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「学校」と「教育」

現在の学校の授業そのものがムダだと私は思う。
予習していない生徒は、授業を聞いても理解できないのが大半だろうし、予習してきた生徒は、授業時間の大半は「既に理解したこと」を教師が話しているので退屈である。
まあ、勉強の基本は自学自習だ、というのが私の考えだ。
一番いいのは「子供同士が教え合う」教育だろう。つまり、それによって、生徒同士の親睦が深まり、また、互いの競争意識から、学ぶことへのモチベーションが出て来る。(教える方も、自分が教えることで、自分の知識や理解の不十分さを知り、より高度な理解に進むことになる。)

問題は、学ぶことと「勉強(勉め、強いる)」は違うということ、そして「勉強」へのモチベーションである。
階級社会では、いくら勉強しても、それが社会のニーズに合わない限り、階級的上昇は見込めない。だから、今の日本のようにユーチューブなどで自己宣伝をして集客効果があると社会に認めさせれば、カネを出す企業が出て来る。現在のように「口先人間」が跋扈している社会は歴史的に稀ではないか。
つまり、これまでの学校教育は学歴(就職への関門となる。)獲得目的以外ではすべて無駄ということになる。実際、高校の授業内容は大学合格以外の意味ではすべて無意味な内容だ。つまり、大学に行く気の無い生徒には高校の「授業」や勉強は地獄である。だから、その反動で、大学に入ると遊び呆ける。もちろん、大学入試に縁の無い底辺高校はヤンキーやDQNの巣窟になる。

学校とは「同年代の人間が集まる」遊び場で、そこでいろいろな「疑似社会体験ができる」というのが一番の機能だろう。つまり、「勉強以外の体験」をたくさんさせるのがいい学校である。そういう意味ではある種の「最底辺高校」も、いい「社会勉強」の場にはなるかもしれないwww もちろん、それは現実社会の雛型であるが、その「社会」とは、卑屈・卑劣な徒党の巣窟であり、暴力と威嚇と、詐欺的行為と不法行為の横行する社会だ。

ただし、「勉強」ではなく、「教養」は、その人の人生そのものを豊かにする最高の資源である。culture(文化)という言葉の元になっているcultivateとは「耕す」意味で、自分の心や精神を耕すことが教養を身に付けることだ。つまり、それを通じて精神的に豊かな人間になるわけだ。
したがって、ひろゆきの言うような、「古文漢文はムダ」論は、愚論である。(古文や漢文は日本や中国の過去の文化の精髄である。)学校でその片鱗に触れることで、より高度で深い教養への入り口になる。それを「勉強」という辛い行為にするのが悪い「教育」である。

ちなみに、先ほど読んで、まだ読みかけの「in deep」の岡氏の文章の一節である。岡氏の頭脳は(その思想には反発する部分もあるが)私の尊敬するところだ。本を「楽しんでいた」。これこそが教養である。漫画もアニメも哲学も、誰もが忘れた古い歌も娯楽であり教養だ。

幼稚園のほぼ全部と、小学校低学年の大半を病気で休んでいた私も(自宅学習など一度もしたこともなく)、誰にも教わらずとも、本を楽しんでいました。



【ひろゆき】西村博之 学校の宿題はムダだと主張「学習効果の低い行為」


転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1702446731/


hiro

1: Ailuropoda melanoleuca ★ 2023/12/13(水) 14:52:11.09 ID:dI055hdY9
2023年12月13日 14:46

 2ちゃんねるの元管理人で実業家のひろゆき氏(47)が13日、「X」(旧ツイッター)を更新。学校の宿題がムダであると主張した。

 ひろゆき氏は「宿題は、理解出来てる子には無駄な作業。わからない子は宿題も出来ないままという学習効果の低い行為です」と持論を展開。

 さらに「教育方法も状況に合わせて変えていくべきで、宿題や漢字の書き取りや古文・漢文などの昭和のやり方を続けることが正解だと大人が信じ込むのは良く無いと思います」と、昔ながらの詰め込み教育を続けていることを疑問視している。

 また「古文、漢文がなくなると昔の文書を読めなくなる」という投稿に対しては「義務教育では微分・積分をやりません。でも、日本人で微分、積分出来る人が居なくなる事態にはなってません。古文漢文は大学の専門課程で、やりたい人がやれば十分かと」と古文、漢文も微分・積分のような高等教育で学ぶべきと主張している。

東スポWEB
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/285777


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ガザで盲いて

「福音の史的展開」というサイトから転載。
パウロ(サウロ)が「ガザで盲(めし)いた」状況である。
で、私は、これはパウロの作り話で、パウロは自らキリスト教の内部に入って、それを変質させようとした「思想スパイ」だったと思っている。
その後のパウロが土台を作ったカソリック教会の「キリスト教」が本来のイエスの教えとはかけ離れた、「人民支配の道具」になっていくのは誰でも知っているだろう。
さて、ガザはカソリックにとって聖地だと思うのだが、今のガザでの「ユダヤによる他民族虐殺」について、ローマ法王やカソリック関係者、あるいはキリスト教関係者は何か発言しているだろうか。



(以下引用)

  第二節  パウロの回心とアンティオキア共同体の成立


はじめに

 前節で、エルサレムに成立したユダヤ人たちのキリスト信仰の共同体が、使用言語の違いからアラム語系ユダヤ人の共同体とギリシア語系ユダヤ人の共同体に別れたことを見ました。エルサレム共同体はもともと、ガリラヤでイエスの弟子であった「十二人」の使徒たちの福音告知によって成立した共同体であり、「十二人」が代表するアラム語を用いるパレスチナ・ユダヤ人の信仰共同体でした。その共同体にエルサレム在住のギリシア語系ユダヤ人が加わったことによって、エルサレム共同体の福音活動に重大な変化が生じます。ギリシア語系ユダヤ人のグループは、「十二人」の承認の下に「七人」の代表者を立て、周囲のギリシア語系ユダヤ人の間で活発な福音告知の活動を始めます。そのとき、彼らのディアスポラ・ユダヤ人としての体質から、神殿での祭儀や伝統的な律法順守に対して批判的な言動がなされ、それに反発する周囲の律法熱心なギリシア語系ユダヤ人との間に激しい論争が起こり、彼らの代表者であるステファノが石打で殺されるという事件が起こります。今回は、この事件から引き起こされた結果をたどることになります。


