名言だ。私は20代後半以降は人と議論をしたことはほとんど無いと記憶している。議論をする場合は、最初から負けてあげる(笑)つもりでしかやらない。議論なんてのは、どちらかが負けを認めるまでは終わらないのだから、どうしても、気弱で根性の無いほうが、あるいはより「理性的な方が(つまり、水掛け論の無益さを知る方が)」負けるのではないか。論理的な方が勝つのではないだろう。まあ、幼児と議論をしてみるがいい。絶対に相手は論理には従わないから。幼児が論理に従ったように見えるのは実は大人の背後にある「暴力」に従っているのである。
橋下徹の論争の非論理性は有名だが、彼は「議論」では負けたことはないのではないか。
(以下引用)
竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666
橋下徹の論争の非論理性は有名だが、彼は「議論」では負けたことはないのではないか。
(以下引用)
竹熊健太郎《一直線》
論破とは最低限、論理の土俵を共有する相手にしか出来ないのだと思う。仏教徒がイスラム教徒を論破することはできないのではないだろうか。
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