パオロ・マッツァリーノという名前の日本人(笑)の「反社会学講座ブログ」から転載。
まさに我が意を得たり、である。私もかねがね、先生たちが校門の前に並んで生徒に「おはよう」を言う光景(実物は見たことがないが、ニュースや写真では見た。)には気色の悪さを感じていた。下記記事にあるように、子供たちも内心「うぜえ」と思っていることは、私の小中学校時代の内面を振り返って考えてみても、ほぼ確実である。いや、自分はそうではなかった、という人は大嘘つきだと私は看做す。でなければ幼稚園児並みの精神である。
気の毒なのはこういうピエロ役を毎日演じさせられる先生たちである。困った顔でクスクス笑いながら先生たちの前を少しでも早く逃げようとする生徒たちに偽善的な笑顔を浮かべて、「おはよう」と声掛けをするのは屈辱でしかないはずだ。まあ、これも給料のうちだ、と我慢はしても恥ずかしいことには変わりはない。
もっとも、私も塾の講師をしていたころには入試会場の学校前で自分の塾の生徒を見つけて「がんばれ」と声掛けをするという「業務」はあった。だが、これは試験を前にして不安な気持ちの生徒の精神を落ち着けるという効果も少しはあるし、年に一、二度のことだから我慢はできる業務であった。(その分、早出残業の手当てがあったかどうかは覚えていない。当然、これは出してしかるべきだが、「生徒への愛情があるなら自発的にでも激励に出るべきであり、残業手当を要求するなど教師としての資格に悖る」とされていたような気もする。組合があれば「只働き」は最大の問題になるはずだから、組合があるかどうかで、そのあたりは変わるだろう。)
まもなく中学入試本番のシーズンであり、少しあの当時を思い出した。
(以下引用)
気持ち悪いあいさつ
まさに我が意を得たり、である。私もかねがね、先生たちが校門の前に並んで生徒に「おはよう」を言う光景(実物は見たことがないが、ニュースや写真では見た。)には気色の悪さを感じていた。下記記事にあるように、子供たちも内心「うぜえ」と思っていることは、私の小中学校時代の内面を振り返って考えてみても、ほぼ確実である。いや、自分はそうではなかった、という人は大嘘つきだと私は看做す。でなければ幼稚園児並みの精神である。
気の毒なのはこういうピエロ役を毎日演じさせられる先生たちである。困った顔でクスクス笑いながら先生たちの前を少しでも早く逃げようとする生徒たちに偽善的な笑顔を浮かべて、「おはよう」と声掛けをするのは屈辱でしかないはずだ。まあ、これも給料のうちだ、と我慢はしても恥ずかしいことには変わりはない。
もっとも、私も塾の講師をしていたころには入試会場の学校前で自分の塾の生徒を見つけて「がんばれ」と声掛けをするという「業務」はあった。だが、これは試験を前にして不安な気持ちの生徒の精神を落ち着けるという効果も少しはあるし、年に一、二度のことだから我慢はできる業務であった。(その分、早出残業の手当てがあったかどうかは覚えていない。当然、これは出してしかるべきだが、「生徒への愛情があるなら自発的にでも激励に出るべきであり、残業手当を要求するなど教師としての資格に悖る」とされていたような気もする。組合があれば「只働き」は最大の問題になるはずだから、組合があるかどうかで、そのあたりは変わるだろう。)
まもなく中学入試本番のシーズンであり、少しあの当時を思い出した。
(以下引用)
気持ち悪いあいさつ
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
新潮45の連載で書いた「絆とふれあい」の回に入りきらなかったネタ。
日本全国の小中学校では、毎朝、登校してくる生徒を校門の前で先生がお出迎えしてあいさつをするという、ヘンな風習があるのですが、なんでそこまでして、オトナがこどもに媚びを売らなきゃいけないんですか。
それがこどもたちへの愛情のアピールだとでも思ってるのでしょうか。先生たちは、いつでもキミたちをやさしく見守っているよ! あいさつは、先生とキミたちとの絆だよ!