  Ⅰ パウロの回心

迫害者サウロ

 ギリシア語系ユダヤ人の間に起こった激しい論争で、ステファノグループを迫害する側の先頭に立ったのは、同じくギリシア語系ユダヤ人の会堂で指導的な立場にいた年若い新進気鋭のファリサイ派律法学者サウロでした。サウロは、ステファノが会堂の衆議所に引き立てられたとき、彼の石打の処刑に賛成し(八・一)、石打が行われたときには、最初に石を投げる証人の上着を預かるなど立会人を務め、積極的にステファノの石打に参加しています(七・五八)。それだけでなく、彼はその後もイエスをメシアと言い表す信者を探索し、見つけ出せば会堂の衆議所に送り、審問にかけるという活動を続けます。ルカは彼の弾圧活動を、「サウロは家から家へと押し入って《エクレーシア》を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」と記述しています(八・三)。


 この迫害の急先鋒となったサウロこそ、後にイエスの僕となり、イエスをキリストとして世界の諸民族に告げ知らせる偉大な使徒となったパウロに他なりません。どうしてこのようなことが起こったのか、それは何を意味するのかを理解するために、ここで迫害者として現れたサウロとはどういう人物であったのかを見ておきましょう。


 サウロは、キリキア州の州都タルソス出身のディアスポラ・ユダヤ人です。サウロの両親は、タルソス在住の敬虔なユダヤ教徒であり、サウロが生まれたとき、八日目に割礼を施し、自分たちが所属するベニヤミン族の英雄サウル王にちなんで「サウロ」と名付けました(フィリピ三・五)。ヘレニズム都市に住むディアスポラ・ユダヤ人の通例として、「サウロ」というユダヤ名の他に、「パウロ」というギリシア語の名前も用いていました。このように二つの名前を持ち、ギリシア文化の中でギリシア語を母語として育ちながら、ユダヤ教の伝統に従って教育を受けるという二重性が、後のパウロを形成することになります。


 サウロの父親は、キリキア特産の天幕布織りを職業としていました。父親はサウロをラビ(ユダヤ教の教師、律法学者)にしようと願ったのでしょう、幼いときからその職業を教え込みました。当時ラビは、無報酬で教えることができるために手仕事を習得することが求められていました。後にこの技術がパウロの独立伝道活動を支えることになります(一八・三)。


 サウロが生まれ育ったタルソスは、当時のヘレニズム世界で有数の文化都市であり、ギリシア文化の学芸が盛んな都市でした。ギリシア語を母語として育ち、ギリシア語を用いる初等の学校で教育を受けたサウロは、当時のギリシア思想文化を深く身に染みこませていたと考えられます。しかし、厳格なユダヤ教徒の家庭に育ったからでしょうか、ギリシア哲学とか文学・演劇などに深入りした形跡はないようです。


 サウロは青年期にエルサレムに行って、そこで律法を学びます。何歳の時にエルサレムに渡ったのかは確認できません。パウロは後に自分がファリサイ派であることを明言していますが(フィリピ三・五)、当時のエルサレムで指導的なファリサイ派のラビはガマリエルでしたから、自分はガマリエルの門下で律法の研鑽に励んだという、ルカが伝えるパウロの証言(二二・三)は十分信頼できます。七〇年以前のユダヤ教で、ファリサイ派ラビの律法教育がエルサレム以外の地で行われることはありませんでした。ガマリエルはヒレルの弟子で、二〇年から五〇年の頃活躍したファリサイ派を代表するラビです。従って、三三年頃に舞台に登場するサウロが、それまでガマリエル門下で学んでいたことは十分ありうることです。


 ガマリエルの下で律法(ユダヤ教)の研鑽に励み、その実践に精進した時代のことを、後にパウロは「わたしは先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」と語っています(ガラテヤ一・一四)。このガマリエル門下での律法の研鑽によって、聖書の言語であるヘブライ語を十分に習得し、また、長年のエルサレム在住によりその日常語であるアラム語も使えるようになっていたことは、十分に推察できます。


 しかし、ギリシア語を母語とするギリシア語系ユダヤ人として、ギリシア語系ユダヤ人の会堂に所属し、そこで律法(聖書)の教師として働き、聖都に巡礼したり在住するようになったディアスポラ・ユダヤ人に聖書を教え、また、ユダヤ教にひかれて聖書を学ぼうとする異邦人に律法(ユダヤ教)を講じ、彼らが割礼を受けてユダヤ教に改宗するように導く働きをしたと考えられます。後にパウロはこの活動を「割礼を宣べ伝える」と表現しています(ガラテヤ五・一一)。


 このようにギリシア語系ユダヤ人会堂で責任ある立場にいたサウロは、イエスをメシアと言い表すギリシア語系ユダヤ人たちが、モーセ律法や神殿祭儀に批判的な言動をするのを見過ごすことはできませんでした。サウロは、イエスと同時代のエルサレム在住のユダヤ人として、イエスがエルサレムの最高法院で裁判を受け、ローマ総督に引き渡されて十字架刑により処刑された事実はよく知っていたはずです。それを目撃したり、その過程にかかわった可能性も十分あります。その後、数人のガリラヤ人によりイエスをメシアと宣べ伝える運動が始まったとき、それがユダヤ教の枠内で行われている限りは、師のガマリエルと同じく、ことの成り行きに委ねることができました。しかし、一部のギリシア語系ユダヤ人がその信仰のゆえに律法(ユダヤ教)そのものをないがしろにするような言動を示したとき、黙って見過ごすことはできませんでした。先にステファノの殉教のところで見たように、サウロは迫害者として舞台に登場します。

  •   迫害者として舞台に登場するまでのサウロと彼の迫害活動について詳しくは、拙著『パウロによるキリストの福音Ⅰ』43頁以下の「ユダヤ教時代のパウロ」と「迫害者パウロ」の両節を参照してください。なお、そこでステファノの殉教を「リンチ事件」としていることは訂正しなければなりません。先に見たように、ステファノの石打は、民衆の激高によるリンチ事件としての様相も見せていますが、やはり(最高法院ではありませんが)会堂の衆議所の審問と判決を経た処刑と見なければなりません。

 

復活者イエスとの遭遇

 さらにルカは、「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」と報告しています(九・一~二)。サウロは、エルサレムだけでなくダマスコの諸会堂にも探索の手を伸ばします。ダマスコにも「この道に従う者」、すなわちイエスをメシアと言い表すユダヤ教徒がいることが報告されてきたからです。この時ダマスコにいたエスを信じる者たちとは、エルサレムでの迫害を逃れてダマスコに行った人たちを指すのか、その時までにダマスコにも信じる者たちの共同体が成立していたのか、確認は困難です。しかし、サウロを迎え入れた後のアナニアを中心とする彼らの活動を見ますと、この時までにかなりの規模の信者の共同体が存在していたと見る方が順当でしょう。


