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人参ツナマヨ和えのレシピ

現在の種子法(買い取り種子以外不法とされる)下の野菜、特に「プラスチック化」した人参で作っても美味いかどうかはわからないが、レシピそのものは面白い。特に人参をピーラーで剥いて紙状にするのは、「プラスチック人参」を食う良策かもしれない。
マヨネーズも、昔に比べると不味い(理由不明。値段の高いのはまともな味かもしれない)ので、ツナマヨなら必ず美味いという信仰も無くなりそうである。

(以下引用)

「ツナ缶」があるなら試して!ただのツナマヨではない 意外と知らない美味しい食べ方とは

脱サラ料理家ふらお『なにもしたくない日のひらめきレシピ』著者






「ツナ缶が好きで時々買うことがある」
「よくツナマヨにして、おにぎりの具材にすることがある」


そんな方に、ぜひ知っていただきたい「ツナ缶の簡単で美味しい食べ方」をご紹介します。

材料(2人分)

  • ツナ缶(油漬け)…1つ
  • にんじん…1本(150g)
  • マヨネーズ…大さじ1
  • めんつゆ(2倍濃縮)…大さじ1

*「水煮」のツナ缶を使用する場合は、水を切ったうえで「ごま油(小さじ2)」を加えてください

作り方


洗って皮を剥いたにんじんを、ピーラーで薄くスライスします。


耐熱容器に移します。



ラップをかけて電子レンジ600Wで2分加熱します。


加熱後、容器の底にたまった水をしっかりと切ります。



ツナ缶(油ごと)、マヨネーズ、めんつゆを加えます。



全体を混ぜ合わせます。


最後に、器に盛り付けて、お好みで白炒りごまと粗挽き黒胡椒をかければ…



にんじんの甘みとツナマヨの旨みがマッチした「無限ツナマヨにんじん」の完成です。


マヨネーズのコクと、めんつゆの旨みが合わさることで、夕飯の一品としてはもちろん、おつまみにもピッタリな副菜に仕上がります。


ツナが入っているため、食べ応えも抜群な今回のツナ缶レシピ。


「美味しそう」「食べてみたい」と思われた方は、ぜひこの機会に一度お試しいただければ幸いです。


また今回のような簡単で美味しいレシピは『なにもしたくない日のひらめきレシピ』(扶桑社刊)でも多く紹介しているため、紙媒体でご覧になりたい方はご活用ください。


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大正から昭和前期に至る日本の軍部の独断と横暴

大東亜戦争の発端は関東軍の独断専行にあり、その萌芽は大正初年の軍部の横暴にあり、さらにその萌芽は明治維新での功臣(特に薩摩の西郷と大久保)が長州閥以外早々と殺され、あるいは死亡した結果長州閥だけが軍部(主に陸軍)の中枢を独占したことにある。

ここでは、子供向け(中高生向け)の歴史解説書「日本の歴史 14 (大正・昭和時代初期)」から、大正初年度の軍部の横暴なふるまいを転載する。明らかに、彼らは即位したばかりで若年で虚弱な大正天皇を見くびり、このようなふるまいに出たのである。これが「天皇に統帥権を帰する」ことの明白な危険性である。そしてその軍部の独断と横暴は昭和にも続き、日本を一度滅亡させるのである。

(以下引用)


「憲政擁護」の声が急に高まったのは、1912年(大正1)12月、西園寺公望内閣が総辞職に追い込まれた事件がきっかけでした。
このころ西園寺内閣は、歳出をへらすために(夢人注:日露戦争の負担があまりに巨額で、その外債の返済に政府は苦しんでいた。)、各省はそれぞれ10%あまりの節約、削減すると話し合っていました。ところが陸軍(夢人注:陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥である)は、この方針に従いませんでした。
「3%は予算を削減しよう。しかし、その節約したぶんは、新しく陸軍を二個師団ふやすことに使ってほしい」というのです。
しかも、その要求がはねつけられると、陸軍大臣上原勇作は、直接大正天皇のところにでかけ、辞表を提出するという行動に出ました。
西園寺首相は、陸軍の黒幕である山県有朋と話しあいましたが、山県も承知しません。そればかりか、「二個師団ふやすことを承知しないのならば、陸軍は大臣を推薦しない」と言い出しました。このころ、陸軍大臣は現役の将官でなければならないという決まりがありました。陸軍が、大臣を推薦しないということになれば、内閣を組織することはできません。
そのため、西園寺内閣はついに総辞職することになったのです。この出来事が多くの政治家はもちろん、民衆の怒りに火をつけました。
「山県は長州閥の巨頭だ。彼らがいるからこんなことがおこるのだ」
「今こそ、閥族を倒し、憲政擁護をせねばならぬ」
という意見が高まることになったのです。