こどもたちは内心、こう思ってます。「うぜえ」。
いつからこんな気持ち悪い風習が広まったのか調べたところ、どうやら1987年の日教組教研集会での報告がきっかけだったと判明しました。
大阪の荒れた中学で、PTAが校門前に毎朝立ってあいさつ運動を7年間続けたところ、学校が再生した、という例が報告されると、「そうか! 毎朝校門であいさつをすれば、校内暴力がおさえられるんだ!」全国の学校関係者がその報告にとびつき、またたくまに朝のあいさつ運動が全国に波及したのでした。
……なんといいますか、ものごとの因果関係ってのをまるで理解していない。水は言葉がわかるだとか、江戸しぐさだとかを真に受ける教育関係者が多いのもムリはないのかな。
中学の生徒は3年ですべて入れ替わります。7年も経てば校風も、社会情勢だって変わります。ツッパリブームも時間が経てば終わるんです。過去の例を見ても、こどもたちが荒れる時期とおとなしくなる時期は交互に来ています。荒れる生徒が減ったのは時代の流れによるものであって、あいさつとは無関係です。
あいさつは人間関係の基本だという主張には賛同します。大切な社会習慣としてこどもに教えるのもかまいません。だったらなおのこと、校門でのあいさつはやめるべきです。社長が毎朝新入社員をお出迎えしてあいさつしてる会社などないんだから、先生が生徒をお出迎えするあいさつは、実社会にない誤った習慣を教えてることになります。ウソのマナーを教えてはいけません。
あいさつになんらかのご利益があるかのように教えるのもいけませんね。それはインチキ宗教と同じ手口です。このツボや石を買うと病気が治る、宝くじが当たる、みたいな。
あいさつは人間関係を円滑にする手助けをするもの。それ以上でも以下でもない。あいさつに効果やご利益があるかのように布教するのはやめてください。
悪人だってあいさつくらいしますよ。ヤクザは元気よくあいさつするけど人を殺してるでしょ。元気よくあいさつする運動部が、過去にどれだけ暴力沙汰で活動停止処分を受けてますか。たぶん誘拐犯も、最初はこんにちはー、と笑顔でこどもに近寄っていくんじゃないですか。いきなりナイフをちらつかせたら、当然こどもは逃げますから。あいさつをする人がいい人、しないのが悪い人なんて区別はできません。
あいさつに犯罪を減らす効果があると主張するかたは、小笠原の海に行って毎日あいさつして、中国の密漁船を追っ払ってくださいよ。効果が出るまで7年かかる? がんばってください。
校門前での朝のあいさつ運動がはじまってからも、文科省の統計によると校内暴力はじわじわ増えてます。こないだの土曜日にNHKの番組見てたら、最近、小学校でこどもたちの暴力が問題になっているそうです。
で、その原因が「ストレス」だってさ。なんでもかんでもストレスのせいにするのも安易ですけど、まあ、そりゃストレスは溜まるでしょうね。私が見ててもわかります。いまのこどもたちは、学校帰りに道草食って息抜きする自由すら認められてないんです。登下校のあいだも、おそろいの蛍光グリーンの帽子かぶったおせっかいジジイやババアがずっとついてきて見張られる。校門ではおはよう、おはよう、と九官鳥みたいにあいさつを押しつけてくる先生たち。
私がこどもなら、絶対イヤですね。暴れる子はまだ救いがあります。それが人間として正常な反応です。
むしろ心配なのは、オトナたちの歪んだ愛情の押し売りにガマンして、反抗しないおとなしい子たちです。オトナが望む「いい子」を演じているこどもには、相当のストレスでしょう。
こどもはあんたらが考えるほど弱くないし、見守られたいとも思ってない。よけいなおせっかいはやめて、もっと放っておいたらどうですか。
こどもが頼ってきたときだけ話を聞いてやればいいし、こどもが悪いことをしたときだけ叱ればいい。そういうあたりまえのことをせずに、あいさつ運動だのパトロールだのといったわけのわからない活動を派手にやって穴埋めしたつもりになり、効果もないのに自己満足に浸るのは、いかさまですよ。
なにをエラそうにぬかしやがって、と批判したいかたは、まず、拙著『怒る!日本文化論』を読んでください。私が理屈をこねるだけでなく、実践もしてることがおわかりになるはずです。
新潮45の連載で書いた「絆とふれあい」の回に入りきらなかったネタ。
日本全国の小中学校では、毎朝、登校してくる生徒を校門の前で先生がお出迎えしてあいさつをするという、ヘンな風習があるのですが、なんでそこまでして、オトナがこどもに媚びを売らなきゃいけないんですか。
それがこどもたちへの愛情のアピールだとでも思ってるのでしょうか。先生たちは、いつでもキミたちをやさしく見守っているよ! あいさつは、先生とキミたちとの絆だよ!
