ある種の人々にニーチェが好まれるのは、「超人思想」という言葉のためではないか、と私は思っている。つまり、ニーチェの信奉者である自分=超人(に近い人間)という幻想である。
しかも、その「超人」の意味を把握していない可能性が高い気がする。
要するに、ニーチェの言う「超人」とは哲学者であり、アメコミ的なスーパーマンではないのだが、一般人がイメージするのは後者に近いかと思う。
場合によっては「悪人こそ(普通の道徳を超越しているために)超人である」と考える、アニメ的思想(「よう実」など、それだろう。)というか、なろう小説的思想の人間もいるが、そのほうが「通俗道徳」を否定したニーチェに近いだろう。現実には、普通人は悪人という「超人」に蹂躙される「畜群」なのだがww
(以下引用)
しかも、その「超人」の意味を把握していない可能性が高い気がする。
要するに、ニーチェの言う「超人」とは哲学者であり、アメコミ的なスーパーマンではないのだが、一般人がイメージするのは後者に近いかと思う。
場合によっては「悪人こそ(普通の道徳を超越しているために)超人である」と考える、アニメ的思想(「よう実」など、それだろう。)というか、なろう小説的思想の人間もいるが、そのほうが「通俗道徳」を否定したニーチェに近いだろう。現実には、普通人は悪人という「超人」に蹂躙される「畜群」なのだがww
(以下引用)
哲学的分野で言う超人(ちょうじん、ドイツ語: Übermensch、英語: overman、superman、super-human)とは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した概念の一つであり、そのような新しいあり方を体現する人類の呼称である(その、漢字文化圏における表記)。
ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。
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