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大久保利通のこと

私は西郷隆盛も大久保利通も好きなのだが、西郷は情に流されて判断を誤る傾向があり、冷徹な大久保のほうをより好ましく思っている。古今の政治家としては最高の人物だったと思う。
彼が死んだとき、私財がまったく無く、借金すらあったというエピソードが好きである。私財と借金は政府のため、他人のために使ったものであり、無私という点では西郷と大久保は双璧だろう。

(以下引用)

人物・逸話

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大久保の銅像(鹿児島市

仕事ぶり

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  • 金銭には潔白で私財を蓄えることをせず、それどころか必要だが予算のつかなかった公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で埋めていた。そのために死後の財産が現金140円に対して8,000円もの借金が残り、所有財産も全て抵当に入っていたが[16]、大久保の志を知っていた債権者たちは借財の返済を遺族に求めなかった。政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で遺族を養うことにした。
  • 「わしの国(薩摩)のものは政治には役に立ちません、戦にはいいが」と語り、出身藩に関わらず能力が高い者を登用した。伊地知貞馨のようにこれまで親交を結んでいた者であっても、不正(琉球から賄賂を受け取った)が明らかになった場合は容赦なく切り捨て、公正無私に取り扱った[17]
  • 寡黙で他を圧倒する威厳を持ち、冷静な理論家でもあったため、面と向かって大久保に意見できる人は少なかった。「人斬り半次郎」の異名を持つ桐野利秋(中村半次郎)も大久保に対してまともに話ができず、大酒を飲んで酔っ払った上で意見しようとしても大久保に一瞥されただけで気迫に呑まれていた。
  • 大久保の部下だった河瀬秀治は、大久保没後の内務省で後任の内務卿・伊藤博文の部屋で西郷従道中井弘が盛んに夕べの宴会の話をしたり、用もないのに中居が出入りするようになるなどの例を挙げ、「すべてが奢侈に流れ堕落した」と嘆いている。
  • 今日でいう風光関係の問題にも関心があった。明治6年(1873年)に五代友厚浜寺公園へ案内された大久保は、県令・税所篤が園内の松を伐採して住宅地として開発しようとするのを知り、「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」と反対する歌を詠んだ[注釈 5]。税所はこの歌を知り開発計画を撤回した。なお、浜寺公園の入り口付近にこの時に詠んだ歌が、「惜松碑(せきしょうひ)」として顕彰されている。

技能

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畳を回すという技能を持っていた[18]薩長との会合の際、長州代表主催者、周布政之助を快く思っていなかった堀小太郎(後の伊地知貞馨)が言葉じりを捕らえ、嘲った。空気が非常に重くなったが、さらに堀は周布を嘲り続けた。怒った周布は「芸を見せる」と言い抜刀し踊り始めた。堀を斬ることを察した、長州藩の藩士が堀との間に入り抜刀して踊り止めようとし、空気に緊張感がましたその時、大久保は畳を一枚ひっぺがえし、畳を回すという芸を見せた。これで空気が弛緩し、ことなきを得た。これはのちの世で幕末の鴻門の会と呼ばれている。[要出典]