(引用終わり)

で、この「憲政擁護」の声の高まりも空しく、その後の日本の政治が軍部に牛耳られるようになり、馬鹿軍人たちの夜郎自大ぶりがこの国を滅ぼしたのは言うまでもない。

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目の異常とキャベツ

キャベツが一玉100円と、やっと「まともな値段」になってきたので、昨日今日と、晩酌のつまみにキャベツのコンビーフ炒めを作って食ったが、今朝、ここ数か月の悩みだった目の異常(しょぼしょぼする、霞む、涙が異常に出る、など)が9割がた消えていたので、あるいはこれはキャベツのご利益かと思って調べてみた。それ以外の原因(食べたもの以外の原因)は思いつかないからである。
キャベツにはいろいろな栄養素があるが、おそらく目と関係するのはカリウムとカルシウムだろう。どちらも神経に関係する。つまり視神経や眼筋神経異常の改善に効果があるのではないか。
なお、味自体は昔のキャベツの美味さとは比べものにならないので、その点では期待しないほうがいい。高価なキャベツなら昔どおりかどうかは知らない。

(以下引用)

1-6.カリウム

キャベツにはカリウムが100g当たり200mgと豊富に含まれています[11]。


カリウムには、ナトリウムの排出を促して血圧を下げるはたらきがあります


ナトリウムは主に食塩(塩化ナトリウム)の形で摂取されますが、体に必要なミネラルの一種である一方、高血圧の大きな要因だといわれています。


日本人は塩分を過剰摂取しがちだといわれるので、カリウムはとても重要なミネラルだといえるでしょう。



減塩におすすめのレシピ本 >

キャベツにはナトリウムを吸着して排出させる食物繊維も豊富なため、塩分の摂り過ぎが気になっている方は意識的にキャベツを食事に取り入れてみてくださいね。


またカリウムは細胞の浸透圧を調整して一定に保つ他、心臓の機能や筋肉の収縮、神経の伝達、細胞の酵素反応の調節など、生命維持に欠かせない多くの役割を担っています


日本人のカリウム摂取量は全ての年代の男女で目標量を下回っているため、キャベツを身近な摂取源として積極的に食べるようにしても良いでしょう。

注意!
腎臓の機能が低下するとカリウムがうまく排出されず、血液中の濃度が高まって「高カリウム血症」になる恐れがあります。腎臓病で治療を受けている方はカリウムの摂取量について主治医に確認してください。

カリウムについては以下の記事で詳しく解説しています。


カリウムを豊富に含む食べ物は?効果と摂取基準も解説


[11] 文部科学省 「日本食品標準成分表2020年版(八訂)」


1-7.カルシウム

キャベツにはカルシウムも100g当たり43mgと豊富に含まれています[12]。


人間の体内のカルシウムの99%は骨や歯の形で存在しており*13、骨に貯蔵されたカルシウムは体を支えたり内臓を守ったりしています。


残りの1%は筋肉や神経、血液中にあり[13]、筋肉の収縮、神経興奮の抑制、血液の凝固作用などの重要な役割を担っています。


カルシウムの働きを解説している図


心臓の筋肉を正常に動かすためにもカルシウムは必須なため、生命維持の根幹に関わる栄養素だといえるでしょう。


しかし、日本人のカルシウム摂取量は男女ともに全ての年代で推奨量に達していません


キャベツはカルシウムを骨に吸着させるはたらきのあるビタミンKも豊富なため、骨を丈夫にしたい方は積極的に食べるようにしてみてくださいね。


カルシウムについては以下の記事で詳しく解説しています。


カルシウムを多く含む食品と効果的な摂り方は?骨の健康を守ろう!


