私はこういう「生活の技術」とか「普通人のための心理学」の話が大好きなので、転載しておく。
「ROI」というのは何か知らないが、文脈的にFDTD氏の大好きな「生産性」の意味かと思う。まあ、「何のために働くのだ」「遊ぶためだ」「ならば最初から遊べばいいじゃないか」というように、人生における生産性の意味は何かを考え始めると話は難しくなるわけだが、「幸福になるにはカネが必要だ」「カネを稼ぐためには本人自身が生産性の高い人材になるのが一番だ」、というのは世間の常識に合致しているだろう。
しかし、
「コントロール不能の不毛な思考と感情に流されていると、どんどん気力を消耗していく。不毛な思考と感情を止めることで、気力が充実し、バイタリティが高まっていく。」
と書いているのはFDTD氏自身、「コントロール不能の不毛な思考と感情に流されていると、どんどん気力を消耗していく。」ということをしばしば体験しているということだろうから、氏も人間なのだなあ、と少し安心した。
生産性云々は抜きにしても、
「ほとんどの人は、人生のほとんどの時間、自分が何にどんな感情をいだき、どんな意味のある思考をし、どんな意味のある行動をしているか、ばくぜんとしか自覚しないまま過ごすし、そこに内在する問題を自覚的に修正することもしないで過ごし、気がついたら、自分を変える力が残っていないほど老いている」
というのは、まさにその通りだろうと思う。まあ、そういう生き方が必ずしも悪いかどうか議論の余地はあるだろうが、「世間有用の人材」になるのであれば、まずここから変えねばならないだろうし、そのためには
「人は、惰性で思考していると、思考の大部分が不毛な思考になる。だから、惰性で思考していると、人生は不毛になっていく。不毛な思考を止める最も効果的な方法は、今この瞬間の自分の思考が不毛かどうかを、高い解像度で、認識し続ける能力を鍛え続けることだ。」
というのは、正しい処方箋だろうと思う。
ただし、そういう生き方が唯一の選択肢でもないし、それで幸福な人生になるのかどうかもまた別問題だろうと思う。何だか、成功する前にストレスで参ってしまうのではないか、という気もするのだが、もちろん、これで「成功した人生」になる確率は非常に高いだろうし、成功すれば満足し、幸福になる確率も高いのだから、この処方箋は万人に(特に青少年に)勧めて良いものだろう。それが不要なのは、最初から「幸福なアホ」である人々だけだ。社会的には、彼らの(我々の、か)存在も生き方も「不毛」かもしれないが、幸福であることが人生の最大の収穫であるのだから、不毛であることが不幸でもある場合にのみ、この処方箋は成り立つだろう。
世界には生まれて数分で死んでいく子供も無数にいるわけで、自分の人生が不毛だとか不幸だとか考える余裕があるだけでも、幸福なのではないか。まあ、自分の有り金がいきなりゼロになったら、私も即座に意見撤回、カネの無いのは首が無いのも同じ、という意見になるだろうが。
(以下引用)
fromdusktildawn @fromdusktildawn
- コントロール不能の不毛な思考と感情に流されていると、どんどん気力を消耗していく。不毛な思考と感情を止めることで、気力が充実し、バイタリティが高まっていく。
- 自分が不毛な思考や感情を抱いているとき、その不毛さを高い解像度で認識し続けることに全力で集中し続けると、あれほどコントロール不能に思えた不毛な思考と感情が、奇跡のように収まって、静かになっていく。
- 人は、惰性で思考していると、思考の大部分が不毛な思考になる。だから、惰性で思考していると、人生は不毛になっていく。不毛な思考を止める最も効果的な方法は、今この瞬間の自分の思考が不毛かどうかを、高い解像度で、認識し続ける能力を鍛え続けることだ。
- ほとんどの人は、人生のほとんどの時間、自分が何にどんな感情をいだき、どんな意味のある思考をし、どんな意味のある行動をしているか、ばくぜんとしか自覚しないまま過ごすし、そこに内在する問題を自覚的に修正することもしないで過ごし、気がついたら、自分を変える力が残っていないほど老いている
- 「自分がいましている行動の意味」を評価するのは比較的簡単。難しいのは「自分の今この瞬間の思考は、ムダな思考かどうか」を評価し続けること。さらに難しいのは、「自分が今、どのような感情を抱いているか」を高い解像度で見つめ続けること。
- 「自分が今、何をしているのか」を自覚することは、そんなに難しくない。難しいのは、「自分が、今、やっている行動は、本当に今やるべきこうどうなのか?」を『評価』すること。それよりも更に難しいのは、評価に基いて実際に行動を、瞬時に切り替えること。
自分を有能にする、一番の近道は、「自分がムダなことを喋っていることに気づく能力」「自分がROIの低い思考をしはじめたことに気づく能力」「自分がROIの低いor優先順位の低い行動or作業をしていることに気づく能力」などの、「自己行動気づき能力」を鍛えること。