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今朝の夢から考えたリーダー論

こんな夢を見た。
と言うと黒澤明の「夢」か漱石の「夢十夜」みたいだが、そんな芸術的文芸的な夢ではない。
ただ、自分自身にとっては何となく面白かったから備忘的に書くだけだ。
最近の私が見る夢の中では、私自身は現在の自分であるが、今朝の夢(夢はだいたい覚醒直前に見るものだろう。)の中では私は大学生だった。
私にとっては大学時代は朦朧とした不安な悪夢の時代であり、当時の自分は迷子のようなものだったが、今朝の夢の中では、私は大学中退後、社会人を経由して大学に戻ったものの、大学の講義などまったく受けておらず、授業で何が行われているのかも知らない、という状態であった。ところが、久々に大学に行くと、何故か、同級生の男女が私に、今日の授業は理科(物理か)の実験だが、教授が不在で、実験の進行ができないから、私に進行役(あるいは司会のような役)をやってくれ、と言うのである。私が、りゅうとした身なり(背広姿)をし、学生たちの中で唯一、大人らしい見かけだったからだろうか。
もちろん、私には無理だ、と断ったが、他にやる人がいない、と言うので仕方なくやることになった。私はもともと人前に出るのも人前で話すのも苦手な人間なのである。
で、私が承知したのは、「失敗すれば大学をやめればいいさ」と考えたからである。
まあ、大学をやめるも何も、こんな無理に押しつけられた仕事の責任を取る必要など何も無いのだが、他の人間の中に責任を取れる人間がいないならば、自分が責任を取るのが一番荷が軽い、というわけだ。
で、結果を言うと、私の司会は大成功で、そもそも、実験の内容や進め方自体は学生たち自身がよく承知しており、ただ、授業全体を進行させることについて、責任の取れる人間がいなくて困っていた、ということだったのである。
これが私の夢の大要だが、夢から覚めた後、私は、これはリーダーというもの、あるいは進行役というものの本質を示しているのではないかなあ、と考えた。
ちなみに、その時の実験は電気関係の実験で私がもっとも苦手とするもので、私自身はそれについて何一つ知識は無かった。ただ、檀上で挨拶をし、「気楽な気持ちで、互いに教えあって実験を進めていこう」、と言い、始めの号令をかけただけだ。そうすると、学生たちは、自分たちで行動を始め、要するに、「事態が動き出した」のである。
つまり、リーダーとは、何よりも「号令をかける」存在であり、集団行動の「責任を取る」存在であれば、それでいいのではないか、というのが夢から覚めた後の私の感想だったのだ。リーダー自身が仕事の内容を知っている必要はない。むしろ、無知なくせに現場に口を出すリーダーほど有害なものはない。(マクドナルドの原田泳幸などがそれだった。)口を出した上に失敗の責任を取らないリーダーは最悪だろう。(原田泳幸や、旧日本軍参謀本部がそれだった。)
人間は弱いものだから、「責任を取る」ことをひどく恐れる。日本人は特にそうだろう。
リーダー不在の集団は烏合の衆となる。
はったりだけの、無責任なリーダーの下の集団は、まとまりはしても破滅的行動に進むことになる。
現場には英知がある。しかし、集団が動くには、その英知を活かす舵取りが必要だ。舵取りには舵取りとしての熟練と能力が必要になる。多くの組織トップにはその能力は無い。その無能さの自覚がないことが最悪なのだ。その無能さの自覚があれば、有能な舵取りを自分の下に雇えばいいのである。すなわち、軍師的存在だ。
つまり、舵取りの上に号令役が必要なのである。現場に英知があれば、リーダーは、「責任は俺が取る」と言える人間なら、それで十分なのだ。





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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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