 そうすると、ダマスコの共同体《エクレーシア》はどのような経過で成立したのかが問題になります。まだエルサレムのギリシア語系ユダヤ人の福音活動はダマスコには及んでいません。エルサレムの会堂との密接な交流によって、メシア・イエスの信仰が伝えられたのか、地理的に近いガリラヤからの伝道活動で信じる者の共同体が形成されたのか、詳しいことは分かりません。ガリラヤからの影響の可能性が高いと考えられますが、ガリラヤでの信仰運動の実態が分からないので、確定的なことは言えません。


 とにかく、ダマスコの諸会堂がこの新しい信仰によって動揺することを恐れたエルサレムのギリシア語系の諸会堂は、迫害の先鋒を担うサウロをダマスコに派遣します。サウロは大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての添書を求めます。他の地域の諸会堂で逮捕連行のような検察官の任務を行うのですから、ユダヤ教の最高機関の承認と任命によることを示す必要があります。おそらく、逮捕連行するための神殿警察隊も同行したと考えられます。ルカは、サウロの迫害行為が大祭司や祭司長たちの承認による行動であることを、繰り返し強調しています(九・一四、二二・五、二六・一〇と一二)。こうして、エルサレムのギリシア語系ユダヤ人の会堂で始まった迫害は、最高法院の権限による広い地域での迫害に拡大します。
 「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らし」ます(九・三)。それは真昼ごろであり、その昼の光よりも強い光が天から一行を照らします(二二・六参照)。この光は神の栄光の光であり、真昼の太陽の光をもしのぐ強烈な明るさで一行を(照らすというより)打ちます。


 「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞」きます(九・四)。その光は自然の光ではなく、人格から発する光であることが、その光がサウロの名を呼んで語りかけることから分かります。この語りかけは、「サウロ」というヘブライ名を使っていることから、ヘブライ語(またはアラム語)でなされたことが分かります(二六・一四参照)。

  •  新共同訳はこの呼びかけを「サウル」としています。これはギリシア語で、《サウロス》(日本語表記ではサウロ)という人に呼びかけるときの形(呼格)が《サウル》だからです。呼格がない日本語への訳では、「サウロ」のままでよいのではないかと考えられます。

 サウロはこの光に打たれて地に倒れたとき、自分の前に一人の人格が迫っていることを感じます。しかし、それが誰であるか分かりません。サウロに強烈な光として現れた人格は、「なぜ、わたしを迫害するのか」と迫り、サウロがまさに迫害してきた相手であることを告げます。サウロは思わず、「主よ、あなたはどなたですか」と訊ねます。すると答えが来ます、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。(九・五)
 この強烈な光として現れた人格は、復活されたイエスだったのです。復活者イエスが、神の栄光の強烈な輝きをまとってサウロに現れたのです。復活されたイエスが弟子たちに現れるとき、生前のイエスをよく知っている弟子たちでも、それが誰であるか分からないのが普通です。現れた人格が、地上の人間の容相とは違うからです。現れた方が言葉をかけることによってはじめて、それがイエスであることが分かります。この場合も、復活者イエスが顕現されるときの典型的な様相を示しています。


 サウロの場合この体験は、探し求めていた方についにめぐり会ったとか、たまたま出会ったというような性質のものではありません。突然敵将に遭遇したのです。今の今まで敵対し攻撃していた敵軍の将が、突如思いもかけないときに、その強烈な力をもってサウロの前に現れたのです。サウロはその力と威厳に圧倒されて、地に倒れ伏します。


 「主よ、あなたはどなたですか」と訊ねたサウロに、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答えが響きます。サウロは地上のイエスを知りません。直接イエスを迫害したことはありません。サウロが迫害したのは、イエスを信じるユダヤ人です。しかし、実は彼らの中にいますイエスを迫害していたのです。復活者イエスは、イエスを信じる者とご自分を一体として、彼らを迫害することは自分を迫害することだとされるのです。
 このようにご自身が誰であるかを示された後、「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と、降参して倒れ伏しているサウロに、これからなすべきことを指示されます(九・六)。


 「同行していた人たち」とは、ダマスコのイエスの信者を逮捕してエルサレムに連行するために、サウロに同行していた神殿警察の一隊でしょう。彼らも光に照らされ、サウロが発する声は聞こえたのですが、だれの姿も見えないので、あまりの驚きにものも言えず立ちつくしていました。「あなたはどなたですか」という問いに対する答えは、サウロの内面だけに響いた言葉であり、ここで復活者イエスを見たのはサウロだけで、同行者はだれも見ず、イエスの言葉も聞かなかったと考えられます(九・七)。


 「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった」。サウロの目は、あまりにも強烈な光を見たために、見えなくなっていました。それで、「(同行の)人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行」きます(九・八)。

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東海アマ氏の「カルマ思想」

「東海アマ」ブログ記事の抜粋で、私の目からは思想的に支離滅裂に見えるが、自分自身の人生を正直に語っているところはいい。だが、それを「カルマ」という言葉で片づけているのは私には気に入らない。その「カルマ」が、「自業自得」にとどまらず、自分の前世やそのはるか昔の人生の影響だとするなら、いったい東海アマ氏は前世や前々世でどんな悪行を積んできたのかwww
で、今の世で悪行を積み重ねている上級国民は今の人生でどんな善行をし、その前世や前々世でどんな凄い善行をしてきたのか。馬鹿を言うのもほどほどにしろ、と言いたくなる。

