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欧米人種の気色の悪い似非人道主義

「日刊リウイチ」から転載。
マスコミの扇情主義も、それが正しい目的のためなら可とすべきかもしれないが、一少年の死体の写真(だと思う。私はそれを見ていないし、よく知らない。)が、これまでリビアやシリアやイラクで死んだ何百万人という数字よりも簡単に世界の世論を動かすとすれば、素直にはその動きを眺めることはできない。
イギリスの首相(キャメロンか。つまらない顔の男である。民主党の野田元総理に似ている。)がシリア難民を子供に限定して受け入れることにした、というのも素直には聞けない。要するに、マララ・ユスフザイのような広告塔を作るだけではないのか。もちろん、そのように利用されることが、その子供たちにとっては幸福かもしれないが、マララを何人作ろうが、欧米支配層がシリア(や他の中東・アフリカ諸国)の内乱を操作することをやめさせない限り、何百万の死体と何百万の難民がこれからも生まれるだけである。
なお、今回の記事題名は私の白人嫌悪をそのまま出したものだ。欧米人種ではなく、欧米支配層の偽善(似非人道主義)と書くべきかもしれないが、このままだと白人全体が世界の憎悪の対象となるぞ、という警鐘として、あえて書いた。実際、私の欧米支配層嫌悪は白人嫌悪にすら至りつつある。


(以下引用)


【9月7日】 欧州を騒がしている移民の問題について考えていて、それが日本で起こった場合に何が起こるんだろうかと思考を巡らせ、やっぱり起こるのは先住している日本人たちとの軋轢だろうなあと思い至って、そういえば日本でもブラジルから出稼ぎに来た人たちと、前から住んでいる人たちの軋轢が問題になった愛知県は豊田市の保見団地があったなあと思いだし、今いったいどうなっているかを調べていて、ヒットした藤野眞功さんによる「裕福な国で生き延びるための5つの方法 -落下と着地」というルポルタージュが、移民たちの状況というよりはむしろ、円が大金になる“故国”を持たない日本の若者達が永劫において抱える鬱屈した気分を浮かび上がらせ、それがこの国を漆黒の闇へと陥らせかねない不安を感じさせた。

 保見団地については初期、ブラジルからトヨタ自動車やその関連会社の工場なんかに出稼ぎに来たブラジルの日系人たちと、古くから団地に住んでいる人たちのと間にどうしてもあった文化の違いが問題になって、いろいろと取りざたされたことがあった。ゴーストタウンとか、言葉は最悪だけれどゲットーとかそんな言われ方をされた時期もあったけれど、長い時間が経つに連れてそこで暮らす人たちの間で対話が行われるようになり、話さなければ分からないという前からの住民の活動、溶け込むならば自分たちもそうなろうとするブラジル出身の人たちの努力もあって融和は図られ、それでいてしっかりとブラジルのカラーも残した街になって来ているという、そんな記事を読んだ記憶もある。

 そしてこのルポルタージュは、話しかけても無視するし初対面では壁がある日本人の性向も理解しつつ、この日本で暮らしているブラジルからの出稼ぎ者やその子供たちの生態、そういう開けっぴろげなブラジル系の人たちに好意を抱く日本人たちの心情を描いて、わかり合えれば融和は進むんだとう可能性を感じさせてくれた。だからむしろ厄介なのは、移民というだけで会いもしないで嫌悪を抱き、過去にあった軋轢だけを覚えて増幅して語って今を現実とは違った姿で映し出し、分断を図ろうとする勢力がいることで、そうではないってことを情報によって発信し、時間と対話があれば人は融和できるという可能性を示すことが大事なんだけれど、メディアはよりセンセーショナルで悲劇的な文脈を追いたがるから困りもの。ガンから回復して寛解したアイドルのルポルタージュ番組が寛解したからなくなったとかいった具合に。こっちの方が病気に苦しむ人によほど希望を与えるのに、死の悲劇なんかよりも。

 そんな風に煽り立てて分断しようとする空気が一方にあって、そして現実の世界でままならず円が何倍もの価値になる“故国”を持たずにこの国で、生き続けなければならない日本生まれの日本育ちで日本で死んでいくだろう若者達が抱える鬱屈が招く、他者への理由のない恐れと怒りとやっかみが、これから本格化するだろう移民という存在へのヘイトを呼んでこの国を喧噪と不安に陥らせかねないかと心配でならない。敵意を向けられた相手は親愛を逆転させて怒りを暴走させ、そして起こるさらなる軋轢。負の連鎖。それだけは避けたいのだけれど…。だからこそ保見団地の事例はもっと読まれるべきでしら得るべき。このルポルタージュを含めいろいろと読んでいきたいなあ。何かあるかな他に。しかし保見団地、車で近所は通ったけれど入ったことはないのだった。どんなとこだろう。サンバでシェラスコでロナウジーニョなのかな。

 しかしシリアから逃げ出しながらもボートが沈んで、海に投げ出されて亡くなった少年の痛ましい画像に映像が世に出回ったとたんに、世論が一気に移民の受け入れへと向かった欧州のその態度を、それでも前向きなことは良いことだと思いたい一方で、根本となるシリアの内戦をどうするかといったところに話が及ばず、これからも悲劇が生まれかねない状況を結果として認容しているのは、やっぱり態度として昔ながらの二枚舌だよなあとも感じて、国家というものの面倒くささを改めて感じたり。ただやっぱり動こうという態度は立派で、日本でもそうなれば良いんだけれども前述のように移民に対する意識がどうにも排外的で、可愛そうだけれど受け入れるかは別といった切り分けの中で時間ばかりが過ぎていきそう。とはいえ数年で終わる話でもなし。隣国の崩壊から来る大量の難民も視野に入っているだけに、いずれ何らかの対応を迫られるだろう。その時にどうなるか。今から気がかり。

 そうした世界で起こる悲劇を世に喧伝しようとする動きの中にも、どこか扇情的なものが出始めていてそれで引く人も出かねないと心配。なるほどナパーム弾で大火傷をしたベトナムの少女の写真があり、アフリカでハゲワシに狙われているような少女の写真があって、どちらも戦場や紛争がもたらした少年少女の悲劇を切り取って世界を動かした。ただベトナムの少女は今も存命であることが分かっているし、ハゲワシの少女は同一画面に収まってある文脈を醸し出しただけで、その場で少女が食われた訳も息絶えた訳でもない。そういう画像は今見てもその存命を信じることができるのに対して、海岸に流れ着いた少年は明白な遺体であって、その生を絶対に信じることができない。けれども今、それらを横並びにして悲劇として語ろうとする動きが出始めている。

 子供が犠牲になる悲しみを、センセーショナルな画像を連ねて表現し、悲しみを止めようとする行動や思考には賛成したい部分もない訳ではないけれど、今、すぐそこで起こったばかりの明白な死をつきつけられると、浮かぶ戸惑いの方が大きかったりする。何よりカナダに暮らしているという少年のおばさんなりという人が、遺体の画像を使うことよりもかつて生きていた少年の画像を見せることで、その断たれた生への思いをはせ、失われた生への慈しみを覚えて欲しいと言っているのだから、直接的な表現から瞬間の憤りを覚えさせるのではなくて、間接的な表現の中から広く大きな想像を醸し出せるような報じ方、運動の仕方を採用して欲しいんだけれど、でもやっぱり扇情に走るんだろうなあ、その方が“稼げる”し。厄介な時代に生きている。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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