第十九章 誤解
最初の出会い以来、マルスはマチルダをことさらに冷静に眺めようとしていた。只の高慢な貴族の娘であり、自分とはまったく縁のない相手だと思い込もうとしていたのである。しかし、旅に出て以来、ふと気づくとマチルダのきれいな横顔を思わず眺めていることがよくあった。マチルダの方もトリスターナのことでマルスをわざと意地悪い言葉でからかったりしたが、その言葉にはもはやほとんど毒はなかった。今ではマルスをすっかり信頼し、頼りきっているくらいだ。そうなると、明るく美しく頭のいいマチルダのような少女が、同じ年頃のマルスを引き付けないはずはなかったのである。そして、実のところ、マチルダの方も決してマルスに無関心どころではなく、マルスほど純朴な少年でなかったら、マチルダは自分に気があると確信できる態度もしばしば見られたのであった。
やがてマルスは荷台から体を起こし、他の者を起こさないようにそっと馬車から降りた。
夜明けまであと三、四時間くらいだろうか。眠れないまま荷台に身を横たえているのも耐えがたいので、町を歩いてみようと思ったのだ。
後ろから小さな声がマルスを呼び止めた。
「マルス? どこへ行くの」
マチルダだった。
「うん……眠れないんで、ちょっと散歩してくる」
「私も行くわ」
マチルダも馬車から滑り降りた。
二人は黙って肩を並べて歩いた。
城内は敷地の一辺がおよそ七、八百メートルくらいだろうか。その中には大通りがあって、その両側に住居が立ち並んでいる。かなり大きな池もあり、その周囲は果樹なども植えられている。
「さっきは有難う」
マチルダが小さく、恥ずかしそうに言った。
「うん。何もなくて良かった。驚いただろう?」
「ええ、あんな奴もいるのね。あんな人、初めて見た」
「そうだな。気をつけなきゃあな」
「マルス……」
「うん?」
「これまで意地悪ばっかり言って御免ね。ううん、助けられたから言うんじゃないの。一度謝ろうと思っていたんだ」
「……何も謝ることはないさ」
「この旅に一緒に付いて来たのもマルスには迷惑だったでしょう?」
「迷惑なんてことはない。来てくれて良かったと思ってるよ」
「本当?」
「ああ、君たちのお陰で、随分慰められている。一人で旅していたらと思うとぞっとする」
「良かった。迷惑がられているんじゃないかと気になってたんだ」
二人はまた黙り込んで歩いた。
前方から人が来るらしい様子があった。
「夜警かな」
マルスの胸に不安が過ぎった。こんな夜中に外を出歩いていると、何かまずいことになるんじゃないだろうか。
その不安は的中した。
「おい、お前たちは何者だ。こんな夜中になぜ出歩いている」
カンテラを手にして近づいてきた数人の男は、兵士ではなく普通の市民のようだが、夜警であることは確からしい。
「怪しい奴らだ。この町では見かけぬ顔だが、もしかして他の町の者か。火付けでも企んでいたのではないか」
マルスは、両手を上げて、火付けの道具など持っていないことを示したが、夜警たちは納得しなかった。
「とにかく番所まで来い。そこで取り調べよう」
マルスとマチルダが連れて行かれたのは、町の中心にある大きな建物だった。
マルスが説明するのに一切耳を貸さず、夜警の男は
「尋問は参事会の方が行う決まりだ。言いたいことは明日参事様の前で言うがいい」
の一点張りだった。
翌日、日が高く上った頃、マルスとマチルダの閉じ込められた牢屋に、兵士二人を連れた一人の男が入ってきた。
年の頃は五十前後だろうか。白い髭に眉毛は黒々とした精力的な顔つきの男である。
「昨夜火付けを企んだというのはお前達か」
男は、冷酷な目でマルスとマチルダを見て言った。
「火付けなど企んでいません。誤解です」
「ではなぜ、真夜中に町をうろついていた」
「月がきれいなので散歩していただけです」
「散歩だと? この町にはそのような物好きはいない」
「我々とは風習が違うのでしょう。アスカルファンでは夜に出歩くのはごく普通のことです」
「アスカルファンの者か。では、アスカルファンの者が何でこんな所に来た。その方がよほど怪しいぞ。この町を攻めるための下見か」
「馬鹿な」
マルスは言ったが、この男を説得するのは難しそうだと感じざるを得なかった。