自業自得とは、勉強をして学力をつければ、いい大学に入れ、いい企業に就職でき、裕福な後半生を送れる、という程度のものだ。あるいは、自分を肉体的に鍛え上げれば、スポーツの世界で成功できる可能性が高い、という程度のものだ。そんなのは「善行」とは何の関係もない。品性下劣な成功した商売人や芸能人やスポーツ選手は無数にいる。
東海アマ氏の今の生活は、若いころから氏が選んできた人生の生き方の結果であり、まさに自業自得ではあるが、それは先祖代々(と言うより輪廻的継続性のある幾つもの前世)の悪行の結果ではあるまい。実に情けない、「責任転嫁」思想である。しかも、氏が自分の若いころにした「悪行」が、現在の貧困生活とどう関係しているというのか。悪の限りを尽くして、裕福で幸福な一生を送った悪党は無数にいる。氏が批判し続けてきた原子力村の住人もその一種だろう。
(ただし、私は悪党などの物質的裕福さを「幸福」だとは思わない。それは道徳的退廃による精神毀損を代償としているからだ。人間の本当の生活は脳の中、思考と精神の中にこそある、というのが私の思想だ。他者に為した悪行は、その悪人の精神を毀損しているのだ。ただし、殺人だから悪行というような単純な考えでもない。殺人も、暴君暗殺などのように、時には道徳的行為だが、ただし、それが誤った情報による愚行の場合もある。)
氏が社会の悪(特に原子力村)と戦ってきたことを、私は非常に高く評価し、尊敬しているだけに、氏のこのような情けない発言を私はあえて批判するのである。
東海アマ氏は、勝海舟流に言えば「気が飢えている」、つまり気力が沮喪しているのだろう。まあ、国会議員や大臣、原発企業役員とまでは言わないが、せめて、あの悪質な隣人老人を〇してみたらどうか。  もっとも、返り討ちに遭う可能性のほうが高そうだwww その計画を考えるだけでも、楽しいと思うが。今こそ氏は失うものの無い「無敵の人」ではないか。世の中の害虫的存在をひとつ消すだけでも立派な社会貢献である。

(以下引用)

 「カルマ」とは、自分が行った行動・態度は自分に帰ってくるという意味である。一般的に、「カルマ」という言葉は悪い行いのみが影響を及ぼすという意味にとらえがちだが、実は善悪を問わないニュートラルな言葉である。
 さらに、「カルマ」は現在進行形で、常にそれぞれの人に積み上げられているものだ。つまり、善行を重ねれば明るく良い結果が生まれ、悪事を繰り返せば同様の壊滅的結果が生じるという意味がある。

 ちなみに、「カルマ」は必ずしも人の行動・態度から生じるのではなく、思考や欲望、性癖も関係している。それは、行動の根幹は精神と直結し、心の内は行動に現れるためだ。

 「カルマ」は、スピリチュアルの世界、いわゆる魂の世界を解釈する際にも使われる。スピリチュアルの世界でのカルマは、自分自身の行動・態度・思考が自分に帰って来るだけではなく、前世の悪事・善行も今世に影響を与えるという考えだ。
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 一部引用以上

 なんでカルマを引用しているかというと、私のように世間的な富や名誉の人生から落ちこぼれた貧乏老人は、自分自身の人生を振り返って、若い頃なした悪行が、今の自分に反映している現実を非常にリアルに理解できるのだ。
 毎日考えることは、「ああ、あのとき、あんな悪いことをしたから、今の自分の苦しみがあるのだ……」という因果応報の経路ばかりなのだ。

 これが、名誉や財産や地位や、たくさんの家族に恵まれている人には、なかなか理解できないだろう。また、自分の人生の汚点を、他人を見下すことによって覆い隠そうとしている人にも理解できないだろう。
 これは、誰からも見放された、何も守るもののない落ちこぼれ老人の特権なのである。
 だから、私は、どんなカルマが、自分の人生を演出してきたのか、普通の人よりも、はっきり理解できていると思っている。
 そしてカルマについて、考えることも多く、その深い真実に気づかされるのである。

 もう人生の出口、終着駅がはっきりと見え始めている私にとって、他人に対して優しくできなかった偏狭な自尊心が、どれだけ私の人生を窮屈で悲惨なものにしてきたのか後悔しかない。
 もっと他人の笑顔のために生きれば良かった……利他主義に生きれば良かった……そうしていれば、温かい思い出に浸りながら次の人生に迎えただろうと、後悔しながら物質的肉体の終焉を待つばかりだ。

 まあ、70年も生きていると、あらゆる物質的な満足が虚構にすぎないことを思い知らされる。高級車も豪邸も美人妻もイケメン夫も、他人を見下す地位も、貯め込んだ財産も、まるで過ぎ去る雲のように不確実で、一瞬の夢幻にすぎない。自分にとって何の価値もない。
 秀吉が死ぬ間際に「浪速のことは夢のまた夢」と辞世を述べたのと同じだ。

 そんな物質的虚構なんかより、人生で接点のあった他人との関わりで、相手のひとときの笑顔が心を癒やしてくれたことこそが、人生でもっとも価値の高い実存であり、果実なのだと思えるようになる。
 財産という物質的虚構と、「他人に親切にできた」という精神的果実(自己満足)の比較評価ができるようになる。それが70年という人生体験である。
 
 ただし、財産や地位に執着のある人には無理だ。真実を見抜くことができる資格は、守るべき価値への執着のない人生である。それは、人生の本当の喜びは、他人の小さな笑顔を見て刹那の満足を得ることでしかないと知ることだ。

 人生とは何か? 釈迦は「無記」としたが、何の物質的価値も持たない貧乏老人にとっては、真実を知るための虚構のプロセスであり、真実のように思い込まされている茶番劇であることが、はっきりと理解できる。
 我々の肉体、我々の人生は、生まれる前から定まっている。それを定める正体は「前世のカルマ」である。

 人はカルマのために肉体を持ち、カルマを解消するための人生経験を重ねる。その人生で克服できなかったカルマは、さらに次の人生に持ち込まれる。
 こうして、数百、数千の輪廻転生を繰り返しながら、少しずつカルマの少ない人生に向かってゆく。完全にカルマから脱却できれば、それは双六の上がりのようなもので、もう物質的肉体を得る必要もなくなる。
 これがヘーゲルの指摘した「イデー=絶対精神」である。

 こう考えれば、カルマの全体像が朧気に見えてくる。我々の物質的人生は、カルマのための茶番劇なのだ。
 だから、突然人生の終焉を突きつけられても、心配する必要はない。すぐに次の肉体が待ち構えて、その人生で克服できなかったカルマの課題に向き合う人生が始まるからだ。

