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人工知能の可能性と人間の未来の生活

ながたかずひさ氏のブログ「犀角抄(旧ユルネバ!)」から転載。
非常に面白い思考素がたくさん入っている文章なので、とりあえず保存のみ。


(以下引用)

2016年04月11日

AIがとまらない? よろしい、ならばBIだ。


 いやAlphaGoは衝撃的でしたね。


 チェスや将棋のソフトの強さは、原理的に人間にも理解できる強さでした。総当りで良さそうな手を深く読んで、評価関数の高い手を選んでいく。評価関数の作り方のところに一応機械学習は入っているのですが、まあ理屈はわかるし、わかるからこそ三浦八段(当時)みたいなトッププロが負けても納得はいく。
 ところがAlphaGoは、僕も後追いダイジェストでしか見てないのですがトッププロが「なんだその手」という手を放ってそれが後になって効いてくる。あるいは囲碁では難解な、中央からの攻めに果敢に取り組む。観戦してる人間も知らないうちに形勢が逆転されて負ける。
 慌てて解説とか読むと、どうもまだ秘密のベールに包まれている部分も多いそうですが、どうやら「読んで」戦っているのではなく、「感覚で」、
「この絵から勝ちの絵に向かうにはこのへんに打つのが良さそう」
というのを見出して、打っているらしい。まず現状認識からしてどこに石があるか論理的に把握しているのではなく、画像として「こんな感じ」と把握してるらしい。
 つまり理屈は無い。勝ったら勝ったで(たぶん)AlphaGoも「なんで勝ったか」はわかってない。

 そう言われてみるとそれは非常に「人間くさい」行動パターンであり、ということは逆に、「知性の限りを尽くしている」と思い込んでいる囲碁の対戦においても人間は勘に後付けで理屈なすりつけてるだけで、そうであるならば日常などもっとそう。いやむしろ「知性」という言葉は
「直感で感じた方向性(これだ!)に、理屈を捏ね付ける感覚・行為」
と言い換えるべきかもしれない。
 ここにおいてデカルト以来の「近代」が崩壊してですね(笑)

「どこまで人間に似ているか」というのは結局わからないのでさておいて、擬似的にでも「かなり人間みたいなことができる」となると、具体的には「『判断』も人間に近いものができそうだ」となると、「AIにいろいろ任せよう」という考え方も加速します。
 自動運転が最たる例ですが、
「機械なんか危なっかしくて任せてられない」と
「機械の方が人間よりずっと優秀」の
垣根はある日突然外れる。現にABS(アンチロック・ブレーキ・システム)でもDSC(横滑り防止装置)でも既に人間なんか逆立ちしたってかなわない芸で人間を助けてくれているんだから、これもう一壁越えると、
「人間が運転するバスなんか危なくて乗ってられるか」
になる。75ぐらいの目の下にクマできてるおじいちゃんがヨボヨボと運転席に乗り込んで「えーっと」とか言いながらシフトレバー弄ってるバスと、同じマシンなら鈴鹿でセバスチャン・ベッテルに勝てるAIが運転するバスと、どっち乗ります?

 ウチも電力自由化で別のところから電気買ってみようかなと画策中で、電気のメーターをスマートメーターに換えてもらったのですが、これあるともう「検針員」という仕事要らないわけですよね。
 ホントは今までもそうやってコツコツ人の仕事が「コンピュータ」に剥ぎ取られていってたわけですが、「判断」まで取られちゃうとこりゃ大変。いままでよりずっと「高度だ」と信じられていたジョブが、上の例のように「むしろ」AIに取られる。
 薬剤師とかねえ。弁護士とか。
 学校の先生とか。
 AIきっと我慢強く丁寧に教えてくれるし、世界中のビッグデータで「だいたいの詰まり方」とか持ってるから「ここがこうわからないんじゃないんですか?」みたいなところもヘタな先生より詳しいよきっと。
 むしろ師とか士とか付いてる方が危ないですね。
 複雑な条件から判断せねばならぬほど、AIの方が強い。
 つまり今まで「高度」という言葉は「知性が必要」を表現していたわけですが、その知性とやらが上述のように実はたかだか「直感にあとから色を付ける行為」だとすると(あるいは実際にはそうでないにせよ、現実へのアウトプットとしてはそうであってもさほど差がない場合)、AIで十分。いや、AIの方がいい。

 奥さん翻訳者なんでわりと顔面蒼白になってるんですが、うん、AlphaGoのように本気で取り組まれると、特に産業系とか、論文とか、ニュースとか、だいたいフォーマットが決まってるものはなんかもう、人がチェックする必要もないぐらいの翻訳AIがすぐにでも出てきそうです。
 幸か不幸かGoogleや最先端のAI研究者にとって「英語を他言語に訳す」という行為そのものにほぼ価値が無いから放置されてるだけで。
 もちろん「翻訳」という仕事がある日全部無くなるわけではなくて、責任主体として「私がチェックしました」という判子を押す役が人間に残るんでしょうけど、量も変われば質もまったく違う仕事になりますね。あるいは文芸系ならばしばらくは大丈夫でしょうし。できれば「この訳者さんの訳で読みたい」までいけてれば、その人が現役の期間ぐらいは持つかも。

