マヨネーズも、昔に比べると不味い(理由不明。値段の高いのはまともな味かもしれない)ので、ツナマヨなら必ず美味いという信仰も無くなりそうである。
(以下引用)
「ツナ缶」があるなら試して!ただのツナマヨではない 意外と知らない美味しい食べ方とは

気の赴くままにつれづれと。
キャベツにはカリウムが100g当たり200mgと豊富に含まれています[11]。
カリウムには、ナトリウムの排出を促して血圧を下げるはたらきがあります。
ナトリウムは主に食塩(塩化ナトリウム)の形で摂取されますが、体に必要なミネラルの一種である一方、高血圧の大きな要因だといわれています。
日本人は塩分を過剰摂取しがちだといわれるので、カリウムはとても重要なミネラルだといえるでしょう。
キャベツにはナトリウムを吸着して排出させる食物繊維も豊富なため、塩分の摂り過ぎが気になっている方は意識的にキャベツを食事に取り入れてみてくださいね。
またカリウムは細胞の浸透圧を調整して一定に保つ他、心臓の機能や筋肉の収縮、神経の伝達、細胞の酵素反応の調節など、生命維持に欠かせない多くの役割を担っています。
日本人のカリウム摂取量は全ての年代の男女で目標量を下回っているため、キャベツを身近な摂取源として積極的に食べるようにしても良いでしょう。
カリウムについては以下の記事で詳しく解説しています。
[11] 文部科学省 「日本食品標準成分表2020年版(八訂)」
キャベツにはカルシウムも100g当たり43mgと豊富に含まれています[12]。
人間の体内のカルシウムの99%は骨や歯の形で存在しており*13、骨に貯蔵されたカルシウムは体を支えたり内臓を守ったりしています。
残りの1%は筋肉や神経、血液中にあり[13]、筋肉の収縮、神経興奮の抑制、血液の凝固作用などの重要な役割を担っています。
心臓の筋肉を正常に動かすためにもカルシウムは必須なため、生命維持の根幹に関わる栄養素だといえるでしょう。
しかし、日本人のカルシウム摂取量は男女ともに全ての年代で推奨量に達していません。
キャベツはカルシウムを骨に吸着させるはたらきのあるビタミンKも豊富なため、骨を丈夫にしたい方は積極的に食べるようにしてみてくださいね。
カルシウムについては以下の記事で詳しく解説しています。
カルシウムを多く含む食品と効果的な摂り方は?骨の健康を守ろう!
[12] 文部科学省 「日本食品標準成分表2020年版(八訂)」
[13] 公益財団法人長寿科学振興財団 健康長寿ネット 「カルシウムの働きと1日の摂取量」
自民党の西田昌司参院議員が、憲法記念日に那覇市で開かれた憲法シンポジウムで講演し、ひめゆりの塔を参拝した時の「説明のしぶり」を問題視した。
「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり(学徒)隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて、沖縄が解放されたと。そういう文脈で書いている」
西田氏は「何十年か前、国会議員になる前」に訪ねた時の話を「今はどうか知りませんが」とことわりながら、「あそこはひどい」「歴史の書き換え」だと批判した。
どこがひどいのか。いつどこで、何を見て、そう感じたのか。具体的な説明は一つもない。
それなのに「亡くなった方々は、ほんとに救われませんよ」とまで語っているのである。
(内容がカバーされた部分を中略)
「ひめゆり平和祈念資料館」の建設・運営に後半生の全てをささげてきた元学徒の感情を逆なでするような一方的決めつけである。
生き残った元学徒らは、戦場で多くの学友や恩師を失い自分が生き残ったこと、負傷した学友を壕に置き去りにせざるを得なかったことに、強い「罪責感情」を抱いていた。
トラウマ的な記憶を抱える当事者たちは、戦争が終わっても長い間、自らの体験を語ることがなかった。
「ひめゆりの塔」のそばに、ひめゆり平和祈念資料館が開館したのは、1989年6月のことである。ひめゆり学徒の視点で沖縄戦を捉えるという基本姿勢は今も変わっていない。
■ ■
「ひめゆり」を巡っては、殉国美談の語りが戦後ずっと生産され続けてきた。
ある時期から、女子学徒隊は他にもあるのに「なぜひめゆりだけ」という声も上がるようになった。
体験者の証言を聞いた若い世代からは「自分に酔っている」「退屈」だという感想も上がった。
実は、資料館の活動で特筆されるのは、こうした問題に正面から取り組んできたことだ。
資料館は資料集として各校同窓会の協力を得て「沖縄戦の全学徒隊」を出版したほか、毎年、感想文集を発行し、見学者の声を丁寧に拾い上げている。
亡くなった学友の名前を記した「過去帳」には「その短い生涯の名に永遠の願いをこめ ご冥福をお祈りし あわせて世界の平和を祈願します」とある。
そこには生き残った学徒、教師らの掛け値のない思いが込められている。
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45年6月18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出た。
捕虜になることを許さなかった日本軍は、学徒らを保護する措置も取らなかった。学徒らは米軍が目の前に迫る戦場に放り出されたのである。
ひめゆり学徒の戦没者の約8割は、18日以降に亡くなっている。
米軍が運営する野戦病院で傷ついた沖縄県民を手当てしたのは、学徒隊の生き残りである。
そのような重い事実を、西田氏は知っているのだろうか。
ひめゆりの塔の展示は「ひどい。歴史の書き換えだ」自民・西田参院議員が発言 憤る平和祈念資料館長「沖縄戦体験者の思いを踏みにじる」