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だが、公憤や批判精神は健全な社会の礎である

加藤諦三という人は、私の知っている人物だとしたら、1970年代くらいにやたらに人生論みたいな(人生の先輩から若者への偉そうな忠告みたいな)ことを書いていた人で、私は若かったから当然そういう「上からの説教」には反発していたのでひとつも読んだことは無いのだが、当時はなかなかベストセラーにもなっていたと思う。
まあ、そういう「心に刷り込まれた反発心や嫌悪感」が残っている現在の目で見ても、下の言葉は非常に正しいと思う。
ただし、それは正論を言う人間の心理分析として正しいというだけのことで、正論を言うこと自体が批判される(現在、そういう風潮すらある。)べきでないのは当然のことである。

じっさい、私自身が「社会の規範を守らない人間」大きくはヤクザや犯罪者、小さい場合は入れ墨(刺青)人間や下品なファッションの人間や無神経な人間や狡猾な人間が大嫌いなのは、自分自身が「いつもやりたくないことをやらされていた」からだろうと思う。ただし、その選択は(生きていくための選択として)自分自身で決めたものだから、特別な誰かに不満などまったくない。
あるのは、そういう、「嫌なこと(勉強や仕事などwww)」をしないと生きていけないという世界そのものへの不満だけである。したがって、私は常に「平凡人のユートピア」、つまり理想的社会主義社会を夢見るのだろう。まあ、要するに、現在の科学の成果と文化的蓄積があれば、一部の人間による過剰な収奪という愚行さえ無ければ、ほとんどの人間(平凡人)が週3日の6時間労働くらいで月給25万円くらい(家賃不要で、可処分所得が15万円くらい)得られる社会を作れるはずだ、と私は思っているのである。





さんがリツイート

いつもやりたくないことを強引にやらされていた人は、憎しみと怒りがある。すると社会の規範を守らない人を許せない。秩序を乱す人を許せない。正論を盾にして、くやしいことをぶつけている。それは憎しみと怒りが正論に変装して現れてきた姿である。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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