武道だけの話にとどまらない、示唆的なものがあるインタビューだが、ここに書かれた、「教育すると弱くなる」という部分は、特に興味深い。
「教育によって、精神や肉体の、或るシステムを受け入れると、それ以前のシステムが失われる」ということだろう。それは、ある特定の場(ボクシングならボクシングという競技)では有効なシステムだが、それ以前のシステムを弱くする(失わせる)ため、全体として(戦う、ということの全体において)弱くなるということだと思う。
これは格闘技だけの問題ではない。学校で「社会適合のルールやシステム」を学ぶことで、我々は自分の生にとってより大事な何かのシステムを失っているのかもしれない。DQNや不良のほうが学校優等生より概してバイタリティがあるのは、その「生のシステム」を本能的に優先させてきたためだ、と考えることもできそうだ。それだけ動物に近く、自然に近いわけだ。まあ、もちろん、どちらも一長一短だが。女性がDQN好き不良好きなのも、女性も自然に近い存在だからだろう。
(以下引用)
独占・最強インタビュー(1)
教育したら、人はすぐに弱くなる
−−思想家の内田樹さんとの対談『荒天の武学』(集英社新書)で、何も学ばずとも「ナチュラルに」強いハワイアンのエピソードが紹介されていました。そういう強さは、彼らの時間感覚とも関係しているのでしょうか。
そうだと思います。時間を知らないからこその彼らの強さについて、多少なりとも考えが及んだのは最近のことです。
初めはどうして彼らがナチュラルに強いのかわかりませんでした。けれども、「どうしたら弱くなるか」は早い段階でわかりました。
−−どういうことでしょう? 指導しているのに弱くなるんですか?
教育したら人はすぐ弱くなります。「物事はこうでなければいけない」と教えたら、弱くなるのです。
学校をはじめほとんどの教育の内実は「こうでなければいけない」と刷り込んでいきます。もともとの才能を潰さずに教育するのは本当に難しい。
たとえば、私のもとで習っていた友人にジェームズという喧嘩屋がいました。彼は一時期、よそでボクシングを習い始めました。コーチは彼のパンチ力やヘビー級らしからぬスピードをみて「マイク・タイソンにも匹敵するスピードとパワーを秘めた逸材だ」と半ばスカウトして、彼をボクシングの世界に誘いました。
すると、それまで喧嘩では負け知らずのストリートファイターだったジェームズは、あっという間に弱くなっていったのです。
生の強さを活かせたらいいのに、下手にやり方やルールを教えてしまうとてきめんに弱くなる現象は、けっこう見られました。野性味あふれる強いファイターだと、周囲は「技術を学べばもっと強くなるだろう」と期待し、教育します。それがもともとの才能を潰すことになるのです。
これは個人だけでなく国家の規模で見ても同様で、だから異なる文化を持ち込むときには気をつけないといけない。異なる文化圏のルールやテクノロジーを持ち込むだけで簡単に固有のよさを潰してしまえます。
−−なんでもありのストリートファイターが、四角いリングの中での立ち回り方やセオリー学ぶことで、必然的に弱くなっていく。学ぶことで臨機応変に対応できなくなるということですか。
はい。だから強い人は練習しなくていい。もともと持っているものを生かせるようにすればいいだけです。彼らは大まかなルールをわかればいいだけで、練習するとしても慣らすくらいで十分なんです。