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利益と贈与

贈与とは必ずしも「お返し」を期待してのものではない、という話である。つまり、ある社会学者(か?)の「交換形態論」批判である。たとえば、前の大戦での我が国の国民の戦争協力と異常なまでの貢献と献身と自己犠牲は、天皇からの「お返し」を期待していたか? (これは軍部の「組織利益」のための下種な天皇利用や愚かな暴走とはまったく別の話だ。)
利益を目的とする行為は、ほとんど常に下品化する。だからこそかつては「士農工」という序列だったのである。(それが大衆統治の手段だったという面ももちろんあるが。)
その反対の行為が、たとえば「無法松の一生」のような「無私の献身」である。これは常に崇高な印象を与える。(「精神的利益」という言葉で、こうした行為を貶める人もいるだろう。)
西洋の没落の根幹は「利益オンリー」の思想にある、とも言える。これは常に闘争と暴力と奴隷的服従のピラミッド型階層世界になり、上級国民の利益を求めて他の世界との闘争を生む。
寝ている間に考えたことだが、精神性の異なる集団での交渉の話である。
ある集団(人間)が、異星人との交渉で、「この交渉がお前たちにとっていかに利益であるか」を滔々と弁じると、相手は態度を硬化させる。「この話し合いは、我々がお前たちを助けるための話し合いであって、我々は利益など考えていない。利益という下司な考えを話し合いの最初にするお前たちは信頼できない種族だと我々は判断した」ということで、戦争が始まる、という話である。

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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