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お米がなければ小麦を食べればいいじゃない

未だに、去年から今年のコメ価格の異常高騰の「犯人」は不明だが、その推理の手がかりは江戸時代のコメの先物取引にあるかと思う。つまり、流通予測される数量のコメの大半を誰かが買い占めたということだ。それくらいのカネを持つ超富豪はDSはもちろん、日本の中にもいるだろう。あるいは、政府そのものが犯人だという可能性もある。
だが、この「犯行」は、大損に終わる可能性がある。それは、少し前のトマトやレタスの異常高値を見ればよい。それらが異常な高値になった結果、その高値で買った人はおそらく少数で、大多数はトマトやレタスを食べなくなったはずである。そして今、レタスが1個100円という安値でも、さほど買う人はなく、レタスは棚の上でしおれ、廃棄されている。トマトも同様だ。
つまり、食料品(特に生鮮品)を投機対象にするリスクは大きいということである。消費者はもちろん、投機者も誰も得しない。これから市場に出てくるコメは、最初から古米か古古米である可能性が高いと思う。

(以下引用)

前回の続きになります。


 


 


 


 


徳川吉宗は、幕藩体制の中核に位置する「」の価格安定のため、大坂に存在した「ある重要な市場」を公認することになりましたが、この市場とは何か


 


 


 


ということでした


 


 


 


 


 


答えは、大坂堂島米市場です。


 


 


 


 


1730(享保15)年、江戸幕府は堂島米市場における「空米取引(からまいとりひき)」を公認します。


 


 


 


空米取引」とは、米相場(相場とは、市場で取引される品物の値段のこと)を利用した先物取引(さきものとりひき)のことです。


 


 


 


先物取引とは、「現時点では存在しない商品(近い未来に存在する商品)」を売ったり、買ったりする商取引のことです。


 


 


 


米における先物取引では、現物の米を取引するのではなく、米相場の変動の結果生ずる取引代金の差額のみが決済されます。


 


 


 


現物の米の売り買いを伴わない帳簿の上だけの取引であるので、空米取引帳合米取引(ちょうあいまいとりひき)とも言う】と呼ばれたのです。


 


 


 


難関大学受験の際には、知っておいてよい用語になります。


 


 


 


 


空米取引は、純然たる投機目的(将来の価格の変動を予想して、現在の価格との差額を利得する目的で行われる売買)としても利用されたのですが、堂島米市場での現物取引である正米取引(しょうまいとりひき)に対する一種の保険としても盛んに利用されていました。


 


 


 


 


 


例えば、


 


 


 


 


 


米を売る側が、「米10㎏を5,000円で売る」という約束のもとに、購入者と売買契約を結んだとします。


 


 


 


 


しかし米の大豊作によって、米の実際の取引価格が「米10㎏で1,000円」となってしまったとしても、「米10㎏を5,000円」で売るという契約が結ばれていますので、米を売る側は収入を確保することができます。


 


 


 


 


また米を購入する側にとって、「米10㎏を5,000円で買う」という契約をしておいた場合、もしも大凶作で「米10㎏が20,000円」と高騰してしまった際でも、「米10㎏を5,000円」で購入することができるわけですから、米を高値で購入するというリスクを回避することが可能となります。


 


 


 


 


このように、米価変動に伴う現物取引での損失を回避することができたので、空米取引は信用の高い取引として、実に利用価値の高いものとなりました。


 


 


 


 


 


当時の社会は米経済でしたので、米の取引における安心・安全を提供してくれる堂島米市場の利用価値は上昇し、米の取引が盛んに行われるようになりました。


 


 


 


 


こうして米の需要が高まり、米価が高値をつけるようになっていくのです。


 


 


 


 


幕府が空米取引を公認した最大の理由は、まさにこの点にありました。


 


 


 


 


つまり、幕府が空米取引を公認したことにより、米取引の需要が増大し、米価が高値になるという方法を考案したのです。


 


 


 


 


 


米価上昇に関する方策として、幕府は様々な方法を考案しています。


 


 


 


 


高埜利彦『日本の歴史元禄・享保の時代』集英社 1992年」


 


 


 


 


を参考にすると、次のように記述されています。


 


 


 


 


1730(享保15)年、幕府は年貢米60万石を籾(もみ)のまま貯蔵して、60万石を米市場から購入し、さらに諸大名や大坂の商人にも同様の方法を勧めて米の需要を高めさせた。」


 


 


 


つまり、市中に出回る米の量を減少させることによって、米の価値(需要)を高め、米価の上昇を図ったのです。


 


 


 


 


さらには、「酒造を積極的に奨励する」という政策も実施しています。


 


 


 


酒(日本酒)造には、大量の米が必要とされます。


 


 


 


 


米の需要を高めることによって、米価の引き上げを意図したわけです。


 


 


 


 


 


米価が下落してしまえば、せっかく増徴した年貢米も低い価格で換金されてしまうことになり、増収は見込めなくなってしまいます


 


 


 


 


これは幕府だけではなく、武士階級にある者にとって同様に頭の痛い大問題だったわけです


 


 


 


 


そこで幕府は、米の流通機構の整備・介入を積極的に行うことで、米価の高値維持を図ったのです。


 


 


 


 


諸色(米以外の商品)に対する需要の増大が、諸色の価値を高め、価格の高騰につながりました。


 


 


 


この経済状況を憂慮した幕府によって、米の価値を高める政策がとられました。


 


 


 


 


 


幕藩体制と呼ばれた江戸時代のシステムは、石高制に基づいた支配体制でした。


 


 


 


石高とは、「土地評価を米の生産高で示す」というものです。


 


 


 


農民は石高によって租税を負担し、幕府や諸藩の領地や俸禄の規模なども全て、この石高で示されたのです。


 


 


 


つまり、石高制は江戸時代維持における根幹であり、米経済を継続していくためには、米価の低下は何としても避けなければならない事態でした。


 


 


 


 


米価低下によって、石高制が否定されてしまう事態が発生した場合、江戸幕府の存続は極めて難しくなってしまうからでした。


 


 


 


 


だからこそ❢ 米将軍と称された徳川吉宗は、常に米価に気を配っていたのです。


 


 


 


 


江戸幕府の支配体制の根幹を崩壊させまいとする焦燥感であり、危機感が背景にあったのでしょう。


 


 


 


 


米価の安定は、武家政権としての江戸幕府の支配の安定に直結していたのでした。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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