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儒教文化圏の「平和主義」的体質

「隠居爺の世迷言」記事後半(前半は省略)で、世迷言どころか非常な卓見である。「卓見」というのは、つまり私と同じ考えだからだwww
特に下の記事に付け加えることは何もないが、欧米人(白人)がなぜ闘争的なのか、と考えてみると、実は欧米人だけでなく、中東の人間も、あるいは昔の(今でも一部はそうだが)アフリカの人間も闘争的であり、アジア人、特に日本人が例外的に平和的だという印象だ。これは東海アマ氏などがいつも批判するのと逆に、「儒教文化圏」であることが大きいのではないか。
確かに、儒教社会にも身分差別があるが、それは世界のあらゆる地域、社会、国家で同じだったのである。中世の西洋の農奴というのは、まさに家畜同然の存在だったのであり、カソリックという「偽キリスト教」がその支配構造の一部(柱)となっていたのである。同じアジアの国でも、インドなど、儒教とかけ離れた社会でこそカースト制度という最悪の身分差別社会が牢固として抜きがたい体質になっているのは、儒教がべつに身分社会を作ったわけではないことのひとつの証拠だろう。
儒教の最大の特質は「徳治主義」であり、王道とは(覇道という武断主義と反対の)徳治、つまり為政者がその徳によって治める「仁政」のことなのである。

(追記)今読んだばかり(と言うより、まだ途中だが)の「混沌堂主人雑記(旧題)」に、「東洋経済オンライン」座談会記事があり、その中で古川という人が次のように述べている。これを読めば、東海アマ氏の儒教に対する僻見が明白だろう。また、平田オリザという馬鹿が中江兆民を「読めていない」ことも分かる。

 つまり、一般の人々も含めて、誰でも学んで身を修めれば君子になれるし、なるべきである。そして、そういう人々が集まって議論して、公論を形成していくのが、あるべき政治の姿である。こういう話になっていくわけです。
 だとすると、日本で民主主義を実現したいのだったら、まずもって儒教をベースに人々が学んで修養して「君子」になることを目指すということが大前提で、それが日本における民主主義の条件であるはずです。
そのあたりのことを、儒学の素養があった明治の知識人たちはよくわかっていて、たとえば中江兆民は「市民(シトワイヤン)」に「君子」や「士」の訳語を当てています。私が『大人の道徳』で「市民」は「士民」と書くべきだと言ったのも、そういうことです。
 にもかかわらず、戦後の日本は、儒教を封建思想だとみなして、民主主義の条件をむしろ意図的に破壊してきました。

(以下引用)

 ところで、 "愛(Love)" という言葉は日本人にとってはイメージをつかみにくい。愛などという概念を日本人は持っていないように思う。異文化の言葉だから、ピッタリ来ないのも無理はないのかもしれない。しかし、欧米人と来たら二言目には、「愛、愛、愛」とうるさいったらありゃしない。一体どういうことなのだろうか。

 そうそう、欧米人の口癖のもう一つに "Peace" があるように思う「平和」のことだよね。これが組み合わさって、「Love & Peace(愛と平和)」となると、英語を全く話せない私でも何となく耳タコのような気がする。どういうことかな。

 欧米人に対する理解がその程度に浅い私も、新型コロナ騒動が始まって以降、欧米の動向に目を向けざるを得なくなってチラ見しているうちに、彼らがなぜ「Love & Peace(愛と平和)」を繰り返し叫ぶのか、何となく肌感覚で分かるようになってきたように思う。

 分かってしまえば答えは簡単で、欧米には "Love" も "Peace" もないからなんだな。ないからしきりに「Love & Peace」を叫ぶ。そうやって、少しでも「Love & Peace」に近づきたいと思っている。

 「I love you」は欧米の男が女にささやく愛の言葉になるけれど、これは、「俺はおまえを殺すなどしない」という誓いの言葉なんだな。つまり、ぼやぼやしていると男が女を殺してしまうようなことが、欧米では実際にも起こりかねない。凶暴な野蛮人であるがゆえに、女はいつも「I love you」と男に言わせておかなければ危ないという背景事情がある。

 実際にアメリカという国のやっていることを見れば分かるよね。とにかく、仲間以外は殺しまくる。殺して、殺して、殺しまくる。あいつら好きなんだよ、殺すことが。殺せば殺すほど気分が良くなるのだと思うよ。

 地球の人口は多すぎて、将来的に人類は破綻するから削減する必要があるなんてビル・ゲイツなどは言うけれど、それは真っ赤な嘘。騙されてはいけない。彼らは純粋に人殺しが好きなだけ。つまり、快楽殺人。人間狩り。そんな世界に住んでいるからこそ、欧米人は "愛" を強調したくなる。

 日本の男は女に「I love you」なんて言ったりしないけれどそれも当然。そもそも殺してやろうなんて思っていないからね。日本の女だって、男が自分を殺しにかかるほど凶暴でないことを知っているから、「I love you」と言えとは要求しない。

 しかし、ここに来て、つまり、ワクチン接種が始まるようになって、日本政府も日本人をたくさん殺すようになった。岸田総理も、菅前総理も、デマ太郎も、パンチドランカー西村も、女だてらに暴徒知事も、自民党女性議員も。もっとも、日本人だけあってビル・ゲイツとは違い、そんなに楽しんでいるようには見えないかな。しょせんはパシリなのだろう。岸田総理はちょっと危ないような気もするけど。

 さて、殺しを楽しむ、これ以上ない残虐な人非人が欧米人、特にアメリカ人になるのだけれども、アメリカにはもう一つの軸があるように思う。それが "金(カネ)" になる。殺しも好きだけれど、 "金(カネ)" も大好きなのがアメリカ人。

 殺しはいつもしているわけにはいかない。さすがのアメリカ人も「Hello」と言ったあとにいきなり拳銃を出して「バーン」と撃ち殺すなんてことはしない、できない。そんなことを始めたら、自分たちもいつ殺されるか分からない社会になってしまうからね。

 でも、 "金(カネ)" は違う。アメリカ人は「Hello」と言った次の瞬間には、どうやってこいつを騙してカネを巻き上げようかと、その算段を始める。もちろん、金儲けの途中で殺しが入り込むことは大歓迎。何しろ殺すことが好きなんだから。

 結局のところ、アメリカには思想も哲学も宗教もないということになる。形式的にはあるかもしれないけれども、それがアメリカ人の心の中に根付いていない。正義も、愛も、思いやりも、哀れみも、情けも、仁も、情も、恩も、慈悲も、そんな感情や考えがアメリカ人の心の中には欠けている。

 それゆえ、直接見えるものばかり、あるいは直接感じられる強い刺激ばかりを追い求めようとする。その代表が金であり、殺しであり、それにもう一つ、権力ということになる。抽象的な善などという概念は、アメリカ人にとっては「それいくら?」「それおいしいの?」くらいの気持ちで眺めて、そんなものはいらないと捨ててしまう。

