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人間五十年下天のうちを較ぶれば夢幻のごとくなり

私は中尾ミエのファンでも何でもないが、ここで語られたことは、かなり大きなことだと思う。織田信長の言葉(あるいは俗謡のひとつか)だったようだが、「死のうは一定。忍び草には何をしよぞ。一定(一条:ひとくだり)語り起こすよの」の感じを彷彿とさせる内容である。「死ぬのはひとつの定めである。さて、一生の想い出に何を語ろうか。何かひとつ面白いことでも語りおこすのだよ」とでも訳するか。我々がこの世(人間「じんかん」)にいるのも、五十年くらいのものだ、という覚悟で一生を生きた信長どころか、我々凡人は70代80代90代まで生きているが、さて「忍び草」に何があるだろうか。

(以下引用)

 すると、中尾は「ないですね」と返答し、園さんとの別れを振り返った。「まりちゃんもそうだし、私の同級生の子も亡くなったんだけど。まりさんも最後、棺桶に入ったんですけど…。何回かお見舞いに行って。緩和ケアに入るってことを本人も分かっているじゃないですか?自分の家の整理したものも、私とゆかりに“最後の整理をして欲しい”と言われて、ドレスとか小物を整理して。病室に行って、“まりちゃん、これもらうからね”って言って、了承を得て」。生前に園さんの人生を振り返り、形見分けをもらって永遠の別れをしたという。


 亡くなった同級生からは、最後に電話が掛かってきたという。「私の同級生も、電話が掛かってきて“たぶんもう持たないと思う”って、本人が。“楽しかったね。じゃあね、バイバーイ”って言って別れたのね」。明るく別れを告げられたことが新鮮な驚きだったようで、「こういう別れ方をできるのっていいなって、我ながら。だって、みんな終わりは来ますからね。その時に、こういうふうに、寂しくなく納得して別れられるのって、私もそうありたいな」と話していた。





(追記)ついでに、まったく無内容な一生だっただろう、と想像させる、ある元「偉い人」の発言を転載する。こういう愚劣な精神で生きる一生というのも我々の「反面教師」にはなる。

前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~「みすぼらしい」日本人~© アサ芸biz

読書にせよ執筆にせよ、とにかく静謐な軽井沢では捗るので、「在軽」の時間が年々長くなっている。だから、普段着など、大抵のショッピングは駅前のアウトレットで済ませてしまう。アジア諸国からのインバウンドの観光客にも人気のスポットだ。好みのネクタイの色や柄について時に意見が異なる家内と一致するのは、すれ違う人々が話している言葉を聞くまで何処の国の人間か全く分からなくなった点だ。


昔は、こんなことはなかった。1980年代、ニューヨークのコロンビア大学に留学していた頃、アジア人女性好きのユダヤ系アメリカ人の同級生からこう言われたものだ。


「日本人を他のアジア人から見分けるのは簡単だ。バッグと靴だ。日本人の女の子は、ヴィトン、グッチ、セリーヌなどのバッグを抱えて、靴は上品なパンプスを好む。しかも歩き方は草履文化のなごりか足を引きずるように歩く。一発で朝鮮人や中国人と見分けがつく」

みすぼらしい服装の非さえ認識できない連中が日本国の世評とイメージを貶めていく。

こんな日本に誰がしたのか!?


●プロフィール


やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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