳いだ8人中6位に終わると、会場の端に座り込み、タオルで目をぬぐった。

以下、全文を読む
【競泳】池江璃花子が号泣「頑張ってきた分、無駄だったのかな…」 100mバタ準決敗退(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

池江璃花子 池江璃花子 競泳女子 パリ五輪 準決勝敗退 努力 がんばった分に関連した画像-03

<以下要約>

決勝進出はならなかった池江璃花子。

レース後の池江は「正直、頑張ってきた分、無駄だったのかなって…。

そういうレースでした」と目に涙。最後は勝負なので…勝負の世界なので。

勝てなきゃ意味ないですし。本当に、自分の力を出し切れずに終わってしまったし…」

以下、全文を読む

<この記事への反応>

意味のない努力だよ

努力はあんまり報われないって国民に伝わったぞ

努力しても大抵は無駄に終わるからな

運と才能が伴わないとな

1回負けただけでここまで落ち込むってヤバいだろ

足らぬ足らぬは努力が足らぬ

単なる努力不足だろ
甘えるな


3年間意味なかったな
無駄だった


安心してください
コネでスポーツキャスターになれますよ


なんかその考え方って傲慢な気がする
それが自分に向いてるだけならいいけど


無駄だったな
意味もなかった


今まで無双してきたやつが落ちぶれちゃうと見てられないな
五輪に出られるだけで凄いんだよ


水泳のイメージを悪くした感じがする

本人がそう思うんならそうなんでしょうね

意味無いわけ無い
病気から復帰してここまで成果出したのは同じ病気患ってる人に光を与えてくれたよ
良くやったよ 次も頑張れ


努力が足りないもっと努力しろw

なんかプライドというか努力意識が高い人って心配になるわ

努力が足りないんだろ
皆もっと頑張ってるぞ

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「努力万能主義」の発生機序

小島(児島だったか?)アジ子さんという漫画家が、某ドラえもん映画について書いた批判的論評(当人はかなりのドラえもんマニアらしい)の一部で、教育論、社会心理論として面白い。

(以下引用)二つめの赤字は夢人による強調。この指摘は非常に面白い。なぜ、「努力万能論」「努力全肯定論」が人間社会にはびこっているか(そのために膨大な不幸をも作り出している。)を見事に説明している。これに近い現象として、「人間は〇ふたつの下に一本線があるのを見ると、それを人間の顔と認識する」というのがある。つまり、或る種の警戒本能の結果だろうが、それは「認識のバグ」でもある。(面白いし、それを利用するのが漫画の基本でもあるが)

のび太くんとのび太を取り巻く環境(圧力)がドラえもん的ではない。『劣った人間や他と違う人間は人一倍努力してようやく社会の一員として認められる』というような、ストーリーの背景にある思想について。

 なんだろう、自分の受け取り方の問題なのかもしれないけれども、この映画ドラえもんのび太の新恐竜ののび太は、ずっと、社会や自分自身の内面から、『頑張って普通になれ』という圧力を受けている感じがする。努力して頑張って成長しろ、そうするべきことが正しい、というような世界観をこの映画から感じる。それはとても道徳的に正しい。道徳の教科書に載るくらい正しい。
 でも、ドラえもんって、そういう話ではない。ここはもう、本当に、絶対に譲れないポイントです。
 ドラえもんっているお話は、できない、どうしようもないことを肯定する話で、できないことや無理なことを便利な道具で解決する話で、どこまでも他力本願な話だし、そうあるべきだと思ってる。80年代には、ドラえもんはのび太が道具でなんでも解決してしまうから不道徳だと糾弾されたこともある。でも、ドラえもんって、本来不道徳の話です。ギャグマンガだし。あんな夢こんな夢を不思議な道具でかなえてくれる話です。そこに自助努力はない。ポケットを開くと簡単に道具が出てくる。
 また、藤子F不二雄作品において、『努力の効用によって成功、成長する』といった類の話というのは(ほとんど)存在しないんです。自分の観測範囲なので、もしあったら教えてください。(時門と、ウマタケのエピソードで努力して結果を出している、という指摘をいただきました…。たしかに……。)ドラえもんでも、のび太が、『よし!努力するぞ!』と決意しても決意するところで終わって、机の前に座ってるところでだいたい終わります。努力の効用によって、のび太が成績が良くなったとか、スポーツがうまくなった、とか、そういう、努力によって結果を得る、というシーンってほとんどないんですよ。(練習したり頑張ったりしてるシーンはある)藤子作品全般に漂う『努力の効用の否定』については、いろいろと自説があるんですが(終戦を体験した作家であるとか、F先生自身が努力が嫌いとか)それを書き出すとまたそれで1万文字くらいかかるので……。
 そんなわけで『劣った人間や他と違う人間は人一倍努力してようやく社会の一員として認められる』ということに対しては、とても藤子的てはないな……、という感想を持ちます。エスパー魔美で、魔美の父親が疎開先で、祖父が青い目をしているせいで、外国のスパイとしていじめられます。その時に父がとった手段は、『逃げる』でした。
 TPぼんのエピソードで、原始時代に行って、狩猟採集をしている部族で狩りが下手な若者、狩りが下手で組織の成員として認められない若者を助ける話があるんですが、その時の方法は、『打製石器の作り方を教える』でした。
 基礎的な能力が足りなくて組織で認めらない人間は、逃げるか、別の能力を発揮するか。飛べない鳥に飛べ!という必要はないんです。
 そして、今回のドラえもんについて。たぶん、(進化と適応の学術的な話をしらない)普通の人がみて、この作品から得られる感想は、劣った存在でも、人一倍努力して、みんなと同じように、空を飛ぶことができる。努力の賛美。だと思います。それ自身はいい(あんまよくないと思うけれども)。ただ、その努力の賛美というものは、『できない人間に対する努力の強制』に容易に結びつくし、できない子供自身に対しても、彼を内面からさいなむことになります。でも、ドラえもんってそんな話じゃないじゃん?困ったときに他力で助けてくれる話じゃん?
 ついでに。最近の教育の考え方としては、そういうスパルタ的な教育はあんまり効果がないんじゃないかって否定され始めてます。今は所謂、ほめて伸ばす、というような、まず自己肯定感をアゲておいて、そこから能力を伸ばしていくというような方向が効果があるという、根拠ある調査結果もあります。スパルタとその成長の物語は、物語として見ていて面白いし感動するし、泣けるんですけれども、子供向きで、これをみて、自意識が作られるであろう子供、周りと比べてできない子供にたいして、この映画はあまりにも配慮がないのではないかと思うんですよ。ドラえもんの本当のターゲットである、『のび太』みたいな子供に対して、この映画はあまりにも厳しい。




