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古典の花園17 第二章12

12
我が母の袖もち撫でて、我がからに、
泣きし心を忘らえぬかも。 (万葉集・防人歌)

 これも11の歌とよく似た歌です。「我がからに」は「私ゆえに」という意味。「忘らえぬ」は「忘れられない」、「かも」は詠嘆の終助詞で、「忘れられないなあ」という意味。

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古典の花園16 第二章11

11
 父母が頭(かしら)かきなで、「幸(さき)くあれ」て
言ひし言葉(けとば)ぜ、忘れかねつる。  (万葉集・防人歌)

防人に駆り出されるのは東国の青少年が多かったようですが、この歌には中部地方の方言が混ざっています。「て」は引用や発言を受ける「と」、「ぜ」は強意の係助詞「ぞ」です。この歌の作者はまだ少年のようで、頭を父母に撫でられるくらいの年齢です。そうした少年は防人に行った後も、父や母のことを偲ぶことが多かったのでしょう。家族間の愛情の強さは、衣食住すべて備わった現代よりも、すべてに不自由だった昔のほうが強かったように思われます。この歌は、幼い感じの方言が、少年の真情をよく伝えているようです。

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古典の花園15 第二章10

10
 「防人に行くは誰(た)が背」と問ふ人を、見るが羨(とも)しさ。
物思ひもせず。  (万葉集・防人歌)

 「背」は、愛する男性、夫のこと。自分の夫が防人に行くその日、どこかの奥さんが、「防人に行くのは誰の旦那さんでしょうね」と言っている。その何の物思いも無さそうな姿の羨ましいことよ、という意味です。防人は、唐・新羅からの侵略に備え、国土防衛のために現在の九州北部に配備された兵士のことです。任期は三年ですから、その家族にとってはもしかしたら、永遠の別れになるかもしれない別れであったわけです。作者は、防人の奥さんですから、無名の庶民なのですが、この一つの歌によって、永遠に歴史に記録されたと言っていいでしょう。『万葉集』の中でも、心に残るという点では傑出した歌です。

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古典の花園14 第二章9


 術(すべ)もなく苦しくあれば、「出で走り去(い)なな」と思(も)へど、
児らに障(さ)やりぬ。  (山上憶良)

 どうしようもなく苦しいので、家を捨てて逃げ去ろうかと思っても、子供らゆえに、それもできない、ということで、昔から「子は三界の首枷」と言われるように、子供らへの愛情は、行動の束縛にもなります。「銀も金も宝玉も、子供にまさる宝は無い」と詠んだ山上憶良のもう一つの面です。「去なな」は、動詞「去ぬ」の未然形の「去な」に上代の希望の終助詞「な」が付いたものです。

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古典の花園13 第二章8


 妹(いも)が見し、あふちの花は散りぬべし。
わが泣く涙、いまだ干なくに。 (山上憶良)

 「妹」は愛する女性のことで、ここでは亡くなった妻のこと。前半の文末の「~ぬべし。」は、完了の「ぬ」が強意で用いられたものに推量の「べし」が付いたもので、「きっと~だろう。」という意味になります。後半の文末の「~なくに。」は「~ないのに。」の意味。全体では、「亡くなった妻が見た楝(センダン)の花はまもなく散ってしまうだろう。妻を思って流す私の涙はまだ涸れないのに。」という意味になります。この歌は、上司である大伴旅人の妻の死を悼む歌で、憶良が旅人の立場で詠んだ歌です。

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古典の花園12 第二章7


 秋風や。むしりたがりし赤い花。  (一茶)

 「『さと女』三十五日墓」と前書きがあります。愛児さとの死後、墓前で詠んだ句でしょう。幼い子は花などをむしりたがるものですが、墓の前に揺れている赤い花を見ると、さとが生きていた頃、花をむしりたがったことをつい思い出してしまうのです。  

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古典の花園11 第二章6


 露の世は、露の世ながら、さりながら。 (一茶)

 一茶が愛児さとを一歳で失った時の句です。この世が露のようにはかない世の中であることは知っていたが、そうは言っても、ほとんど人生を経験することも無くあっという間に死んでいった我が子を思うと、その定めが恨めしくてならない、という、切々たる親心を表しています。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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