「世に倦む日々」記事の一部だが、言葉の問題として取り上げる。政治的な立ち位置は問題にしない。と言うか、あえて言えば私自身は「世に倦む日々」氏に賛同するが、言葉の問題として、この弁明は詭弁に属すると思うので、批判するわけだ。私は「目的は手段を正当化する」という思想に与さない。特に言論の場では誠実に言葉を用いるべきだという考えだ。「世に倦む」氏はそういう言葉の使用についてはかなり誠実な部類だと思うので、彼のこの「言い逃れ」は残念だ。堂々と、「部分的に言い間違ったが、全体の主旨は正しい」と言えばいいのである。
問題部分を先に抜き出す。赤字や太字は夢人による強調。
私の当該発信には「東野篤子が言っているような」という、いわば前置詞があり、東野篤子などアゾフ連隊を擁護する者たちが言っているような、という意味の複数主語の文意と構文になっている。「ような」以下に並べたアゾフ擁護の内容を、東野篤子を筆頭とする一団が言っているという趣旨で書いた。
私が問題視するのは、「東野篤子が言っているような」が「東野篤子などアゾフ連隊を擁護する者たちが言っているような、という意味の複数主語の文意と構文になっている。」という驚くべき詭弁である。この「ような」は明らかに「東野篤子が言っている事柄の総括」であり、まったく「複数主語」を意味しはしない。複数主語なら「東野篤子らが」と言えばいいのである。
その後の「ような」の文法的用法の説明など、無理な自己弁護である。
「世に倦む日々」氏が自分の説明を本気で書いているとしたら頭がおかしいし、嘘を承知の上で自己弁護として書いているなら、卑劣である。「東野発言の有無」に関しては「私の記憶違いだった」と謝ればいいのだ。
私は最初に書いたように「世に倦む日々」氏を高く評価しているので、残念だ。間違いは誰にでもあるが、自分の失敗への対応の仕方で潔い人間かどうかは分かるのである。まあ、人間の価値はいろいろ(潔ければそれだけでいいわけではない。)だし、多少の欠点の無い人間などいないのだが。
(以下引用)
東野篤子の揚げ足取り - アゾフ連隊を擁護し正統化するネット世論作戦
昨日(4/25)、東野篤子から、私のアゾフ大隊に関する発信に対して添付スクショの批判が上げられた。引用ツイートを使ったダイレクトなもので、事件の発生である。さらに本日(4/26)、東野篤子は私のアカウントをブロックした。
最初に、この戦争に対する私の立場をあらためてご挨拶しておくと、インドやメキシコやベトナムの国連での立場と同じであり、さらに率直に言えば、アメリカの左派知識人であるマイケル・ムーアと同じである。戦争プロパガンダに対して頑として抵抗する立場だ。ロシアの侵略戦争を非難する一方で、あまりに一方的で夥しい 戦争プロパガンダ の洪水と煉獄に辟易し、そのセメント化の政治に服従できない市民の立場である。西側マスコミの戦争プロパガンダを批判する少数派の一人だと自認する。
反論しよう。まず、東野篤子によるアゾフ擁護の映像の問題だが、これは4月18日に放送されたプライムニュースでの発言とそれへの感想が元になっている。証拠を提示しようとプライムニュースのサイトを確認したら、元映像がすでに消されていて、要約のテキストだけが掲載されていた。以前は、この番組の映像はもう少し長い期間保存され公開されていたはずだが、変更になったようだ。テキストでは、肝心な「単にサッカーファンの集団だった」という件(くだり)がカットされている。
映像ソースがないので、この問題の当否と証明については「言った言わない」の水掛け論になる。検証できない。ただ、この番組で本人の口から「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」という表現があったかというと、私の記憶にはそれはない。が、私の当該発信には「東野篤子が言っているような」という、いわば前置詞があり、東野篤子などアゾフ連隊を擁護する者たちが言っているような、という意味の複数主語の文意と構文になっている。「ような」以下に並べたアゾフ擁護の内容を、東野篤子を筆頭とする一団が言っているという趣旨で書いた。
言葉の細部を論って弁明するのは好きではないが、「ような」という助動詞には、「一定の根拠をもった不確かな断定を表す」という意味がある。したがって、この助動詞の配置と適用をもってすれば、私の発信は、文法的にも中身としても特に不当で誤謬だと糾弾されるべき瑕疵や不具合はないものと考える。「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」だと東野篤子本人は言ってないかもしれないが、論の文脈と背景を正しく押さえれば、今回の東野篤子の私への批判は、いわゆる揚げ足取りに該当するものである。
「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」という説明をストレートに聞いたのは、3月当時、キエフから報ステに生出演したボグダン・パルホメンコの発言であった。ボグダンも「一団」の中の一員であり、日本における戦争プロパガンダの活動の重要なアクターである。そして、「一団」の中に岡部芳彦がいる。岡部芳彦の最近(4/14)のテレビでの解説が記事に書き起こされていて、「(アゾフ連隊が)非常に英雄視をされている」「国民全体も、ロシアに対抗するシンボリックな部隊でもあります」という言質の所在を確認できる。
神戸学院大学教授の岡部芳彦は、ウクライナ研究会の会長である。ウクライナ最高会議章やウクライナ内閣名誉章の授与があり、ウクライナの国家的名士だ。その言論はまさしくマイダン革命の炎の同志であり、日本におけるマイダン革命のエバンジェリストの第一人者と言える。そのウクライナ研究会の副会長に東野篤子が就任している。かかる位置と役職から鑑みれば、岡部芳彦と東野篤子のアゾフ大隊に対する認識に差はなく、同じ理解だと解釈してよいだろう。「アゾフは国民的に英雄視されている義勇兵」なのかどうか、東野篤子にあらためて問いたい。
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