埴谷雄高のこの言葉は、昔読んだ時にはあまりピンと来なかったのだが、政治や歴史に興味を持つようになると、まさに政治と歴史の実相はこの一言に尽きていると感じる。
そして、国民が容易に政治家(一般人でもこれに近いことを言う。)のこの言葉に煽動されるのは、前に言ったように「感情は理性では制御できない」からである。感情を理性で制御できると思っている人がいたら、その頭をぶん殴ってみるがいい。その人の心は即座に怒りと屈辱で燃え上がり、制御を失うだろう。
なお、この「呪いの言葉」の対極にあるのが、キリストの「汝の敵を愛せよ」であるが、どのような政治家もこの言葉を前面に押し立てたことはない。それは、「言った瞬間に(国民に憎悪され)自分自身が敗北する」と心の底で思っているからだ。(キリストに近い思想の政治家が、鳩山由紀夫氏だっただろうと私は思っている。)
相手を敵と味方に分けることで自分が「味方の集団の中にいる」と思うことが、人に限りない慰安を与え、そして安倍や橋下のような政治家に都合よく行動するのである。それを愚民と言う。
そして、国民が容易に政治家(一般人でもこれに近いことを言う。)のこの言葉に煽動されるのは、前に言ったように「感情は理性では制御できない」からである。感情を理性で制御できると思っている人がいたら、その頭をぶん殴ってみるがいい。その人の心は即座に怒りと屈辱で燃え上がり、制御を失うだろう。
なお、この「呪いの言葉」の対極にあるのが、キリストの「汝の敵を愛せよ」であるが、どのような政治家もこの言葉を前面に押し立てたことはない。それは、「言った瞬間に(国民に憎悪され)自分自身が敗北する」と心の底で思っているからだ。(キリストに近い思想の政治家が、鳩山由紀夫氏だっただろうと私は思っている。)
相手を敵と味方に分けることで自分が「味方の集団の中にいる」と思うことが、人に限りない慰安を与え、そして安倍や橋下のような政治家に都合よく行動するのである。それを愚民と言う。
町山智浩さんがリツイート
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