こどもたちは内心、こう思ってます。「うぜえ」。
いつからこんな気持ち悪い風習が広まったのか調べたところ、どうやら1987年の日教組教研集会での報告がきっかけだったと判明しました。
大阪の荒れた中学で、PTAが校門前に毎朝立ってあいさつ運動を7年間続けたところ、学校が再生した、という例が報告されると、「そうか! 毎朝校門であいさつをすれば、校内暴力がおさえられるんだ!」全国の学校関係者がその報告にとびつき、またたくまに朝のあいさつ運動が全国に波及したのでした。
……なんといいますか、ものごとの因果関係ってのをまるで理解していない。水は言葉がわかるだとか、江戸しぐさだとかを真に受ける教育関係者が多いのもムリはないのかな。
中学の生徒は3年ですべて入れ替わります。7年も経てば校風も、社会情勢だって変わります。ツッパリブームも時間が経てば終わるんです。過去の例を見ても、こどもたちが荒れる時期とおとなしくなる時期は交互に来ています。荒れる生徒が減ったのは時代の流れによるものであって、あいさつとは無関係です。
あいさつは人間関係の基本だという主張には賛同します。大切な社会習慣としてこどもに教えるのもかまいません。だったらなおのこと、校門でのあいさつはやめるべきです。社長が毎朝新入社員をお出迎えしてあいさつしてる会社などないんだから、先生が生徒をお出迎えするあいさつは、実社会にない誤った習慣を教えてることになります。ウソのマナーを教えてはいけません。
あいさつになんらかのご利益があるかのように教えるのもいけませんね。それはインチキ宗教と同じ手口です。このツボや石を買うと病気が治る、宝くじが当たる、みたいな。
あいさつは人間関係を円滑にする手助けをするもの。それ以上でも以下でもない。あいさつに効果やご利益があるかのように布教するのはやめてください。
悪人だってあいさつくらいしますよ。ヤクザは元気よくあいさつするけど人を殺してるでしょ。元気よくあいさつする運動部が、過去にどれだけ暴力沙汰で活動停止処分を受けてますか。たぶん誘拐犯も、最初はこんにちはー、と笑顔でこどもに近寄っていくんじゃないですか。いきなりナイフをちらつかせたら、当然こどもは逃げますから。あいさつをする人がいい人、しないのが悪い人なんて区別はできません。
あいさつに犯罪を減らす効果があると主張するかたは、小笠原の海に行って毎日あいさつして、中国の密漁船を追っ払ってくださいよ。効果が出るまで7年かかる? がんばってください。
校門前での朝のあいさつ運動がはじまってからも、文科省の統計によると校内暴力はじわじわ増えてます。こないだの土曜日にNHKの番組見てたら、最近、小学校でこどもたちの暴力が問題になっているそうです。
で、その原因が「ストレス」だってさ。なんでもかんでもストレスのせいにするのも安易ですけど、まあ、そりゃストレスは溜まるでしょうね。私が見ててもわかります。いまのこどもたちは、学校帰りに道草食って息抜きする自由すら認められてないんです。登下校のあいだも、おそろいの蛍光グリーンの帽子かぶったおせっかいジジイやババアがずっとついてきて見張られる。校門ではおはよう、おはよう、と九官鳥みたいにあいさつを押しつけてくる先生たち。
私がこどもなら、絶対イヤですね。暴れる子はまだ救いがあります。それが人間として正常な反応です。
むしろ心配なのは、オトナたちの歪んだ愛情の押し売りにガマンして、反抗しないおとなしい子たちです。オトナが望む「いい子」を演じているこどもには、相当のストレスでしょう。
こどもはあんたらが考えるほど弱くないし、見守られたいとも思ってない。よけいなおせっかいはやめて、もっと放っておいたらどうですか。
こどもが頼ってきたときだけ話を聞いてやればいいし、こどもが悪いことをしたときだけ叱ればいい。そういうあたりまえのことをせずに、あいさつ運動だのパトロールだのといったわけのわからない活動を派手にやって穴埋めしたつもりになり、効果もないのに自己満足に浸るのは、いかさまですよ。
なにをエラそうにぬかしやがって、と批判したいかたは、まず、拙著『怒る!日本文化論』を読んでください。私が理屈をこねるだけでなく、実践もしてることがおわかりになるはずです。
[ 2014/11/06 14:33 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
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