嗜好

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  • 家庭内では子煩悩で優しい父親だったという。出勤前のわずか10分か15分の間を、唯一の娘である芳子を抱き上げて慈しんだ。また大久保が馬車で自宅に帰ってくると、三男の大久保利武ら子どもたちが争って、玄関に出迎え靴を脱がせようとして、勢いあまって後ろに転がるのを見て笑って喜んでいた。平生は公務が忙しく、家族と夕食を摂ることもままならなかったが、土曜日は自らの妹たちも呼んで家族と夕食を摂るようにしていた。大久保はこの土曜日の家族との夕食を無上の楽しみにしていたという。
  • 趣味は囲碁。碁好きの島津久光に接近するために碁を学んだといわれるが、それ以前の嘉永元年(1848年)の日記に碁を三番打って負けたとの記述もある。また囲碁に関しては負けず嫌いで、負けたときは露骨に機嫌を悪くすることもあった。
    • 大隈重信
      • 「(碁に関しては)岩倉と大久保は両人ともなかなか上手であった。どちらかと云うと大久保の方が少し上手であった。ところが大久保は、激し易い人であったので、岩倉はその呼吸を知って居るから、対局中常に大久保を怒らせて勝ちを取った」[19]
      • 「道楽の少ない男で、碁が一番大好きであった。何処へ往くにもお高と云う女碁打(三段)を連れて歩いた。我輩の宅などへ遊びに来るにも、先づお高を先き案内に寄越すと云う風である。大久保は碁に負けると厭な顔をするけれども、決してその場では腹を立てない。併し家に帰ると家人や書生に当り散らしたそうだ。ナンでも碁に負けて帰ると、玄関から足音が違ったという評判であった」[20]
    • 本因坊秀栄 「大久保公の碁は珍しい品の好い碁であって、永年の間相手となったが、一度も手許の乱れたことはなかった」
    • 伊藤博文 「公の一番好きなのは碁じゃ。余程好きで能くやって居った。詩もチョイチョイあるが、詩人としては成功しない方だが、自分の志を云うだけのことは出来た」[21]
    • 牧野伸顕 「父は碁が非常に好きだった。あまり好きなので、体に障りはしないかと心配するものがあり、或る日松方さんが同志を代表して出掛けて行き、父に注意すると、『私に碁を止めろと言うのですか。私は碁が出来なければ死んでしまいます』と父が答えたので、勿論冗談ではあったが、死なれては困るというので、碁を止めさせる計画は沙汰止みになった。父は翌日があるので夜更しはしなかったが、少しでも暇があると碁を打っていた。気分転換の意味もあったと思う」[22]
  • ヘビースモーカーで、濃厚な指宿煙草(日本で初めて栽培されたたばこ)を愛用し、子供達が朝晩パイプを掃除しなければすぐに目詰まりするほどだった。また、朝用と夜用のパイプをそれぞれ分けて使っていた(そうしなければならないほど、年中煙草を吸っていた)。
  • 茶は京都宇治玉露を濃く淹れたものを好んだ。
  • 漬物も好きで、何種類か並んでいないと機嫌が悪かったという。
  • 写真嫌いだった西郷隆盛とは対照的に、これを好んだため多くの肖像写真が残っている。
  • 青いガラス製の洗面器具を使い、家庭内においても洋間に滞在しながら洋服を着用し、当時としては非常に洋風な生活をしていた。また頭髪をポマードでセットしていた。
  • 頭頂部に大きな禿があり、それを髪で隠していたため、早朝に邸宅を訪問しても髪をセットするまで応対に現れなかったという。
    • 大隈重信 「如何いうものか頭の頂辺は早く禿げた。房やかな髭は黒々と伸び彼の通りの謹直な人で厳めしく見えたが、悲しい事には肝腎な頭の真ん中に毛が無い。そこで苦心して矢張り髭のあたりから毛を持ち運んで隠して居た。大久保は仲々御洒落で、身体の修飾をやったて、すこぶる勉強家で毎朝八時半頃から登省して事を視るという人であったが、その前にこの様なことで少なからず時間を費やしたものだ」[23]
  • 明治8年(1875年)から1年かけて、麹町三年町(旧丹羽左京大夫邸及び旧佐野日向守邸跡)に白い木造洋館を建てた(建築費用は恩賜金と盟友の税所篤からの借金で賄ったとされる。後にこの邸はベルギー公使館となった)。当時は個人の家としては珍しい洋館であったが、金をかけたものではなかった。また、これとは別に高輪に純和風の別邸を所有していた。

