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負の感情は原始的なだけに厄介

この言葉に関しては山本氏に完全に同意する。
私がしばしば書いている「理性は感情を制御できない」の、「感情」もだいたいは負の感情である。
負の感情が制御しにくいのは、それを発揮することで自分の利益の拡大を目指している場合がほとんどで、愛や慈悲というのは、「自分の持ちだし」になるからではないか、と推測している。つまり、愛や慈悲というのは、その行為によって自分に当面の不利益が生じても、大きな意味ではそれで良いという、高度に理性的な判断を要するものではないか。
言葉を代えて言えば、怒りや憎しみをそのまま発揮するのは原始的な頭脳レベルの人間だろう、ということだ。
これはただし、怒るなとか憎むなということではない。それは人間には不可能だろう。その感情を自分の中で冷静に検討する時間を持て、ということだ。
なお、感情というものは、それを外部に出すことで自ら増幅される。怒りだすとその怒りがエスカレートしていくのである。
また、「演技としての怒り(脅迫的言動)」(指導的立場の人間がよくやる)というのもあるが、それはまた別の話。




  1. 半面、愛や慈悲はむつかしい。自分によくしてくれる者を愛するなら犬猫でもできる、という言葉があるが(ちょっと犬猫に失礼だが)それを超えたものを持つには、いささかの素質と訓練がいる。怒りや憎しみには必要ない。ただ傷つけるだけでいい。そこがどうしてもむつかしい。



  2. 怒りとか憎しみ恨み、その他負の感情を煽るタイプのものは、政治から日常まで無数に見受けられる。火が付きやすく燃え広がりやすいし、あまり才能や技術がなくても誰でもできる。



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