第二章 エル・ハザード
真が目を覚ました時、そこは学校の裏手ではなく、どこかの森の中だった。
倒れて気を失っていた彼は、目を開けて上半身を起こすと、周りの様子を眺めた。
「いったい、ここはどこなんや。変な所やな。まるでジャングルや」
茂みの中を歩き出した彼は、すぐに何かに躓いて倒れそうになった。
「痛え! 」
真が躓いた物体は、そう声を上げた。
「あ、すんまへん。人がいるなんて気がつきまへんで」
むっくりと身を起こした人物を見て、真は驚きと安心の入り混じった声を出した。
「なあんだ。藤沢先生やないか。何で先生がこんな所におるんでっか」
藤沢はきょろきょろと辺りを見回した。
「真、ここはどこだ。俺はさっきまで校舎の見回りをしていたはずだが。それに、陣内やナナミはどこへ行った」
「えっ、陣内も一緒やったんですか」
真は昨夜(だろうと思うが)陣内に襲われたことを藤沢に話した。
「まさか、いくら陣内がおかしな奴でも、そこまではせんだろう」
藤沢は笑って、信じない様子である。
「まあ、ええわ。それより、ナナミちゃんも一緒やったんなら、どこへ行ったんやろな」
真は歩き出した。その後から藤沢もついてくる。
しかし、周りの様子は、どう見ても日本の森の中には見えない。どことなく、東南アジアの森の中といった雰囲気であり、時折見える動物も、見慣れない奇妙な生き物ばかりだ。
「どうも学校の裏山には見えんなあ」
藤沢も頼りない声を出した。
その時、がさがさと茂みを分けて、二人の前に現れた生き物がいた。二人はそれを見て呆然となった。
体長三メートルほどのその生き物は、どう見ても昆虫である。強いて言えば、巨大な蟻だろうか。しかし、体長三メートルの蟻がいるものだろうか。しかも、一匹だけではない。
その巨大蟻たちは、ギギギと不気味な声を上げながら二人に迫ってきた。後ろ足で立ち、前足は威嚇するように振り上げている。その体の大きさからすれば、前足の一撃は相当な威力だろう。下手をしたら、死んでしまうかもしれない。
逃げ出そうとした二人の前に、他の蟻が素早く回りこんだ。スピードも相当なものだ。
「あかん、先生、どないしましょう」
「どないも糞も、戦うしかないだろう」
藤沢は、ヤケクソの勇気を奮って、巨大蟻に向かって行った。その足の速さに真は驚いた。山男で力は強い方だが、いつものそのそして鈍そうな男だったのである。カール・ルイスみたいな速さで蟻の懐に飛び込んだ藤沢は、パンチを振るった。
なんと、巨大蟻は、五メートルほども吹っ飛んでぶっ倒れた。
「なんや、見かけ倒しやな」
真は近くにいた蟻に自分も向かっていこうとした。しかし、その蟻が振り回した前足で、木の幹が簡単にへし折られたのを見て、彼は悲鳴を上げて退却した。
「こら、あかん。見かけ倒しでも何でもあらへん。でも、何で藤沢先生、あんなに強いんや?」
蟻に追われながら、真は藤沢が次々に巨大蟻たちを倒していくのを見た。だらしないジャージー姿の藤沢が、特撮ヒーロー物の主人公みたいに敵を倒す有り様は、奇妙な眺めであったが、暢気に眺めている余裕はない。幸い、真は元陸上部員でもあり、足には自信があった。
突然、蟻たちの様子が変わった。一斉に、ある方向を見て、それからさっと退却したのである。藤沢に殴り倒された奴らも、何とか起きて茂みの中に姿を消した。
「おおい、大丈夫か」
遠くから人声が聞こえた。いや、聞こえたような気がした。というのは、その声は耳で聞いたというよりは、真の心の中にふと思い浮かんだだけのように思えたのである。
彼らが戦っていたのは、茂みの間のちょっとした空き地であったが、その一方から現れたのは、奇妙な服装の男たちだった。アラビアンナイトにでも出てきそうなパンタルーンにチョッキ姿で、手には弓矢や刀を持っている。すべて本物の武器のように見える。
真と藤沢は互いに顔を見合わせた。
「こんな森の中を無用心に歩いていては、バグロムに襲われても当たり前というもの。気をつけなさい」
先頭の男が二人に言ったが、その男は真の顔を見て、はっと驚いた顔をした。
「パトラ王女様!」
彼らは互いに顔を見合わせてざわざわとした。
「王女様がいた!」
「しかし、あの格好は何だ」
「いや、あれは王女様ではない。良く似ておるが」
「王女様だろう、まさか、あれほど似ている人間が二人といるはずがない」
真はこらえきれず、口を開いた。
「王女様、王女様って、いったい何です。僕は男ですよ」
男たちは驚いた顔をした。
「お前、どこの人間だ。それはどこの言葉だ」
真は、男が喋る時に口を開いてないことに気がついて、驚いた。まさか、彼らはテレパシーで話しているのだろうか?
「僕らは東雲高校の生徒と先生です。ここはいったいどこです? ディズニーランドかどっかですか。それにしてもさっきの蟻は良くできていましたな」
「?」
「?」
「?」
「?」
男たちが真の言葉に途方に暮れているのが真には分かった。
「おい、真、こいつはアトラクションでもなんでもなさそうだぜ。だって、俺のこの力を見ろよ」
藤沢が、傍らの大木に手刀を打ち下ろした。大木は見事にへし折られて、大きな音を立てながら倒れた。
「こいつには何のトリックも無いことは、俺の手応えで分かる。しかし、俺は何でこんな力を持っているんだ? そいつが分からねえ」
男たちも藤沢の怪力に驚いていたが、やがてそのリーダーらしい男が二人に丁重に言った。
「どうやら、あなた方は不思議な世界から来られたようだ。わがロシュタルの宮殿に客としてお迎えしよう」
真と藤沢は顔を見合わせたが、この申し出を承知することにした。ほかには、今の奇妙な事態を解決する妙案もなかったからである。
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