[12] 文部科学省 「日本食品標準成分表2020年版(八訂)」



[13] 公益財団法人長寿科学振興財団 健康長寿ネット 「カルシウムの働きと1日の摂取量」


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なぜ人は新興宗教に騙されるのか

「偏見と独断の人」東海アマ氏のブログ記事の一部で、わりとまともな部分だけ抜粋転載する。貧困の極みにあるらしいアマ氏が、自分の「資産」の処理に困っているという喜劇的状況が面白い。まあ、当人には面白いどころではないとは思うが、氏の仏教理解に従えば、まさに「自業自得」だろう。しかも、それが生前に目の前に現れたわけだ。
なお、これを転載したのはここに書かれた「新興宗教のいかがわしさ」の例のためである。

あの愚劣そのものの教義である統一教会ですら多くの信者を産み、日本の政治中枢にあれほど入り込み、日本を破壊し続けているのだから、こうした「邪悪宗教」の害は巨大なものである。

(以下引用)

 「作ったのはいいが…」というのは、私自身が、今、本当に困っていることなのだ。家や道具を作りすぎて、家族も後継者もおらず、自分の死が近づいた今、「いったいどうすんべー」と頭を抱える毎日だ。
 正直、核戦争が起きて、当地をロシアの水爆ミサイル(サルマト)が直撃してほしいと願うばかりなのだ。

 なにせ、家を一軒解体するだけで解体屋に依頼すれば最低でも400万円程度は飛んで行く。月々わずか5万円の年金では、どうしようもない。
 クマやカモシカやタヌキが徘徊する当地は、いまだに、平米3000円程度の価値しかない。なにせ、最寄バス停まで徒歩2時間だからな…。近いスーパーまで、車で20分かかるしな…。

 最近では、財務省強盗団の意向で、放置不動産の管理にもひどく金がかかるようになった。
 結局、自分の死体とともに、密かに朽ちる運命しかないのか…。あとは野となれ山となれ…。きっと心霊スポットになるにちがいない。
 いや近所に住むプロ泥棒と私のバトルが知られて、観光地になるかも…。

 「欲しい!」という人間の普遍的欲望によって、人は生まれて以来、次々に、いろいろなものを生み出す、作りだす。
 その欲望は、まれに有益な遺産として機能することもあるのだが、ほとんどの場合は「負の遺産」となる。
 後世の人々にとって、邪魔、無駄なものでしかない。「壊す」という余計な手間をもたらすのだ。

 日本の場合は、冒頭に紹介した御嶽教どころか、大半の宗教が、無駄、無益なコケオドシ施設を残している。
 なかには、バブル時代の不動産成金が、競うように全国で巨大観音像を建設し、ことごとく廃墟化して、その始末に巨額の税金が使われていることもある。
 https://www.yomiuri.co.jp/national/20220121-OYT1T50211/

 https://cookpapio.com/2021/06/01/%E3%80%8C%E9%AB%98%E3%81%95%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%AC%AC%EF%BC%95%E4%BD%8D%E3%81%AE%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A6%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%81%AB%E3%81%A4/

 まあ、信者のいるうちはいいし、宗教商売が成り立っているうちはいいのだが、栄枯盛衰は世の習い。一時は日本国民の一割が信者といわれた創価学会でさえ、今では落ちぶれてしまい、830万世帯という公称でありながら、実数は200万世帯以下との噂もある。
 立正佼成会も同じように、団塊世代が主力だった最盛期の三分の一になっている。
 https://diamond.jp/articles/-/329918

 創価学会も立正佼成会も、その他の新興宗教も、幹部が前世紀末のバブル時代に金の亡者になってしまい、信者に苛酷な献金要求、取り立てを行うようになって、信者が意欲を失って次々に離れていったという解説もある。
 そういえば、池田大作は、戸田城聖が創立したサラ金(大倉商事)の取り立て屋で、病人の布団さえ引きはがすほどの情容赦のない取り立てで知られていたようだ。池田の後継者たちも同じだろうな。
  https://ameblo.jp/cultsoudan/entry-12676133108.html