士族反乱~最期

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遭難地近隣の清水谷公園に立つ哀悼碑
  • 征韓論で対立した江藤新平と確執があり、佐賀の乱で江藤が裁判にかけられた際には日記に「江東(ママ)陳述曖昧実ニ笑止千万人物おし知ラレタリ」、死罪判決が出た際には「江東(ママ)醜体笑止なり、今日は都合よく済み大安心」と意図的に名字の名を変え、江藤への罵倒ともとれる言葉を記している[24]。このことから「江藤を死罪にした裁判長の河野敏鎌は大久保から1,000円で買収された」[25]「上京していた江藤の弟・江藤源作を見て江藤の亡霊を見たかのように驚いた」[26]など当時から現在に至るまで様々な風説を生み出している。なお、大久保は江藤の才能を認めつつも、その強引さ故に政府を去り反乱を起こして死亡した様を商鞅に例えている[27]
  • 萩の乱の一報を千坂高雅から受けると、大久保は「これ(電報)を伊藤(博文)参議の所へ持っていって、どうか木戸(孝允)さんへお渡し下さいと言ってくれ」と送り出した。意味がわからぬまま千坂が持っていくと伊藤が涙を流したため訳を聞くと、(萩の乱の首謀者である)前原一誠は木戸と伊藤が参議に推挙したが、前原について聞き及ぶところがあった大久保が難渋を示したところ、木戸が天下の志士を疑ったとして立腹したという経緯があり、木戸の面子を立てようとする大久保の配慮であった[28]
  • 西南戦争の時には、伊藤博文に対して「朝廷不幸の幸と、ひそかに心中には笑いを生じ候ぐらいにこれあり候」と鹿児島の暴徒を一掃できるとし、また西郷については、これでは私学校党に同意せず「無名の軽挙」をやらかさないだろうと書き送っている(明治10年2月7日付書簡)。一方で、「あの男のことだから進退去就には困っているだろう」として、勅使を立てて明治天皇の意向を伝えて挙兵を防ごうとし、その意向を受けて西郷の縁戚の川村純義が会見を試みたが、実現しなかった。周囲の者達が西郷が乱に与するに違いないと伝えても、大久保は最後まで西郷の不参加を信じて疑わなかったが、西郷が反乱軍を率いて鹿児島を出立したという確報や証拠を突きつけられ、「そうであったか」と言って涙を流した[29]。大久保は西郷と会談したいと鹿児島への派遣を希望したが、大久保が殺されることを危惧した伊藤博文らに朝議で反対されたため、希望は叶わなかった。
  • 西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と呟いた[30])。西南戦争終了後に「自分ほど西郷を知っている者はいない」と言って、西郷の伝記の執筆を重野安繹に頼んだりもしていた[31]。また暗殺された時には、生前の西郷から送られた手紙を持っていたとされる[32]
  • 明治11年(1878年)に暗殺される日の朝、福島県令・山吉盛典に対し、「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ」と将来の構想を語った[33]
大久保神社(郡山市安積町)
  • 安積疏水計画の推進者であった大久保利通を水神として祀る「大久保神社」が、福島県郡山市にあり、地元の人々によって「大久保様の水祭り」が毎年9月1日に執行されている[34]
  • 地元鹿児島では長らく「西郷どんの敵」とされていた。彫刻家の中村晋也が制作した銅像が建てられたのは、徐々に再評価が高まってもいた昭和54年(1979年)の西南戦争百周年の機会であった。

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日本人の「神」観念と社会秩序

私自身の別ブログから転載。

(以下自己引用)



日本人の「神」観念と社会秩序



単なる思い付きだが、白川静の「回思九十年」の中の対談の一部に、「人が神や死者を叱責する」話があり、そこに、日本人にとっての神や死者はやたらに崇高なものでもやたらに畏怖する対象でもなく、もっと身近な存在だったのではないか、という発想を得たのだが、いわば「となりのトトロ」である。人間でも動物でもないが、意思を通わせることが可能な不思議な存在が神や死者だったのではないか。
それは何かの禁忌を人間が犯すことで時には人間に罰を与えもし、捧げものをすることで喜びもするという「人間的感情」をもったもの、というわけだ。と同時に、キリスト教やユダヤ教のように人間が神の奴隷というわけでもない。神や死者は天国や地獄にではなくもっと、「隣りにいる存在」である。
つまり、「物の怪」と「神」、あるいは「神」と「死者」はさほど遠い存在ではない、という思想である。祖霊崇拝は、まさしく「人間が神になる」のと同義である。そして人間(死者)は幽霊にもなるのである。

そこからの思想の系として、日本人は「偉い人」を心から畏敬してはいない、という考えも生じる。神や死者でさえ「隣人」なのだから、支配者など同じ人間でしかない、というのは明白であるわけだ。
西洋や中東の絶対神思想と、支配者の絶対性というのは表裏の関係ではないだろうか。

すなわち、日本の民衆は権力者には従うが、尊敬はしない、ということだ。そうすると、「面従腹背」というのは重要な思想である、とも言えそうである。いざとなれば、どんな偉い人でも刀を振るって殺す、というのが本来の日本人だったとまで言えば大袈裟になるが、とりあえずは「利害計算で従っているだけだ」というのはむしろ日本人の「誇り」を示すものだろう。それは精神の奴隷化とは正反対なのだから。会社社長は君主ではないし、社員は奴隷でもない。(某大会社の社長は子供に「社員は犬だ」と言っているらしい。)単なる雇用関係だ。
そしてその「面従腹背」によって社会は安定し、和が保たれるのである。これこそが、「実用道徳」かもしれない。






