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気の赴くままにつれづれと。
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ある地方都市で講演終了後に語り掛けてきた女性は言いました。アルコール依存症の彼女は、自助グループに通って3年断酒をしています。
「親から虐待されてきた私は、親から愛されなかったんだから自分で自分を好きになろうとして努力しましたが、どうしてもできません。そのことでグループの仲間からも批判されたりして苦しいんです、どうすれば自分を好きになれるでしょう」
またある人は言いました。「どうしても自己肯定感を高めることができません。今、高めるための本を読んでいますが……そのとおりにやってもできないので、ますます自己肯定感が低くなって、苦しいんです」
このような発言がすべてを物語っている気がします。
そもそも他者とのあいだで生じた苦しみ、そのことから生まれたさまざまな問題(依存症やトラウマ的症状)をなんとか解決し、少しでも楽に生きるために生まれたはずの自己肯定感という言葉が、その人を苦しめることになっているのではないでしょうか。
当初は、どのような子どもも教師や親から肯定的に受け止められる、ということを目的として生まれたはずの「自己肯定感」が、ほっとして息がつけるようにするための言葉が、しゃにむに獲得する目的になってしまっていること、これは「自分で自分をなんとかする」というそもそも無理なことをやろうとしたからではないでしょうか。
私自身、自分を好きかという問いを投げかけたことはありません。無意味だと思うからです。でもあえて答えるなら、こんな自分を好きなはずがないでしょうと答えます。だいたい、醜い点をいちばんわかっているのが自分なのですから、好きになるはずがないでしょう。
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