 あと余談ですけれども、なんで努力して頑張って成功する話で感動するのかっていうと、因果を認識する人間のバグなんですよ。物事に因果関係を勝手に見出してしまうバグが人間にあります。そして、支払った分が大きく、リターンが大きい、と出来事ほど、人間は”感動”してしまうようなバグがあります。このバグを利用して、感動できる話とその演出がなされるわけです。人間が感動して涙を流すのは、大体バグによるものです。SFという、科学、分析、世界を切り分ける概念が深い部分を流れているジャンルと、泣ける物語というのは、基本的に相性が悪い。それでも無理に泣かせる、感動させる、エモーショナルな話にしようとすると、どこかで話とテーマが脱臼する。
 







ここらへんは、本当に個人的な好き嫌いなので、あの、それの部分が好きだっていう人がいたらごめんなさい。

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中江兆民による「戦争が起こるメカニズム」

木下順二の「古典を訳す」から、中江兆民の「三酔人経綸問答」(1887年、明治20年の出版)の一節を転載する。


(以下引用)冒頭の「彼ら」は日本の敵対国一般のこと。赤字、青字、太字は夢人による強調。

 このとき二人の客人声をそろえ言葉も同じに、「もし彼ら、いつの日にか猛然として襲い来たった場合、先生はそもいかなる態度でこれを迎えられるおつもりですか」
 南海先生いわく、「彼らもし他国の批判に気を兼ねず、国際法に遠慮もせず、議会の論議に耳をかさず、邪心をもって襲いくる時は、われらはただ力のかぎり抵抗し、国民すべて兵士となり、あるいは要害に拠って固く守り、あるいは不意をついて進撃し、進み退き出で隠れ、千変万化予測を許さず、しかも敵はよそ者、こちらは主人、敵は不義なりこちらは正義だ。我が将校わが兵卒、敵愾心をいよいよ高揚するならば、なんで自力防衛できない理屈があるものか。この点軍人の職にある者は、まさに奇想天外の戦術あってしかるべし。
 かつまた、わがアジアの軍隊は、結局欧州の軍隊に相かなわんというのであれば、紳士君のいう民主国、豪傑君のいう新大国、いずれも陥落するほかないわけだ。僕にしても、別に妙案あるわけではない。いや僕だけのことではない。英、仏、その他の国々がたがいに攻め守るについても、また別に妙案あるわけではない。要するところ、わがアジア諸国の軍隊は、もって侵略しようとするには不十分でも、もって防衛するには十二分だ。ゆえにおおいに平生から訓練し演習し、鋭気を養っておくならば、なんで自力防衛できない恐れがあるものか。なんで紳士君の言のとおりに、なすところなく殺されるのを待っている手があるものか。なんで豪傑君の論のとおりに、隣国の恨みをかう必要があるものか。
 そもそも豪傑君が先にいったアフリカだかアジアだかのさる大国というのがどの国を指すのか、僕にはいっこうにわからない。ただその大国なるもの、もしアジアにあるのであったなら、これはさっそく相ともに結んで同盟国となり、すわとなれば相助けて、もってそれぞれ自国の危急を救うべきだ。やたらと武器をふりまわして軽々しく隣国を挑発し、罪なき人民の命を弾丸の的にするなどというのは、もっとも愚劣の策である
 かの中国のごときは、その風俗風習からいっても、その文物品格からいっても、また地理的に申しても、われらアジアの小国たるものまさに友好を強め交わりを固くし、つとめて恨みを押しつけあったりなどせぬよう、心がけねばならんのである。わが国ますます産物をふやし物資を豊かにするならば、中国の国土は広大、人民は無数、実にわが国の一大市場であって、湧いて尽きることのない利益の源泉だ。この点を考えもせず、当面国威を発揚したいばっかりに、些細な言葉の行き違いを口実にむやみと喧嘩をあおりたてるがごとき、僕はもっとも愚劣の策だと見る
 論者によってはこんなことをいう。中国にはもともとわが国に恨みをはらそうと欲すること久しい。こっちがたとえ礼を厚くし友好を強め相ともに結ぶことを求めても、いま一つの小国との関係からして、あっちは常に憤懣の情を抱いておるから、いったん機会さえあったなら、欧州の強国と共謀し約を結んでわが国を排斥、強国の餌食に供しておいて自分の利益を計ろうとするようなことがないとはいえないと。