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毎度毎度の夢人の「地球寒冷化説」

4月の中旬になっても、沖縄ですら気温が上がらない。早朝はまだ15度前後である。まあ、それでも他府県よりはマシなのだろうが、私の年齢だと15度前後は寒すぎる。家の中ではずっと重ね着である。
で、例によっていい加減な妄想説(もちろん謙遜だが)を言えば、「地球は寒冷化している」としか思えない。これは夏になって暑くなろうが「年全体として寒冷化している」ということだ。
そうなると、比較的温暖である地方に居住することの有利さが今後は増していく。だから小金がある人は沖縄に移住しなさい、と言うのである。何なら沖縄に別荘を持ってもいい。日本本土(沖縄以外の都府県)での老朽原発の事故の際の脱出の備えにもなる。あなたは別として、子や孫の時代には原発事故は確実に起こると考えるべきである。
中国との戦争など、(日本から攻撃しない限り)起こらない、と私は予言しておく。中国が日本を破壊するメリットは無いからだ。日本が中国と戦争するメリットもない。アメリカの戦争業者にはあるだろうが、それだけだ。
なお、それでも地球温暖化論が正しいと思う人は、下に示す「阿修羅」記事を、コメント欄も含めて読むといい。(私自身の引用記事は、それとは別)

2024-2025年 今年の冬も寒かった 地球温暖化は大ウソだった 
http://www.asyura2.com/23/holocaust7/msg/798.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2025 年 4 月 12 日 16:14:04: FpBksTgsjX9Gw 6bOWo@mx6bKSag



(以下引用)

トルコの首都で、珍しい4月中旬の大雪

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=27431
<転載開始>

4月中旬、トルコの首都は雪に覆われた

telegrafi.com 2025/04/12


In mid-April, the Turkish capital is covered in snow



多くの人が春を連想する 4月も半ばを過ぎたが、今朝トルコの首都では大雪が降った。


トルコ人ジャーナリストのラギップ・ソイル氏は、「 4月中旬のアンカラで雪が降っている」というキャプションを付けて動画を投稿した。


テレグラフ紙によると、気象学者らは大雨と強風に警告を発したという。


アンカラのヴァシップ・シャヒン知事は、悪天候が予想されるためトルコの首都のすべての教育機関を閉鎖すると発表した。


ソーシャルメディアへの投稿によると、予報では、早朝から雪が降り始め、正午まで続き、市内の一部の地域では積雪が最大 15センチに達する可能性がある。時速40〜60キロメートルの風も予想されている。

 

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沖縄産ラム酒

前に、沖縄はサトウキビの名産地なのだからラム酒を作ればいいのに、と書いたが、とっくに何種類もあるようだ。愚かなことを書いた罪滅ぼしに、紹介しておく。沖縄旅行の土産にどうぞ。
ここに紹介されているものより安いもの(1000円程度)もあるようだ。
煙草の運命から見て、そのうち禁酒法が作られるかもしれないから、今が買い時ではないかwww

(以下引用)
沖縄県産のおすすめラム酒をご紹介!
沖縄県産のおすすめラム酒をご紹介!

沖縄でも有名な特産品としてあげられる『サトウキビ』。日本一の生産量を誇るサトウキビ原料の食品は「黒糖」などがあげれますが、蒸留酒である『ラム酒』の原料でもあります。 様々な商品の中からおすすめのラム酒をご紹介します。


 

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統合失調症の症状(一部)

自称統合失調症患者のレポートで、かなり長文だが、まあ、当人は正直に書いているのだろう。だが、実は「すべて分かった」という感覚など、抗鬱剤の「躁状態」と同じ症状らしい。

(以下引用)

2025-04-10

統合失調症感覚説明する

以前統合失調症だった。今は寛解して、普通社会人をしている。


広末涼子クレイジーな話でちょっと思い出したので書く。

はじめに

統合失調症というのはいつも狂っているわけではなく、狂う時期と落ち着いている時期がある。


統合失調症患者ネットでは「やべー奴」として処理されているが、見た目には普通だし、会話をしていても意外と普通なので、あまり気付かないと思う。(「変わった人なのかな」と思う程度かも)


落ち着いている人はかなり長い間落ち着いているので、本人からカミングアウトされるまでわからないと思う。また、相当信頼されてなければ病気のことは言われないはず。意外と社会に多い。