 これまでアメリカが国家としてやってきたことは、全部殺しと金と権力目当てだと思っていいのではないだろうか。一番は戦争だね。戦争はアメリカ人に殺す楽しみ、金儲けの楽しみ、権力を得る楽しみを全て与えてくれる。

 例えばロシア・ウクライナ紛争。アメリカ人はロシア人をたくさん殺せると大喜び。これ以上ないくらい武器が売れて大儲けで、大喜び。戦争に勝った暁には世界中に対して大威張りだと、とらぬ狸の皮算用。

 過去をたどれば、イラクに対しても、ヨルダンに対しても、アフガニスタンに対しても、リビアに対しても、イランに対しても、ロシアに対しても、日本に対しても、その他多くの国に対して、殺しと金と権力の3点セットである戦争を吹っかけてきた。人非人の国、それがアメリカ。

 戦争ばかりではない。新型コロナ騒動も同じ。アメリカ人はワクチンで世界中の人間を殺せると大喜び。ワクチンが飛ぶように売れて大儲けができて大喜び。ワクチンが欲しければ下僕になれと各国に命じて大威張り。殺しと金と権力の3点セットでウハウハ。そんな国がアメリカなんだな。

 それにしても、ソ連崩壊後のアメリカの手口の汚さは目を覆うばかり。見えも外聞もなく、騙して、殺して、巻き上げてを繰り返すようになった。その理由は、なんだかんだ言っても、アメリカという国が衰退してきているせいだろう。そこが本質。「貧すれば鈍する」の典型が1990年頃から現在に至るまでのアメリカなのだろうなあ。いいところが一つもない。

 この先、アメリカが回復というか、再生というか、勢いを盛り返すことがあるだろうか。将来の世界に何が起きるかを見通すことはできないけれども、今の流れで行けばアメリカは「世界にいくつかある大きな国の一つ」にまで落ちぶれることは間違いないだろう。世界の覇権国ではなくなる。

 ただし、落ちぶれてアメリカの立ち位置が決まるまでは悪あがきをして、手負いの熊のような危険な存在になるかもしれない。なにしろ、世界一大きな船が沈んでいくのだから、その時にできる渦も巨大だろう。巻き込まれないように、できるだけ離れているに限る。

 そのように考えたときに一番危ういのが日本かな。愚かなことに、沈みゆく船にピッタリ付いているのだから。そうではなくて、アメリカからいかにして少しずつ離れたらいいか、いかにして距離を置いたらいいかを考えることが、この先日本に一番必要とされることになる。

 中東やアフリカの国々が続々とBRICSに近寄っている。そういうことなんだと思うよ。「ネズミは沈む船を見捨てる」というが、人間だって同じこと。日本は大丈夫なのだろうか。沈没船と一緒に沈んでいくような馬鹿なネズミにはなりたくないなあ。

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生来の顔貌を変えることの意味

私は人相学に興味があるので、犯罪者や犯罪容疑者の顔写真(本当は「容疑者」の顔写真を一般公開するのは違法ではないかと思うが)が公開されると、「悪党」の顔の特徴が研究できて嬉しい。
ついでだが、刺青やヒゲ、ピアスなども「人相」である。それらによって当人の人格や生き方を示しているからだ。もちろん、それらによる「変装」も、人格の一部である。変装すること自体がある種の生き方を示しており、それは「偽装」を必要とする生き方だ。
刺青や髭やピアスは男の場合「威嚇」の意味が大きい。「敵」あるいは「一般人」をいかに威嚇するかは暴力を生業とする人間の必須項目だ。海賊や兵士が刺青を好むのはその一例であるが、それが民間にまで広がったのは、世界の品性的劣化を顕示していると私は見る。ただし、女性の装身具使用や肉体改造は「威嚇」とは別の、「商品としての肉体」の顕示だろう。もちろん、男と同じく威嚇的意図もある場合もある。女性の刺青などはお歯黒同様に「既婚者」の印として、男の「所有権」を示すものだったこともある。
下の記事の顔写真は、4人とも髭を生やしている。髪型にも、「顔に似合わない」が流行には少し合っているという類似した特徴がある。流行を追うことも、顔に似合わない奇抜な髪型も「俺は流行を追う勇気のない普通の男(人間)とは違う」ことの顕示である。奇抜な髪型という点ではモヒカン刈りやスキンヘッドなどが昔はそれだった。

(以下引用)


【速報】東京・稲城市の強盗事件を指示か 今村磨人容疑者ら4人を再逮捕へ 一連の広域強盗事件の全てを立件 警視庁


配信

FNNプライムオンライン(フジテレビ系)

【画像】今村容疑者ら4人は「ルフィ」「キム」などと名乗って強盗を指示した疑いがもたれている



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たかが芝居屋が哲学や政治を論じる愚劣さ

「AERAdot」記事の一部で、平田オリザが中江兆民の「解説」をしているが、まあ、実際に兆民の「一年有半」や「続一年有半」を読んで書いたかどうか怪しいものだ。「続一年有半」は、日本哲学の傑作、あるいは最高作であり、その主旨は「有神論否定」、つまり「キリスト教否定」にあり、その論理の明晰さは、有神論(特に、ユダヤ・キリスト教)が太刀打ちできるものではない。だから、キリスト教に根差す西洋哲学(日本の哲学者たち含む)は兆民のこの書を完全無視し、「論理破綻している」などと、無根拠に(おそらく説明なしに)頭から否定してきたわけだ。
明治初期の政治思想の状況を「当時の政治思想の迷走」としているのも愚劣であり、国論が定まらないのを「迷走」とするほどのアホさはない。国論がひとつに定まるのを「ファシズム」と言うのであり、それが明治から昭和初期の現実の社会状況で、その時に「複数の考え方」を明示してその性格を論じたた点にこそ「三酔人経綸問答」の素晴らしさがあるのである。

(以下引用)


中江兆民は喉頭癌で余命一年半と宣告されてから、随筆集『一年有半』を書き(1901年)、さらに「わが日本古より今にいたるまで哲学なし」と喝破して、本邦初の本格的な哲学書(となるはずの)『続一年有半』に挑んだ。だが残念ながら『続一年有半』は中江自身が希求したほどの学問としての厳密性からはほど遠く、一部破綻さえしている。余命幾ばくもない兆民に、それだけの仕事を期待するのは無理だったのかもしれない。