 僕として考えるに、中国が思っていること、そんなとこまで行ってはいない。多くの場合、国と国とが恨みを抱く理由というのは、事実に存せずデマに存する。事実を見通してさえおればすこしも疑う必要がないのに、デマから憶測する時はまことにただごとならずと見える。ゆえに各国たがいに疑うというのは各国の神経衰弱だ。青眼鏡をかけてものを見るなら、見るものすべて青色ならざるはなし、僕常に、外交関係者の眼鏡が無色透明でないことを憐れんでおる。
 このようなしだいで、二国が戦端を開くというのは、たがいに戦争を好むがゆえにしかするのではなく、まさに戦争を怖れるがゆえにしかするのである。こっちがあっちをこわがって急に軍備を整えると、あっちもこっちをこわがって急に軍備を整えて、あっちとこっちの神経衰弱、月日とともに高まり強まり、そこへまた新聞なるものがあり、各国の事実とデマをならべたてて無差別に、ひどい時は自分自身神経衰弱になって書きまくり、一種異様に脚色してこれを世間に撒き散らしよる。ここにいたると、たがいにこわがっておった例の二国の神経はますます錯乱して思うようには、先んずれば人を制す、むしろこっちから仕掛けるにしかずと。ここにいたって例の二国は、戦争をこわがるの思い一挙に極点に達して戦端おのずから二国の間に開かれるということになる。これ古今、万国、戦争を開くにあたっての実情です。もし一方の国が神経衰弱ならざる時はたいてい戦争にまでなることはなく、もしまた戦争にたちいたっても、その国の戦略はかならず防衛を主としてゆとりあり、正義という名分も保ち得るゆえ、文明史の上において、けっして非難を受けることがないのである。

(中略)

以上要するに外交上の良策とは、世界いずれの国といわずたがいに友好を強め、万やむを得ぬことになっても防衛の戦略を守り、遠征出兵の労苦失費を避けて、つとめて人民の肩の荷を軽くしてやること、これである。












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日蓮宗の欺瞞性(カソリックの「告解」と同じご都合主義)

とある日蓮正宗の解説書の一節で、この一節に日蓮宗の欺瞞性(非倫理性)が明白に露呈していると思う。
コピー不可能な難字が意味不明の字になっているが、だいたいの意味は判読できるだろう。

(以下引用)赤字部分は夢人による強調。つまり、「ナンミョウホウレンゲキョウ」と唱えればどのような悪事でも犯罪でもやり放題、という、犯罪者に便利な教えである。







日蓮は、総UEアお詐- U附部・和監といった悪行を慎み、他人に対する慈悲と寛容を大事にする一般仏教の倫 である、とも論じなかった。日蓮に帰依する人々の中には、多くの武士がいたが、彼らは生業 すことを救済の条件としなかった。また成仏の果報を受けるためには、受戒して僧侶になることが在家より有利 理を保持したが、当時の他の仏教指導者の何人かのように、末法において人々にさまざまな制約を戒律として課 L」して武士である 一人に、 をえなかったとしても、題目を唱える限り、地獄に堕ちることはないと説いた。日蓮は、そのような武家信徒の な戒律を破らざるを得ない立場にあった。しかし日蓮は、止むを得ず罪を犯したとしても、また悪行をなさざる 以上、戦きの訓練として動物を殺したり、戦場において人を殺すことが要求され、不殺生戒という仏教の基本的 昭定七九四) 末代の悪人等の成仏・不成仏は罪の軽重に依らず、ただこの経の信不信に任すベし。(『波木井三郎殿御返事』 と励まし、また「経のままに唱ればまがれる心なし」(「妙密上人御消息』昭定二六六)と題目を唱えることによ って、正見・正業が自然に具わると説いている。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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