 というようなことで、世の中の「仕事」の総容量がものすごい勢いで減っていったら、失業者で溢れかえるわけです。
 大変ですね。
 とりあえずワークシェアみたいな、「労働は1日3時間、週3日まで」と決めてみんなで分け合う。あるいは以前は「仕事」ではなかった、たとえば「家事」とか「留守番」みたいなのをネットのマッチングと補助金かなんかで「仕事化」してコツコツばらまく。さらにはお家の前でたこ焼きを焼くような小商いに精を出す。街の人が寄り集まって小銭を落とす、じゃ明日は○○さんの立ち呑みで一杯、とみんなでくるくる小銭を回してですね。
 結局経済って回ってりゃいいので、本来的にはまったく無価値なモノやコトやサービスでも「お金を回すための手段」だとみんなが納得してりゃそれでいいわけです。『ザブングル』のブルーストーンがそうですな、なんて例を出さなくても、現在の日本の公共投資とかたぶん8割方そういうためのものです。
 それが気持ち悪い・あるいは環境や次世代からスティールしてるだけだ、と叫ぶならはっきり地域通貨みたいな、地域独立経済圏を小さく区切ってその中と外で「貨幣」の価値を変えてもいいかもしれません、けどこれはちょっと僕にはよくわからない。昔の中国はそれに似てて、ある人が使う通貨が何十種類もあったりしたそうです。日々状況に応じてレートが変わっていたそうで、わりと人間もそういう環境ならそういうものとして動けていたようです。ただ、それが結局統一通貨になっていくのはその方が便利だからで、まあ貨幣って物々交換より便利だから流通してる面が大きいわけで、そんな状態だと物々交換とあまり変わりませんもんね。
 明示的に地域通貨みたいなことをしなくても、人間の社会的活動から「貨幣仲立ち」を剥がしていく手もあります。「経済成長」というのは貨幣仲介ではなかった人間活動を貨幣仲介にするってことですから、これを逆回しにする。保育園に入れるんじゃなくておばあちゃんに預ける。葬式は地域みんなで出す。
 はい、無理ですね。
 まあ一部取り返した方が幸せなコトもきっとあるでしょうけども。

 などなど、そういう弥縫策でも足りなくなったら最後はBI、ベーシック・インカムかなあ、と思ったりもします。国民全員に月何万円か渡す、という。「そんな財源どこにあんねん」とお思いでしょう? 渡す額にもよりますが、年金・健康保険・生活保護など社会保障を大幅に(どこまでかはやり方次第ですが)減らせるので、意外と非現実的なお金が必要なわけでもないようです。
 月5万×1.3億人で78兆? 合ってます?
 国家予算96兆で社会保障32兆(地方交付税交付金を加えると47兆)なので、工夫すればなんとかいけそうですよね。
 社会というのは(あたりまえですが)構成員が居ないと成立せず、かつ構成員ができるだけしあわせでないと暴力が支配して崩壊する。そうすると「儲けている」人々もその基盤を喪って元も子もないわけですから、そのぐらいだったらまだ税金を払って「社会」を維持した方がいい。
 Appleが困った時にJobsはMicrosoftにお金借りに行って、Gatesも機嫌よく貸したわけです。
 これ。
「働かざるもの食うべからず」
は資本主義では嘘で、資本転がしている方が労働するより儲かる仕組みになってるのは皆さんご存知のとおり。「働く働かない」と「食う食わない」は独立事象なんですな。だからもし国内に十分なリソースがあるなら、とりあえず「食う」を全員満たす、のは倫理的にもそんなに無茶な話ではない。
 経済的な不安や不満が小さくなると、だいたい国家に要求することなんて治安維持と安全保障、あと災害対策ぐらいになるでしょうから国(や地方自治体)としても本来は大助かりだと思うんですが。

「AIに人類は滅ぼされないか」
といえば、我々だって犬猫を滅ぼしてないわけで、彼らが知性から進んで意思みたいなものを持ったとしても、持ったならばこそ、滅ぼすというエネルギーに対して見合うメリットが無ければ放置されるんじゃないでしょうか。SFなどでよく言われることですが、私達だって飼い主としてネコを飼ってるのか、使用人としてこき使われてるのかわかりませんで。エサ用意して寝床あっためてグルーミングしてさあ。人間相手にだってしないのに。

 これ、AIにジョブを奪われる、は決して他人事ではなくて、誰にでも起こることなんです。AlphaGoが考えもしなかった手を打ってくるように、彼ら彼女らは思いつきもしなかったやり方である「仕事」を自分たちの物にしてしまうかもしれない。
 芸術家とかいちばんヤバイ。
 少なくとも「ウケる」とか言い出したらディープラーニングの出番でしか無いですやんか。
 いや、もう実はラノベとかPixivの絵とか、AIが作ってるのがポツポツあったりして。マッドサイエンティストが、というか、デミス・ハサビスがニヤニヤしながら閲覧数とか評価とか眺めていたり。あの人アニメ好きそうだしなあ。
 上の「知性」の定義が実は違いそうだ、というのと同様、「創造性」の定義が実は間違ってるのかもしれません。
 でもそういうAIが活躍するようになって、それでも対抗できるアーティストが居て、そこではじめて「美とはなにか」「快感とはなにか」「おもしろいとはなにか」みたいな難問にあるていど輪郭のある答えが見えてくるのかもしれません。

 ぼく思いますに、極端に言うと「美しい」とか「おもろい」とかって「それが好き」の表現バリエーションに過ぎないんじゃないかと。
 で「好き」ってなにかというと、それはよくわからない。
 よくわからないままにAIが各人の「好き」なものをたくさん作ってくれるでしょうから、それをずらり並べてようやく「ははあ、好きってこういうことか」と腑に落ちるのかもしれない。

 いったい本当にはどのようになるのか検討もつきませんが、AIの時代になるとガラッと社会が変わりそうで、ちょっと楽しみではあります。
 社会は変わっても世界は変わらない。
 とりあえず人間は、桜の花を愛でていればいいのではないですかね。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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