 一方、1887年(明治20年)に書かれた『三酔人経綸問答』の生き生きとした筆致はどうだ。当時の政治思想の迷走が、そのまま、滋味あふれる豊かな日本語で綴られている。


『三酔人経綸問答』は題名の通り、三人の酔っぱらいが国家を論じる体裁で進んでいく。国権主義を代表し海外進出を主張する豪傑君。理想論的な民主主義論、非戦論を唱える洋学紳士。そしてそれを、当時の日本の現状に合わせ、現実的に調停しようと試みる南海先生。


 いずれにも中江兆民の姿が偏在し、その苦悩が対話の端々にうかがえる。明治の文学青年たちが、内面だ言文一致だと右往左往していた頃に、政治の世界でこれだけの文学性を持った作品が生まれていたことは驚嘆に値する。


且つ世の所謂民権なる者は、自ら二種有り。英仏の民権は恢復的の民権なり。下より進みて之を取りし者なり。世又一種恩賜的の民権と称す可き者有り。上より恵みて之を与うる者なり。恢復的の民権は下より進取するが故に、其の分量の多寡は、我の随意に定むる所なり。恩賜的の民権は上より恵与するが故に、其の分量の多寡は、我の得て定むる所に非ざるなり。若し恩賜的の民権を得て、直ちに変じて恢復的の民権と為さんと欲するが如きは、豈事理の序ならん哉。


 このくだりは有名な、革命によって獲得した「恢復的な民権」と、政府の裁量の範囲で与えられた「恩賜的な民権」の違いについて述べた箇所だ。


 中江兆民は土佐・高知の産。黒船来航以前、1847年の生まれだから、漱石などよりは、よほど年上になる。幼少の頃に坂本龍馬に会ったという逸話も残っている。


 若くしてフランス語を学び、24歳で岩倉使節団に随行、アメリカから欧州に渡ったのち、フランスに二年ほど残る。帰国後、ルソーの『社会契約論』の漢文訳『民約訳解』を刊行するなどして名をなし、後年は「東洋のルソー」とも呼ばれた。


 二十七歳で東京外国語学校学長に就任するも文部省と対立してすぐに辞職。やがて自由民権運動の理論的支柱となっていく。1890年第一回衆議院議員選挙に当選。民権派の大同団結を図るも数々の裏切りにあって議員を辞職。奇人であり、切れやすい性格でもあったのだろう。八九年に発布された大日本帝国憲法が、前記の「上からの恩賜的な民権」であることに絶望したのも原因の一つだったようだ。


「昨日民権、今日国権」と呼ばれるように、90年代に入ると民権運動、立憲運動は下火になり国粋主義が台頭する。『三酔人経綸問答』で言えば、豪傑君だけが世にはびこる状態に、兆民は徐々に不機嫌になり、厭世的になっていく。


 だが、冒頭記したように、喉頭癌で余命一年半と宣告を受けてから、俄然、作家、思想家としての生命力を取り戻し『一年有半』『続一年有半』を執筆する。特に『一年有半』は当時としては異例のベストセラーとなった。

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或る「精神革命」? www

「神戸だいすき」記事で、記事筆者の人生が(かなり)正直に書かれていると思える。もちろん、公に出した文章だから、すべてが本当とは思わないが、彼女の主観的には「事実」がほとんどだろう。彼女の夫の側から見たら、全然違うかもしれない。
宗教的というか、超自然的な「憑依」や除霊の話は、私は全然信じていない。夫君の「性格が変わった」のは、彼自身の心の中で何かの変革が起こったのではないか。まあ、周囲から見て「人間そのものが変わった」と見られるほどの変化が起こるのは珍しいだろうが、人間は自分の思想によって自分を作るものだから、不思議でも何でもない。べつに悪霊が出て行ったわけではないだろう。
神戸だいすき女史は、働き者の頑張り屋だと思うが、その反面「他責志向」の強い人間だと私には見えるから、女史と暮らしている人間(特に怠け者)は、ちくちく責められていた可能性が強い。その男がもともとは男権的な性格を持っていた場合、その非難がトリガーとなって、暴力的な言動やエゴイスティックな性格を露呈するようになったという可能性が高いように思う。つまり、霊とか宗教とはまったく無関係な話として下の記事は読める。あるいは、転院した病院で、優れた人格の人間(医者や看護婦、あるいは同じ病室の患者)の精神的影響を受けたのかもしれない。

(以下引用)



本当に、主人の人柄が変わってしまったのです。

今日、主治医に会えたから「精神安定剤が効いているのでしょうか?」と、尋ねると「いいえ、むしろ、最近は、減らしているんですよ」と、言われた。

本人は、幸せそうに「24年前、55歳で、倒れて、ここでリハビリをしたことと重なって、気持ちが若返る」と、喜んでいる。

大変穏やかで、いかにも、善良。

こんな人だったかなあ?

いや~違うよ、ささいなことで、かっとなって、物を投げつけるような、扱いにくい人だった。

でも・・・

いや・・・まさか・・・そんなこと?

もしかしたら、であった頃の「好青年」に見えた、あの人かもしれない。

結婚したら、人は変わるというけど、これが、そうなのか?と、思った。
主人の両親は、息子の変貌ぶりに、嫁が悪かったのかと、私のことを、よく思っていなかった。

ようやく、実家での不幸せな暮らしから、逃げ出したのに、次の罠が待っていた…と、私は思った。

何年もたって、ついに、もはや、これまでと、死ぬことまで考えて、宗教教団の門をたたいた。

夢に、主人の祖父が現れ、名前を名乗って、うしろから、私の首を絞めて「苦しいか?わしは、こちらへきてから、ずっと、この目におうている。その姿を、お前の夫に現わしている」と言った。

さかのぼること、8年前。
結婚して8か月たったある夜、2月だった。
夜中の3時に、夫が、私を起こして
「今、左の手足の先から、冷たいものが入ってきて、カラダの半分が氷みたいになった。俺は、このまま死ぬのかな・・・」と言った。

