譲り合い、許しあい、支えあう・・・それしか、世界を救う道はない。
奪い合う限り滅びてしまう。
そのことを、地球上で一番長い歴史を持つ日本人は、体の中で知っている。
限られた土地と資源の中で、生き抜くには、日本方式しかないと、気づく西洋人が出始めた。
列に並び、分け合い、ともにいきぬく、周囲の人々をおもんばかる。
残念ながら、トランプのやり方は、その正反対。
だから、トランプ革命は、壮大なブーメランになると、私は思う。
大型船は、周囲を渦に巻き込んで沈む
気の赴くままにつれづれと。
「……おっ!きた!!!」
画面に表示された「合格おめでとうございます」の文字に、思わず家族みんなで歓声を上げました。これまでの長い努力が報われた瞬間でした。
そんな祝福ムードの中、息子がスマホを見ながらクスクス笑っています。
「ほら、友だちも合格したって!」
そう言って画面を見せてくる息子。良かったねと思ったのも束の間、受験結果を報告し合っている友人たちとのグループトークのやり取りが目に入りました。そこではちょっと驚くような会話が繰り広げられていました。
「うちの親、1浪して私立〇〇大の文系だからさ オレの結果、超喜んでる」
「おれの親はFランの△△大だからさ うちもすげー喜んでる」
「オレたち、親の遺伝子越えだな」
「遺伝子越え2世だな」
……遺伝子越え?
彼らの言う「遺伝子越え」とは、「親の学歴を越えた」という意味のようです。
合格を喜ぶ流れのなかで、さりげなく親の学歴を引き合いに出し、それを超えたことを冗談交じりに表現していたのです。
心配事があったり、将来に向けて不安があったり、といった話は頻繁に耳にするけれど、これは不確定な未来を悲観的に観測しているものだ。悲観的観測は人間の本能的なものであり、動物よりも優れている能力といえる。その不安が現実となる確率がどれほどかで、人それぞれ具体的には大きく異なるが、しかし、今日を生きることができないほどには困っていない。自殺を具体的に考えるほどでもない。とりあえず、現代社会には、困窮している個人を助けるための制度が数々設けられている。たとえば、良くないことだが「借金」というシステムがあって、これで一時的に救われることが多い。もちろん、金では解決できない問題も多々あって、多くは愛情や憎悪のような感情的な対人関係に起因しているだろう。
たしかに、自殺をしたり、犯罪に手を染めたりといった人が、ある程度の割合存在する。ただ、ほとんどの人たちは、毎日を生きて、明日のための準備をする。まだ死にたくないと考えていて、危険を避ける行動を選択する。つまり、心配し不安を抱えていても、そんな毎日を続けたいと思っている。未来にはなにか良いことがあるのではないか、という希望的な観測もするだろう。そんな淡い期待のために身銭を切る(たとえば、宝くじを買う)。今は良くないけれど、良いことがいずれやってくるだろう、と妄想する。今は良くないけれど、最悪ではない。自分よりも困っている人たちがいるはずだ、とも考える。
長寿を願うのは、最悪ではない日々を長く続ければ、なにか今より良い状況が訪れるかもしれない、長いほどその確率は高くなるはずだ、といった観測による。ぼんやりと、そんなイメージというか、言葉にならない感覚を持っているはず。言葉にならないのは、言葉にしたことがないからで、そんな将来のことを他者に話すなんて恥ずかしい、といった気持ちが言語化を抑制している。
僕は、そういう日常というのが、ある種、幸せの一例なのではないか、と考えている。否、考えているというよりは、評価している、といった方が近い。もっといえば、心配や不安というのは、幸せを基準とした観測なのだ。現在が明らかな不幸ならば、さきの心配をする余裕さえなくなる。将来に対する不安は、むしろ小さく感じられるだろう。
人間の感性というのは、現在の絶対値ではなく、現在の変化率に支配されている。これは、たとえるなら、速度は体感できないが、加速度は感じることができるのと似ている。
逆にいえば、現在の状況がプラスかマイナスか、といった尺度は存在しない。幸福か不幸かは測れないのだ。ただ、どちらへ近づいているか、その変化だけが感知される。