これは統合失調症全般解説したものではないのでそこは注意してほしい。


身バレしたくないので個人特定に繋がりかねない部分はかなりボカしている。具体的に話さないつもり。

感覚について

統合失調症のいわゆる狂う時期(前駆期・急性期)になると、いろいろなことが「わかり」始める。


なんでもかんでも「わかって」しまう。


「ああなんだそういうことだったのか」「そうか!」「わかった」「どうしてこんなことに今まで気付けなかったんだ」のようなことが毎日ものすごい量発生する。


この「わかったぞ!」という感覚は、勉強仕事をしていてわからなかったことがわかったときと同じ。解放感と嬉しさがそこにはある。


このなんでもかんでもわかってしまときの「わかり方」は基本的論理的ではない。なのでわけのわからない意味接続が脳の中で行われる。


たとえば「いちごが赤いのは、もともといちご赤ちゃんだったためだ」のような理解をし始める。全く関連などないのだが、一度この理解がなされると今度はこれが前提知識となる。


それで「いちご赤ちゃんだったから、赤ちゃんの髪の毛は黒いのか(つぶつぶ)」「待てよ?つまり人間の髪の毛が黒いのはいちごのおかげか?」のようなことを真剣に考えてしまう。


ギャグならおもしろいかもしれないが、現実なので全くおもしろくない。


そしてあらゆることがわかり始めるので万能感が増す。全能感があり、他人を見下すようになる。


他人を見下すというレベルではない。他人が、知能の劣った存在・脳の回転が異様に遅い存在・猿のように見えてくる。会話不能存在のような感じだ。


なぜなら自分が「明らかにすぐにわかってしまう」ことを、彼らは全然理解できないからだ。(他人から理解できないのはあたりまえだが)


自分統合失調症にかかっていたときは「お前らの方が全員支離滅裂統合失調症だ」と思っていた。


また、他人の心が「読める」ように感じたり、逆に読まれたりしているように感じることがよくある。(全能なのでそういうことができると思っている)


「俺はそいつの顔を見ただけでだいたい何考えてるかわかるんだよ」と言う人の強化版だと思ってもらえるといいかもしれない。


本来他人思考とは関係なく、自分の中で他人という存在が完結する。相手の中の合理性を考えなくなる。


人の話を全く聞かなくなるわけだな。


万能感の次はだんだん焦燥感が出てくる。これは信じられないほどの切迫感があり、今すぐに何か行動しないとまずいと感じてめちゃくちゃなことをし始める。


本人としては筋が通っているのだが、周りから見ると全然筋が通っておらずめちゃくちゃなので、狂った行動をする。


自分場合は「これをしないと明日死んでしまう」という焦燥感が1週間ぐらい連続で続いて、死にたくなかったので狂った行動を取り続けた結果、精神と体力が疲弊して入院させられた。

おまけ。回復期について

統合失調症回復期(落ち着いている時期)は、鬱っぽくなる。


自殺衝動も出てくる。自殺衝動というのは文字通り衝動で、「もう今すぐにでも死にたい」「この苦しみから解放されるなら今死なないと」という状態


この自殺衝動ブラック労働での「こんな人生嫌だ……死にてえ……」の持続する死にたさではなくて、かなり衝動的。


死ぬためにいてもたってもいられなくなるような感じだ。なんだろうな。ブラック労働死にたい場合はまだ理性的判断で死を考える部分があるように思うが、感情的に損得など関係なく死を考えてしまう感じだ。


「こんな人生嫌だ……死にてえ……」の方の死にたさももちろんある。


自殺衝動の他は、回復期は本当に何もできない。外を歩くのだけで割と精一杯みたいなところがあった。


本を開いても文字が頭に入ってこない。文章を書こうとしてもすぐに疲れて30文字ぐらいでやめてしまうとか。


何をしてもつまらなかったのもしんどかった。この世に楽しいことなんて1つもないんだという感覚


自分の脳なのに、自分の脳のように動かせないことがもどかしかった。今スラスラとキーボードを叩いているのは当時からしたら奇跡に近い。


社会復帰できてよかった。

(以下省略)


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糖尿病体験記

芸人の記事など読みたくもない、という人もいるだろうが、酒飲みで甘党の私も含め「糖尿病予備軍」の人にはなかなか貴重な情報が含まれているので転載する。

(以下引用)

「もうほとんど目が見えない」ものまね芸人・コージー冨田が明かす“ビールが永遠に飲める”糖尿病の恐怖とそれでもポジティブに闘病できているワケ


配信

集英社オンライン

コージー冨田



ビールが永遠に飲めてしまう 


「もうほとんど目が見えない」ものまね芸人・コージー冨田が明かす“ビールが永遠に飲める”糖尿病の恐怖とそれでもポジティブに闘病できているワケ


配信

集英社オンライン

コージー冨田



ビールが永遠に飲めてしまう 



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東海アマ氏はどうした?