そんなこと言われても・・・

夜中の3時に、起こされてもね~もう一度寝てしまったよ、私は。

けれど、その翌日から、彼の人柄が変わった。

前の日まで、会社から、すっ飛んで帰ってきては、その日あったことを、しゃべりながら、私の後を追っていたのに・・・

苦しい苦しいと言い出して、不機嫌になった。

検査の結果高血圧になっていた。

初めの数年間は、苦しがるだけだったけど、やがて、凶暴になって、子供たちは、父親を見ると泣いた。私は、一人で子育てをしなければならなかった。

少しでも口答えをしたら、物を投げつけられた。
弟が、精神異常で実家にこもっていなければ、離婚して帰ることもできたけど、あっちもこっちも、火の車だった。

本当につらい時、人は「つらい」なんて言葉は口にしない。そんな余裕がない。今この時を、なんとかしてしのぐだけだ。

しのいでしのいでなんとか、暮らしたけど、弟が「幻聴を聞く=統合失調症」だと、気づいたとき、私の絶望は、あまりに深かった。
当時、統合失調症は遺伝すると思われていた。

この子たちの将来はどうなる?
もうこうなったら、この子たちの手を引いて、踏み切りに飛び込むしかない・・・

そこまで追い詰められて、私は、ついに宗教の門をたたいた。

主人の祖父のお施餓鬼をすると、主人の苦しみが、少しましになった。

でも、私は、宗教にそういう力があるとは、信じなかった。
だから「試した」

主人が苦しくなくなったと、言ったとき、ならば、もっと、祖父のお施餓鬼をしようとは思わなかった。本当に、祖父が主人に憑依して苦しませているのなら、許せないほど腹が立った。
私は8年間、苦しんだ。

なんで、そんな相手にお施餓鬼をしてやらなくっちゃならないとも思ったし、

お施餓鬼用紙に名前を書いただけで8年間も苦しんだものが、改善するだなんて、私は、迷信深くはないぞと思った。

だから、その次「苦しい」と言い出すまで、ほっておいた。
3週間後に「息が苦しい」というから、しょうことなしにお施餓鬼をすると、たちまち、楽になった。

その次は3か月後で、その次は2年後だった。

お施餓鬼を繰り返すことで、主人の苦しさは楽になったけど、高血圧は治らず、相変わらず、おこりっぽい、気持ちの通じない人だった。

そのあと、脳卒中で倒れることになり、私は「人生って、まだ、私に、新しい苦労をもたらすのか?」と、思ったよ。

「幸せになりたい。楽になりたい、ほかの人が羨ましい」と、思っていたけど、

なんか、私が幸せを求めると悪魔が、あざ笑って、不幸を投げてくる気がして、もう、幸福なんか望まなくなった。

それまでだって、近所の悪ガキたちのシェルターになったり、いろんな奉仕活動はしてきた、苦労も多かった。でも、それからあとは、自分がやったことを、数えなくなった。

つらく悲しく苦しいのが人生というものだと。あきらめた。

あきらめて何年もたって、さすがに、もう、これ以上の不幸に襲われることはないだろうと油断したとたんに、2度目の脳卒中で主人が倒れた。

さすがに、もう、驚いたり騒いだりはしないよ。人生なんて、こんなものだもの。

一回目の脳卒中の時には、相当衝撃が大きかったので、(もっとも、あんまり苦しがるので男の本厄42歳で死ぬんじゃないかと、覚悟はしてたんだけどね)

宗教の先輩に、訴えた「私の信心が足りないから、こうなったのでしょうか?」
すると、先輩は強く言い切った。
「違います。そんな風に考えなくていい。あなたは、悪くない。」

神様は「ほんとなら、因縁どおりなら、もっと早くに倒れていました。でも、その時期を遅らせていただけたのですよ。」つまり、大難を小難かな?

もう少し前に倒れていたら、子供たちを大学にやれなかった。おおきな運命の狂いが生じるところだった。

これは、乗り越えなければならない道だから、避けては通れない。

そう告げられた。

たとえば、徳積によって、ゼロにしてもらえる悪因縁も、あるけど、絶対に避けて通れない人生の門がある。それは、どうしても超えていくしかない。

宗教をやっていたら、なんでもかんでも、やすやすと災難を避けられるとか、病気にならないなんてことはありません。

その人が、今生で、己を磨くために必要なことなら、絶対に避けられない。

真正面からぶつかって、乗り越えるしかない。どんなに、つらくても、悲しくてもね。

そういう局面はいくつもあるよ。むしろ修行者の方が、たくさん経験する。

だから、今度、主人が倒れて、あっけなく死んでも、あるいは、寝たきりになっても、恐ろしく手間取る介護生活になっても、それは、受け入れるしかない。

不必要な苦労を神仏は与えない。与える苦労は、必要な苦労。魂の成長に必要な苦労だから。

宗教とは心魂を磨くためのものだから。

何が起ころうと、受け入れ、乗り越える。

そう、覚悟するのだけど、冷静ではないよ。血圧は上がるし、平静じゃない。

肩に力が入っている。

そして、今日、初めての主治医との面談。

やはり不安。なにか、絶望的なことがあったら、どうしよう。いやいや、何があっても、負けない!と、自分に言い聞かせながら、今朝は、めまいがした。

けれど、行ってみると、主人は、温和な表情で、幸せそうにしている。
「前向きですから、リハビリにも成果が出ると思います」と、主治医。


ほっとして、帰ってきて、娘にパパの写真を送る。
「だれ?これ。知らない人なんですけど」と、メールがかえってきた。


「そうやねん。私も、誰だかわからない。あんな穏やかな様子を見たことがない」


でも・・・もしかしたら、あの2月の夜、主人の左の手足から入ってきた冷たい塊が、抜けていったのかもしれない。

50年間も、本当の自分じゃないなんてことがあるのだろうか?

出会った時の彼は「出世はしません」と言ったし、全然、頼りがいは無かったけど、冗談好きの明るい性格だった。

それが1年もしないうちに、別人になってしまった。

だから、子供たちは、不機嫌なパパしか知らない。

なんで、結婚したのよ!と、娘に責められる。
だって、昔の結婚では、相手がどんな人かなんてわからなかったんだから・・・

いや、であった頃は、好感のもてる人だった。
あの人は、どこへ行ったのか?と、最初のころは思ったけど、もう、50年間も続くと、すっかりあきらめて、昔の記憶も消えそうになっている。

でも・・・・もしかしたら、50年もたって、であった頃のあの人が返ってきたのかもしれない。

まさか、ありえないけど、ようやく、主人の祖父も、気がすんで、でていったのだろうか?

長い苦労だった。最初は徳積だと言われ、あれこれ打算で動いたけど、やがて、結果を期待しなくなって、それから何十年もたった。

何が何だか、わからないけど、もしか、あの好きでもないけど、悪い人じゃないと判断したあの人が、戻ってきたなら私はうれしい。

終わりよければすべて、よしだもの。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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