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ヒトラーのユダヤ人憎悪の機序

第二次世界大戦の自分なりの総括は私の思考テーマのひとつだが、その中には「ヒトラーはなぜあれほどユダヤ人を憎悪したのか」という問題がある。どの論説を見ても(少なくとも私の読んだかぎりでは)それを説明した記述は無かったからだ。
で、先ほど少し読んだジョン・トーランドの「アドルフ・ヒトラー」の中で、「ははあ、こういう経路だな」という手がかりを得たので、メモしておく。
これは第一次大戦末期の状態である。点線部分は省略したところ。補注した部分もある。

「『我が闘争』によれば、ここで(ヒトラーは)ようやく(軍隊の)士気の低下の答を見つけた。ユダヤ人!…彼らは銃後でドイツの崩壊を策していたのだ。…彼はまた「ユダヤ経済」がドイツの生産を支配していると確信した。『蜘蛛は国民の毛穴から徐々にその血を吸いはじめていた』」

「銃後でも国民は犬や猫を食うことを強いられていた。…ドイツの同盟国もまた窮乏していた。…ウィーンとブダペストでは、飢えのみならずドイツが誕生まもないロシアのボルシェヴィキ政権との和平に失敗したことも引金となって、(反戦運動と)ストライキが発生した。…1918年1月18日の月曜日に、ドイツ全土の労働者たちがストライキに入った。…首都には反乱の機運が横溢して、大規模な革命が勃発するのは時間の問題かと見えた。」
「ゼネラル・ストライキのニュースは前線において複雑な感情で受け止められた。兵士たちの多くは銃後の国民と同じように戦争に倦み疲れ、嫌気がさしていたが、それに劣らず多くのものが祖国の民間人に裏切られたと感じていた。ヒトラーはそのことを指して『全戦争を通じての最大のペテン』と呼んだ。彼は兵役忌避者と赤に激怒した。『本国そのものがもはや勝利を望んでいないとしたら、軍隊はなんのために戦っているのだ? この途方もない犠牲と苦難はいったいなんのためだ? 兵士は勝利のために戦うべきだといいながら、本国では勝利を阻むストライキとは!』」

「ヒトラーはこの時期にユダヤ人と赤(これはほぼ一心同体とみなされた。)を恐れることを学んだ何百万人という愛国者の一人にすぎなかった。なぜならこの数か月間に、国じゅうがドイツの存立を根底から脅かすマルキシズムの影響を受けた一連の蜂起に呑みこまれてしまったからである。」
「この労兵評議会は兵士と労働者だけでなく、多数派社会党と独立社会党の合同戦線でもあった。この組織はすでにわずか数か月前には不可能と思えた数々の社会的改革を実現していた。すなわち八時間労働の確立、労働組合結成の制限撤廃、労働者の老齢、疾病、失業手当の増額、新聞検閲の廃止、政治犯の釈放などがそれである。
ヒトラーは社会改革には賛成だったものの、それを実行した革命家たちを信用していなかった。執行委員会はボルシェヴィキと(?)前線兵士を裏切った者たちの手先であり、その究極の目標はもう一つの赤色革命である、というわけだった。」


つまり、自分たち兵士が前線で必死で戦っている間に銃後でゼネストなどを起こすのは、「軍隊の足を引っ張る」行為であり、裏切りである。そしてその首謀者たちは共産主義者でありユダヤ人だ。なぜならマルクスはユダヤ人だからだ。(で、ユダヤ資本家も本当は敵だが、カネを持っているから、彼らの始末は後回しにして自分の政治活動にカネを出させよう)、というわけで、ユダヤ人=共産主義者とし、ユダヤ資本家と切り離したのだろう。カッコ内は私の補足である。

なお、ヒトラー自身が社会主義と共産主義を明確に区別していたのは、これほどまでの共産主義憎悪に関わらず、彼が自分の政党に「国家社会主義党」という意味のナチスという名をつけたことで明白である。それ(その区別)は当時の常識だったのだ。それがいつのまにか、社会主義と共産主義の混同が(意図的に)為されてきたわけだ。今さら言うまでもないだろうが、労働運動による労働者の社会主義的待遇改善(労働者の利益増進と幸福の増進)は資本家の利益の削減になるからである。


