で、疑問が2点あって、
1:「カエル化」とは、自分がカエルになるのか、相手がカエルになるのか。
2:元のグリム童話では、「カエルが人間化したので、王女が元カエルの人間を好きになる」のであって、これは「人間化」ではないか。しかも、「好きになる」話だのに、なぜ「嫌いになる話」のための言葉になったのか。
まあ、「人間化」では意味不明だから、「カエル化」にしたのだろう。マスコミ的な変造である。しかし、流行語としての「カエル化」ならば、「相手がカエル化して嫌いになる」わけだ。
その事例もよく分からない。
「好きだった相手が自分を好きだと分かったので嫌いになる」というのは、本当にある現象なのかどうかは知らないが、ジョークとしては昔からある。
有名なのは、グルーチョ・マルクスがある社交クラブへ勧誘されたときの拒絶の言葉で、
「私は私をメンバーにするようなクラブには加盟したくない」
というものである。しかし、現在の「カエル化」には、これほどのユーモアは無い。単に、意味不明の原因で相手に冷めるというだけだ。
自己肯定感の低さという点では、私がお気に入りの横島忠夫(「GS美神」)の「自分ほど信じられないものがあるかあ!」とか、吾妻ひでおの何かの漫画の中の「モテないのは、何とほっとする(心が安らぐ)ものだろう」などがある。後者は、女性を惹きつけるホルモンか何かのせいであらゆる女性に追いかけられてへとへとになった時の言葉である。まあ、私はそういう経験はないが、モテないのが心安らぐことはよく理解している。ところが、女性は概して異性に好かれるという嵐の中に身を投じることに生きがいを感じるようである。もっとも、今の女性もそうかどうかは知らない。「スキップとローファー」の結月のように、美人度が高い女性などは案外モテることにうんざりしているのではないか。
多くの女性は、美人であることの面倒くささ(生きにくさ)を想像できないのではないだろうか。自分を好きだという相手を拒絶することの苦痛や心理的負担は、当の美人が(結月のように)善良であるほど大きいだろう。
(以下引用)
蛙化現象は、王女から気持ち悪がられていたカエルが、王子様の姿に変身してハッピーエンドを迎えるグリム童話の「カエルの王さま」が由来で、恋愛での突然の心変わりを表す。
精神科医で、府中こころ診療所の春日雄一郎院長によると、蛙化現象には2つの定義がある。元々は好意を持っている相手が自分に好意を持っていることが分かると、急に相手に嫌悪感を感じてしまうことを表していた。平成16年に初めて日本心理学会大会で論文が出たという。
最近は、交際相手などの嫌な面を見たときに急に相手に幻滅し、好意が消えてしまう意味でも使われるようになったという。春日院長は、「若者の間で『蛙化現象』がSNS(交流サイト)で拡散し、流行語で1位となったのも、この新しい意味での使われ方が共感を集めて広がったことが大きい」と指摘する。
元々の蛙化現象は、自己肯定感の低下が背景にあるという。「自分を否定するのと同じように、自分を好きになった相手を否定したり、いずれ嫌われてしまうという不安が要因になったりする」(春日院長)。