東海アマ氏のブログが3日も停止しているが、死亡した、あるいは瀕死の状態なのではないか? 
私は氏を「偏見と独断の人」と揶揄しているが、現代の偉人のひとりだと思っている。警察は氏の安否を確認すべきだろう。

(夢人追記)

無事だったようだ。作業机の上に飲み物を置いてパソコン作業をしてはダメだろうwww
まあ、とにかく無事で慶賀の至りである。「日本のために」も頑張って長生きしてほしい。

(以下引用)



 ブログを書き出して20年くらいになるのだが、さまざまなトラブルがあったなかで、今回のトラブルは厄介だった。
 実は、パソコンを使っているとき、キーボード上にウイスキーの炭酸割入れたコップを倒してしまった。こぼした量が多かったので、事態は深刻になった。

 すぐに、さかさまにして、ペーパータオルでふき取り、電源を切ってコタツにでも入れて48時間くらい放置しておくのが正しかったが、慌ててタオルでふき取っただけでさかさまにすることが思い浮かばなかったので、キーボードは見事に破損した。まあ、毛細管現象があるから、逆立ちも無駄だった可能性も強いが。
 最初は甘く考えて、すぐに電源を入れたりしたので、悪化してしまった。やはり通電はよくない。

 外付けキーボードも動かなくなったので、もうお手上げだ。
 実は、この破損パソコンは、ジャンクワールドから2万円くらいで2017年ころ購入していた。キーボードの修理代金を調べていたら20000~25000円くらいだったので、修理をあきらめ新しい中古品をジャンクワールドから3万円出して購入した。

 昨日届いて、「ファイナルパソコン引っ越し」というソフトを購入、データ移転作業に十数時間を要して、今朝になって完了した。

 アプリケーションも引っ越し可能と書かれていたが、使い慣れた一太郎はライセンスキー不明で使用不可、やむをえずフリーのアパッチオープンオフィスをインストールした。
 ジャンクワールドから届いたパソコンは安物だけあって、キーボード入力がすこぶる不調だった。うまく入力できない。
 もしかしたら、これもキーボードに何かこぼしたものかもしれなかった。

 オープンオフィスは優れたソフトだが、日本語入力は、やはり一太郎ATOKに及ばない。しかし一太郎は高くなりすぎで手が出ない。
 私が、無欠勤で毎日ブログを書くようになったのは、2018年3月頃なので、通算7年くらい休みなしに書いていたから、二日間停止したのも7年ぶりで、ご心配いただいた方も多かった。

 しかしアクセス数は、全部併せても、FC2ブログ時代の半分以下になっている。世の中、反原発に関心を持たなくなった人が多いのだと痛感している。
 それでも、原発がメルトダウン事故を起こせば、その周辺の土地は数百年以上も利用不能になり、福島では、いまだに公的避難命令、自主避難併せて10万人の住民が、故郷に帰還できず、日本中を彷徨っている。
 
 原発問題を深く理解せず、ネット上で安易に推進しているのは、上念司、ふぃふぃ、櫻井よしこ、堀江貴文、妙佛らだが、いつか「彷徨える民」の運命が自分に降りかかることになるだろう。放射能の恐ろしさを、まるで理解していないのは呆れるばかりだ。
 私としては、無関心にめげずに、しつこく原発の恐ろしさを伝えてゆきたい。それを推進することは、子供たちの未来を閉ざすことである。
 日本という国を消滅の危機に晒すことであり、私からみれば、原発推進派は実に愚かで無知だ。

 だが、私のブログにおける小さな告発は、電通によって強く妨害を受け、ツイッターや、FC2ブログから追放されてしまった。今後も、いつ突然、公開停止にされるかわからないので、5つのプラットフォームに分散して書いている。
 読者も減る一方だが、あるいは私の命とともに、反原発運動は散ってゆく運命なのだろうか?

 とりあえず、ブログ書き込み体制が復活したことをご報告するが、万全とはいいがたい。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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