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我が愛のエル・ハザード 1

   第一章 夜の学校

 1999年9月9日金曜日、午後九時、S県立東雲高校では翌日の文化祭を前に四人の人間が夜の校舎に残っていた。化学部の出し物の仕上げに居残りしていた二年生の水原真、宿直の教師藤沢真理、その藤沢に夜食の弁当を売りつけようとしてわざわざ学校にやってきた二年生の陣内ナナミ、ナナミの兄である陣内克彦の四人である。陣内は、この高校の生徒会長であったが、幼い頃から真を自分の永遠のライバルと見做し、真がいなくならない限り、自分の栄光は無い、という妄想に駆られて、真を闇討ちするというとんでもない目的で、この夜中に学校に訪れたのであった。
「やあ、陣内君、どうしたん。何か僕に用でもあるんかいな」
 真は無邪気な笑顔を陣内に向けた。真の方は陣内に対して幼馴染としての親愛感しか持っていない。まして、その妹のナナミとは仲の良い友人である。
「水原あ。お、お前さえいなければ、俺は、俺はなあ……」
 陣内は後ろに隠し持ったバットを振り上げた。
「陣内君、何するんや!」
 小学校の時に関東のこの県に越してきて、今なお大阪弁の治らない真は、大阪弁の悲鳴をあげて、後ろを向いて逃げ出した。
 バットを振り回しながら追う陣内の攻撃を避けながら、真は部室の戸口から逃げ出し、階段を駆け下りて、校舎の裏側に廻った。
 教室の敷居につまずいて転んだ陣内は、真がどこに行ったのか見失い、校舎の表側に廻った。
 校舎の東の端に宿直室があり、そこから明りが漏れている。
(ふん、きっと助けを求めてあそこに逃げ込んだに違いない。だらしの無い奴だ。男なら正々堂々と勝負せんか)
 相手を闇討ちしようとした自分の卑怯さは棚に上げて、陣内はそう一人ごちた。こうした自分勝手さと、根拠の無い自信と妄想がこの男の特徴である。
「あら、お兄ちゃん、何でこんな所にいるのよ」
 宿直室の中には、陣内の妹のナナミがいた。可愛い顔をしているが、金儲けが何より好きな、ガッチリ屋の女の子だ。
「お前こそ、こんな所で何をしている」
 陣内は、ナナミの前にいた教師の藤沢をジロリと見た。こちらは、山歩きと酒と教育以外には興味の無い、野暮な独身教師である。
「い、いや、陣内君、これはナナミ君が私に夜食を持ってきて、というか、弁当を売りつけに来ただけで、べつに怪しいことはしていないんだ」
「ナナミがどうしようとかまいませんよ。しかし、先生、ここに誰か来ませんでしたか。さっき、怪しい奴の姿を見かけたんですがね」
 藤沢は陣内が手にしているバットを見た。
「泥棒か?」
「多分、そうでしょう。まあ、私を恐れてもう逃げてしまったかもしれませんがね」
 後で水原から訴えられた時に、泥棒と思って殴りかかったのだという言い訳をしようという考えなのである。そういう点では頭の回る男であった。
 三人は、校内の見回りをしてみようと外に出た。

 その頃、水原真の身の上には不思議な事が起こっていた。
 校舎の裏手に回った彼は、校舎の裏側に五メートルほど離れて聳える崖の土が突然に崩れ、そこから闇の中に眩いほどの光が溢れ出すのを見た。
 眩しさに目を細めて見ると、その光の中から人の姿のような物が現れ、その姿は彼に向かって歩いてきた。
 驚いている彼の前で、光の中の人影は若い女性の姿となった。しかし、何と奇妙な姿だろう。体にぴったりした濃紺のウエットスーツのような服の上に、艶やかに光る材質の、戦国武将の羽織をモダンにしたような長い上着を着ている。天女のようにも、中国の武者のようにも見える姿だ。肩までかかる紫色の髪は長くウエーブし、その髪を覆うような薄い布の髪飾りが特徴的だ。
「真、真、やっと会えたね」
 その若い女性は、(しかし、何という美しさだろう。真はこれまで、これほどの美人を見たことが無かった。そもそも、日本人とも西洋人ともつかない顔で、強いて言えば、憂いを帯びた天使のような美しさである。)真を見て、目に一杯の涙を溜め、愛情に溢れた切なげな笑顔を浮かべて彼に手を差し伸べた。その低いかすかな声は、深く真の心に染み透っていった。
 真はわけがわからず、呆然として立ちすくんだ。
「一万年……。一万年、この時を待っていた」
 その女性は、真に近づき、彼の胸に顔を埋めた。そして、かすかな声で囁いた。
「夢を……
夢を見たよ。
……
数え切れない夜の間で、
ただお前の夢だけを……
見ていたよ……」
 真は永遠の彼方から聞こえてくるようなその囁きを聞き、心なしか甘い匂いのする髪をただ見下ろしていた。
「時間が無い」
 その女性は突然真の胸から顔を離し、一歩後ずさった。
「一万年の間に私の体は消耗し尽くした。私には、ただお前をエル・ハザードに送り届ける力しか残されていない。後は、お前に任せたよ」
 女性は胸に手を組み、何か祈り始めた。
「ちょ、ちょっと。何の事やら、僕にはさっぱり……」
 女性は涙を一杯に溜めた目で真をじっと見て、悲しげな微笑を浮かべた。
「あの、懐かしい世界に行ったら、私によろしく言っておくれ」
 突然、その女性の体から目も眩むような光が溢れ出て、その光はあたり一面に広がった。真はその光に包まれて気を失った。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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