最初の出会い以来、マルスはマチルダをことさらに冷静に眺めようとしていた。只の高慢な貴族の娘であり、自分とはまったく縁のない相手だと思い込もうとしていたのである。しかし、旅に出て以来、ふと気づくとマチルダのきれいな横顔を思わず眺めていることがよくあった。マチルダの方もトリスターナのことでマルスをわざと意地悪い言葉でからかったりしたが、その言葉にはもはやほとんど毒はなかった。今ではマルスをすっかり信頼し、頼りきっているくらいだ。そうなると、明るく美しく頭のいいマチルダのような少女が、同じ年頃のマルスを引き付けないはずはなかったのである。そして、実のところ、マチルダの方も決してマルスに無関心どころではなく、マルスほど純朴な少年でなかったら、マチルダは自分に気があると確信できる態度もしばしば見られたのであった。
やがてマルスは荷台から体を起こし、他の者を起こさないようにそっと馬車から降りた。
夜明けまであと三、四時間くらいだろうか。眠れないまま荷台に身を横たえているのも耐えがたいので、町を歩いてみようと思ったのだ。
後ろから小さな声がマルスを呼び止めた。
「マルス? どこへ行くの」
マチルダだった。
「うん……眠れないんで、ちょっと散歩してくる」
「私も行くわ」
マチルダも馬車から滑り降りた。
二人は黙って肩を並べて歩いた。
城内は敷地の一辺がおよそ七、八百メートルくらいだろうか。その中には大通りがあって、その両側に住居が立ち並んでいる。かなり大きな池もあり、その周囲は果樹なども植えられている。
「さっきは有難う」
マチルダが小さく、恥ずかしそうに言った。
「うん。何もなくて良かった。驚いただろう?」
「ええ、あんな奴もいるのね。あんな人、初めて見た」
「そうだな。気をつけなきゃあな」
「マルス……」
「うん?」
「これまで意地悪ばっかり言って御免ね。ううん、助けられたから言うんじゃないの。一度謝ろうと思っていたんだ」
「……何も謝ることはないさ」
「この旅に一緒に付いて来たのもマルスには迷惑だったでしょう?」
「迷惑なんてことはない。来てくれて良かったと思ってるよ」
「本当?」
「ああ、君たちのお陰で、随分慰められている。一人で旅していたらと思うとぞっとする」
「良かった。迷惑がられているんじゃないかと気になってたんだ」
二人はまた黙り込んで歩いた。
前方から人が来るらしい様子があった。
「夜警かな」
マルスの胸に不安が過ぎった。こんな夜中に外を出歩いていると、何かまずいことになるんじゃないだろうか。
その不安は的中した。
「おい、お前たちは何者だ。こんな夜中になぜ出歩いている」
カンテラを手にして近づいてきた数人の男は、兵士ではなく普通の市民のようだが、夜警であることは確からしい。
「怪しい奴らだ。この町では見かけぬ顔だが、もしかして他の町の者か。火付けでも企んでいたのではないか」
マルスは、両手を上げて、火付けの道具など持っていないことを示したが、夜警たちは納得しなかった。
「とにかく番所まで来い。そこで取り調べよう」
マルスとマチルダが連れて行かれたのは、町の中心にある大きな建物だった。
マルスが説明するのに一切耳を貸さず、夜警の男は
「尋問は参事会の方が行う決まりだ。言いたいことは明日参事様の前で言うがいい」
の一点張りだった。
翌日、日が高く上った頃、マルスとマチルダの閉じ込められた牢屋に、兵士二人を連れた一人の男が入ってきた。
年の頃は五十前後だろうか。白い髭に眉毛は黒々とした精力的な顔つきの男である。
「昨夜火付けを企んだというのはお前達か」
男は、冷酷な目でマルスとマチルダを見て言った。
「火付けなど企んでいません。誤解です」
「ではなぜ、真夜中に町をうろついていた」
「月がきれいなので散歩していただけです」
「散歩だと? この町にはそのような物好きはいない」
「我々とは風習が違うのでしょう。アスカルファンでは夜に出歩くのはごく普通のことです」
「アスカルファンの者か。では、アスカルファンの者が何でこんな所に来た。その方がよほど怪しいぞ。この町を攻めるための下見か」
「馬鹿な」
マルスは言ったが、この男を説得するのは難しそうだと感じざるを得なかった。
PR