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西田昌司の「ひどい」歴史認識

(以下「沖縄タイムス」社説を引用)



 自民党の西田昌司参院議員が、憲法記念日に那覇市で開かれた憲法シンポジウムで講演し、ひめゆりの塔を参拝した時の「説明のしぶり」を問題視した。


 「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり(学徒)隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて、沖縄が解放されたと。そういう文脈で書いている」


 西田氏は「何十年か前、国会議員になる前」に訪ねた時の話を「今はどうか知りませんが」とことわりながら、「あそこはひどい」「歴史の書き換え」だと批判した。


 どこがひどいのか。いつどこで、何を見て、そう感じたのか。具体的な説明は一つもない。


 それなのに「亡くなった方々は、ほんとに救われませんよ」とまで語っているのである。

(内容がカバーされた部分を中略)


 「ひめゆり平和祈念資料館」の建設・運営に後半生の全てをささげてきた元学徒の感情を逆なでするような一方的決めつけである。


 生き残った元学徒らは、戦場で多くの学友や恩師を失い自分が生き残ったこと、負傷した学友を壕に置き去りにせざるを得なかったことに、強い「罪責感情」を抱いていた。


 トラウマ的な記憶を抱える当事者たちは、戦争が終わっても長い間、自らの体験を語ることがなかった。


 「ひめゆりの塔」のそばに、ひめゆり平和祈念資料館が開館したのは、1989年6月のことである。ひめゆり学徒の視点で沖縄戦を捉えるという基本姿勢は今も変わっていない。


■    ■


 「ひめゆり」を巡っては、殉国美談の語りが戦後ずっと生産され続けてきた。


 ある時期から、女子学徒隊は他にもあるのに「なぜひめゆりだけ」という声も上がるようになった。


 体験者の証言を聞いた若い世代からは「自分に酔っている」「退屈」だという感想も上がった。


 実は、資料館の活動で特筆されるのは、こうした問題に正面から取り組んできたことだ。


 資料館は資料集として各校同窓会の協力を得て「沖縄戦の全学徒隊」を出版したほか、毎年、感想文集を発行し、見学者の声を丁寧に拾い上げている。


 亡くなった学友の名前を記した「過去帳」には「その短い生涯の名に永遠の願いをこめ ご冥福をお祈りし あわせて世界の平和を祈願します」とある。


 そこには生き残った学徒、教師らの掛け値のない思いが込められている。


■    ■


 45年6月18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出た。


 捕虜になることを許さなかった日本軍は、学徒らを保護する措置も取らなかった。学徒らは米軍が目の前に迫る戦場に放り出されたのである。


 ひめゆり学徒の戦没者の約8割は、18日以降に亡くなっている。


 米軍が運営する野戦病院で傷ついた沖縄県民を手当てしたのは、学徒隊の生き残りである。


 そのような重い事実を、西田氏は知っているのだろうか。


[社説]憲法とSNSと人権 被害放置せず対応急げ


ひめゆりの塔の展示は「ひどい。歴史の書き換えだ」自民・西田参院議員が発言 憤る平和祈念資料館長「沖縄戦体験者の思いを踏みにじる」

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高齢婆さん英雄伝

昔、100歳を超えた男性老人が女性を強姦し、英国国王から「元気でよろしい」と表彰され、その爺さんの名前が「オールドパー」というウィスキー名として残っている(たぶん、まだ製造している)が、下の記事の事件も、書かれた内容、つまり80歳の老婆が50代男性を殺したのが事実なら表彰していいのではないかwww
いや、被害者男性は気の毒だが、なぜ、どのようにしてそうなったか、詳報が知りたい。
戦場で人を大量に殺した兵士が英雄なら、この婆さんも英雄、いや、英雌である。「英」とは「秀でている」意味だ。モラルは別の話。歴史では大量に殺人した人間(軍人や独裁者)が英雄とされている。殺人や他国侵略、他民族奴隷化で「秀でている」から英雄というわけだ。

(以下引用)

広島市の土手に倒れた男性、死亡 80歳女性を殺人未遂容疑で逮捕


配信

毎日新聞

広島市中区



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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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