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復讐は本当に何も生まないか

大昔の物語や記録を読むと、「復讐」の話が膨大にあるわけだが、なぜ人間は復讐をするのか、つまり、復讐のメリットは何か、そして「復讐は何も生まない」という決め台詞は正しいのか、をだらだらと考えてみたい。

まず、復讐がまったく無かった場合を考えてみよう。
当然、復讐されるのが当然の行為(悪事)をした人間は復讐される心配が無いから安穏に生きられるわけで、そうなると、悪事をした者勝ち、ということになる。
もちろん、法治主義が原則である現代社会では個人個人の復讐を認めるわけにはいかないわけで、国家がその代行をすることになっているが、それが被害者側には常に不満の残るものであるのは想像できる。それは、たとえば殺人事件などで、人を殺した人間が、死刑になることが滅多にない、ということへの不満などだ。
しかし、個人的な復讐を認めたら、復讐された側の遺族は、今度は逆に自分たちが復讐をすることになり、とめどない復讐の連鎖が続くことになる。
まあ、それも面白い社会ではないか、と言うと無責任だと非難されそうだが、「殺人は基本的に禁止だが、正当な理由のある復讐の場合は許可する」という江戸時代の武家社会は案外正しかったのではないだろうか。
それは、復讐が無かった場合の事をもう一度考えてみれば分かる。
復讐のできない社会とは、要するに被害者が泣き寝入りをする社会なのである。それが犯罪者を付け上らせ、悪人こそが大手を振って往来を歩き、弱者(あるいは道徳的な人間)がどんどん生きづらくなる社会なのである。
要するに、現代日本とはそういう社会なのだwww

復讐にメリットがあるとすれば、そういう社会を今現在より悪化することから少しずつでも救うことだろう。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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