私が年金生活に入って、すでに5年くらいになるのだが、私の場合は、厚生年金でありながら国民年金の月あたり平均65000円よりも、はるかに低い5万円前後だ。
 だから、月5万円での生活設計は、極めて苛酷なものであり、光熱通信費と食費だけでもオーバーしてしまう。

 加えて、車がなければ生きてゆけない地域(近いスーパーまで徒歩3時間かかる)なので、燃料代や税金など維持費は、まるまる赤字になって重くのしかかってくる。
 まあ、少ない預金は毎月減って行くばかりなので、金の切れ目が命の切れ目と覚悟している。行政から不快な嫌がらせを受ける生活保護より、庭にテントを張って七輪で暖をとり、そのままオサラバすることを考えている。

 以前、近所の高度差100mある高所橋を見て回ったが、近いのは福岡大橋で、これは探すのが難しい場所にあるので知っている人は少ないが、特段の飛び降り防止措置もないので容易に使える。もし宣伝すれば、飛び降りの名所になるかもしれない。
 ただし、下が岩場で100mという落差は、そうとう恐ろしい姿に変貌することを覚悟したほうがいい。

 八百津の新旅足橋なんか、数名が飛び降りたらしいが、高度差200mあるとバラバラになってしまうらしい。今は、バンジーで生きたまま飛び降り自殺の体験ができると評判だ。
 ただ、川床に激突した人は例外なくとんでもない姿になる。遺体を拾い集める係員は、これは左足、これは顎、これは脳味噌なんてゴミバサミで淡々と集めてゆく手間が、恐山の賽河原のようで、私は恐怖で意欲を失った。

 まあ、死後も人間の姿を保ちたいなら、木曽川の城山大橋や源済橋、恵那峡大橋あたりを使った方がいい。飛び降りれば、大井ダム湖に沈み、数十日かかってガスによって浮き上がり、大井ダム堰堤の流木トラップに捕獲されることになる。
 恵那峡大橋は飛び降りの名所で、霊感の強い人が近づくと全身金縛りに遭うことが多い。私も心底怖い思いをした経験がある。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/article/493726782.html

 死を身近に考えなければならないほどの低年金暮らしの実態はというと、金食い虫を減らすことが絶対命題になる。
 最大の金食い虫は、光熱通信費と車だ。私の場合も毎月3万円以上かかっているので、いよいよとなったら、趣味のブログ書きをやめてネットを解約するしかない。
 冷暖房もできる限り節約しなければならないので、とにかく寒い思いを耐え忍んでいる。マイナス5度以下に下がる夜は、布団にくるまっても顔に痛みを感じる。
 マイナス10度以下になると逆に寒さを感じにくくなる。これは気温を体に伝える湿気が失われるせいだろう。

 食事は、もちろん100%自炊で、外食など何年も経験していない。おおむね一食200円以下に抑えないと、月あたり予算2万円には収まらないのだ。
 食材は、スーパーの閉店1時間程度前に、売れ残り半額サービス品を買うのだが、数年前まで、競争者が少なく、半額品がかなり自由に買えたのだが、今は違う。
 同じことを考える低年金老人や、普通の主婦までも売れ残り品を狙って競争が激しくなっている。

 昔のバブル時代の記憶を考えると、本当に「日本は貧しくなったのだ」と実感させられる。1980年代なら、ホームレスでも廃棄食料を自由に手に入れることができた。スーパーやコンビニのゴミ箱には、期限切れ商品が満載だったのだ。
 今はホームレスも廃棄食品を手に入れるのは困難だろう。公園の野宿者炊き出しには、普通の生活者までたくさん並んでいるという。
 https://tanakaryusaku.jp/2023/08/00029324

 ホームレスや低年金老人が生きて行く上で、大きな困難は、やはり気温の問題ではないだろうか?
 夏場の暑さは耐えがたいものになってきているが、問題は冬場で、温暖化とはいうが、零下数度の寒さでの野宿は、私が正月に南アルプスに上って幕営していたときよりも厳しいかもしれない。

 私の記憶では、1980年前後だが、名古屋駅周辺で一晩に7名ものホームレスが凍死したことがあった。さぞ辛かっただろう。彼らの死に場所にゆくと、なぜか冷たい風を感じて、不安感で恐ろしくなるのだ。死者が自分の体験を伝えようとしているように思えた。
 これをきっかけに、名古屋市は冬場のホームレス対策として船見寮の解放がはじまった。

 中津川では家のないホームレスは凍死が約束されている。冬場マイナス7度まで下がることが普通だから、公園などで寝たり、歩き回っても耐えられるものではない。
 もし生き延びることができるとすれば、犯罪を犯して警察に逮捕されることしかない。今や、刑務所は日本最後のセーフティネットであり、犯罪者は自分の命を守るために進んで刑務所に行くしかない。
 これが自民党政権が作った新自由主義の社会だ。

 昼間は、まだ図書館や役場などの公共機関に自由に立ち入れるので、時間を潰すのに快適な空間が約束されている。
 だから、今や図書館や大手スーパーの休憩空間は、夏も冬も冷暖房代金を節約する目的で時間つぶしする低年金老人たちで溢れているのだ。
 だが、夜は追い出されるので、仕方なしに自宅に帰るが、高価な灯油を使えず、コタツに入って厚着して寒さを耐え忍ぶ人が多い。

 もちろん、私も18リットル2000円以上している灯油を自由に使えず、コタツに軽羽毛服でいることが多い。灯油ストーブで暖をとると、18リットルなど三日程度で使い切ってしまうからだ。

 私の場合は、公共機関が遠いので利用できず、昼間はブログを書いて、肺線維症の呼吸トレーニングのため歩いていて、家に帰るとネットを見て情報収集しているのだが、新聞は高価だし、テレビは受信障害で基本的に視聴できないので、結局、ネットを相手にするしかない。ネット利用のデメリットは、視力が落ちることだ。

 たまには対話したくて、外出し集会などに顔を出したいのだが、残念ながら交通費などの問題から、遠方に出かけてゆくことは不可能だ。
 昔は居酒屋にも行ったのだが、もう20年近く行っていないし、行けるはずもない。
 まったく孤立して、誰とも対話しない生活が長く続いている。
 もちろん、年金暮らしで逼迫するようになって、大好きな温泉なども行けなくなった。昔は乗鞍高原温泉に年に数回も通ったものだが。
 日帰り温泉も10年くらい行っていない。床屋も金がかかるので、自分で散髪している。

 こうした孤立したライフスタイルで心配になるのは、認知症の進行である。もう20年も前から、単語が出にくくなり、「あれ、それ」の指示代名詞ばかりを使う認知症初期段階だったのだが、物忘れは年々激しくなるばかりで、このブログを書いていても、小さなミスを頻発しながら、目が悪いので推敲ができないのだ。
 やはり、他人との対話が、認知症の進行を抑制してくれるのは間違いなく、孤独な生活は、閉ざされた思考回路で、脳の劣化をどんどん早めてゆくような気がする。

 だが、私の場合は、呼吸トレーニングを数日もさぼると、夜中に息苦しくなって眠れなくなるので、ほぼ毎日山道を7000~10000歩歩いていて、このとき、結構脳細胞が活性化されているため、認知症の進行を遅らせてくれていると確信している。
 でも、ブログを書いていて、毎日のように自分の思考回路の劣化を思い知らされる機会があって、消えゆく老兵として悲しい思いをしている。