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動物への愛情と自分の主観の押し付け

別ブログに書いた記事だが、動物を擬人化して捉え、かえって矮小な存在にする考え方への批判である。


(以下自己引用)



動物が悩みを持たない理由



私は理屈がすべてだとは思わないし、むしろ理屈は単に説明手段だとしか思わない人間だが、下のようなセンチメンタルな考え方には少し嫌悪を感じる。「猫(あるいは動物)は生きることをあきらめない」というのは、猫(動物)の心理が自分には分かる、という非常に図々しいと言うか、僭越そのものの思想だと思う。
私の考えでは、動物には死という概念は無い。あるのは、目の前の危険な存在(敵)と戦う、あるいは逃げるという本能だろう。つまり、未来を考えることは無い。したがって、老衰や病気への恐怖は無い。何かに対して不平や不満の感情があったとしても、それも一瞬のことだ。つまり、動物は現在のみに生きている。それを見て「猫は生きることをあきらめない」と言うのは、自分の主観を勝手に動物に投影しているだけであり、この種の発言や発想は「自分の主観を勝手に他者に投影し、自分の考えの証拠にする」という、非常に危険なものだと思う。
まあ、こういう人は童話などを書くのに向いた人だろうと思うが、危険な洗脳者になる可能性も高いタイプだと思う。

動物は死を知らないのだから、死と戦いもしない。だから死ぬまで平和だ。それは「生きることをあきらめない」という人間的な俗情とはまったく別のものだろう。

現在のみに生き、つまらぬ悩みを持たない動物のこのような生き方は、人間の高僧にも似ている。特に、死ぬ際の姿は、たいていの人間より崇高な感じすらする。
ということで、この記事は「現代倫理学」の項目に入れておく。



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15才のターボ、突然歩けなくなり末期の脊髄腫瘍で余命1ヶ月と宣告されました。最初は戸惑っていたターボも直ぐに障害を受け入れ、食欲も落ちず、最後は寝たきりになりましたが、同居の猫たちに囲まれ眠るように3ヶ月後に亡くなりました。猫は最期まで生きることを諦めません。

















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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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