先ほど、寝床の中で読んでいた、濱岡稔という、ほとんど誰も知らないだろう作家(図書館で借りるまで私も知らなかった作家である。)の「ひまわり探偵局」という短編集(おそらく、推理小説の一種)の中に、とある大富豪実業家(もと投資家)の奇妙な「遺書」が書かれていて、それがこの話のキモだと思うので、少し考えてみる。念のために言えば、「遺書」を残した人物の死因には不審な点はなく、この遺書に事件性はない。ただ、意味不明の「謎」というだけであり、謎が存在するだけで、この作品は「推理小説」だとなる。まあ、北村薫的な「日常の謎」に近いか。文学的、あるいは雑学的知識が土台になった謎らしいことも、北村薫的である。
先に、その「遺書」を書き写しておく。考察はその後にするつもりで、時間的にその考察をいつ上げるかは未定だが、最後の部分に関して、私が「これがその謎の意味だろう」と思ったことに関連することが、その少し後の部分に書かれている(と言うより、その「単語」が書かれている)のを、うっかり見てしまったことを告げておく。まあ、「卵が壊れる」と聞けば、誰でも想像することである。
「 黄昏に梟は告ぐ
卑しき株式仲買人の死を悼(いた)め。黄金の羽根の鳥は、緑の野の果てで挽歌をうたい、格子に囚われし僧侶は、古(いにしえ)の紋章に弔いを刻む。我は犬のごとく眠り、龍のごとく空に逝く。いざ、狂騒の輪の回転を止めよ。荒れ果つる庭に、拐(かどわ)かされし影どもが踊り、人生の喜劇役者にも冬は疾(と)く訪(おとな)う。見よ楽園の東、ユダを縛(いまし)めし裁きの椅子を。砕け散る卵の笑いとともに我は消ゆ」
一読して、自分の人生への後悔と嘲笑だというのが感じ取れるが、個々の文面の「謎」の考察は、少し面倒そうである。後ほどやる。先にひとつ言っておけば、「黄昏に梟は告ぐ」は、有名な、ヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」を意味しているだろう。これ自体、どういう意味だ、と思う人が多いだろうが、ミネルヴァは(私の記憶では)「知恵の女神」であるとだけ言っておく。→追記する。私の解釈では、「黄昏」は物を見えにくくする、ということから「ミネルヴァの梟(真の知恵)」は、普通人の目には見えない(つまり、世間の俗説に注意せよ)という、ヘーゲルの警告だと思う。念のために言えば、私はヘーゲルよりも、彼の学問上の敵であったショーペンハウエルの「分かりやすさ」のほうが好きである。(哲学というより、「人生知」に優れている)
先に、その「遺書」を書き写しておく。考察はその後にするつもりで、時間的にその考察をいつ上げるかは未定だが、最後の部分に関して、私が「これがその謎の意味だろう」と思ったことに関連することが、その少し後の部分に書かれている(と言うより、その「単語」が書かれている)のを、うっかり見てしまったことを告げておく。まあ、「卵が壊れる」と聞けば、誰でも想像することである。
「 黄昏に梟は告ぐ
卑しき株式仲買人の死を悼(いた)め。黄金の羽根の鳥は、緑の野の果てで挽歌をうたい、格子に囚われし僧侶は、古(いにしえ)の紋章に弔いを刻む。我は犬のごとく眠り、龍のごとく空に逝く。いざ、狂騒の輪の回転を止めよ。荒れ果つる庭に、拐(かどわ)かされし影どもが踊り、人生の喜劇役者にも冬は疾(と)く訪(おとな)う。見よ楽園の東、ユダを縛(いまし)めし裁きの椅子を。砕け散る卵の笑いとともに我は消ゆ」
一読して、自分の人生への後悔と嘲笑だというのが感じ取れるが、個々の文面の「謎」の考察は、少し面倒そうである。後ほどやる。先にひとつ言っておけば、「黄昏に梟は告ぐ」は、有名な、ヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」を意味しているだろう。これ自体、どういう意味だ、と思う人が多いだろうが、ミネルヴァは(私の記憶では)「知恵の女神」であるとだけ言っておく。→追記する。私の解釈では、「黄昏」は物を見えにくくする、ということから「ミネルヴァの梟(真の知恵)」は、普通人の目には見えない(つまり、世間の俗説に注意せよ)という、ヘーゲルの警告だと思う。念のために言えば、私はヘーゲルよりも、彼の学問上の敵であったショーペンハウエルの「分かりやすさ」のほうが好きである。(哲学というより、「人生知」に優れている)
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