さて、「梟の謎」の解釈に取り掛かる。
記述の便宜と、読む人の便宜のために、先に、タイトル以外の各部分に番号を付けておく。
「 黄昏に梟は告ぐ
1:卑しき株式仲買人の死を悼(いた)め。
2:黄金の羽根の鳥は、緑の野の果てで挽歌をうたい、
3:格子に囚われし僧侶は、古(いにしえ)の紋章に弔いを刻む。
4:我は犬のごとく眠り、龍のごとく空に逝く。
5:いざ、狂騒の輪の回転を止めよ。
6:荒れ果つる庭に、拐(かどわ)かされし影どもが踊り、
7:人生の喜劇役者にも冬は疾(と)く訪(おとな)う。
8:見よ楽園の東、ユダを縛(いまし)めし裁きの椅子を。
9:砕け散る卵の笑いとともに我は消ゆ
」
1:実は、考え方次第ではこれが一番難しい。ここでの「死」が、遺書を書いた者の死であることは明白だが、彼は「株式投資家」ではあったが、「株式仲買人(証券会社員)」ではなかったはずであるからだ。まあ、証券マンも投資家も同じだ、と仮定しておく。実際そうなのかもしれない。で、株式仲買人は「卑しい」というのは、古い人間には普通の思想だった(「株屋」と軽蔑していた)が、投資家が株式仲買人を卑しいと言うのは、少し不自然である。まあ、これも、「どうでもいい」種類の話だろう。「株式仲買人の」「死を悼め」というのは、梟の言葉だろうが、「卑しい」とけなしながら、その死を悼めというのも、少し変ではあるが、これもどうでもいいとしておく。ほかに、大事そうな謎が続くからだ。つまり、少し変な部分は、単に作者が適当に考えた可能性もあるwww
2:「黄金の羽根の鳥」は、一読では「梟自身」となりそうだが、梟が自分を「黄金の羽根の」と自賛するのは変なので、ここでは「黄金」自体を「黄金の羽根の鳥」と言ったと考えておく。あるいは、「黄金を支配する」存在、としておく。その鳥が、「黄金に憑(と)りつかれた者(遺書を書いた大富豪)」の死を憐れんで挽歌を歌うわけだ。まあ、軽蔑半分の同情だろう。「緑の野の果て」の解釈が難しいが、緑の野が尽きたなら、後は荒野だろう。つまり、黄金に憑りつかれた者の人生の果ては荒野である、というわけだ。
3:誤解釈の可能性が高いが、「格子に囚われし僧侶」は、「宗教という格子の中に囚われた宗教家」全体、あるいは神父や坊主の類としておく。「古の紋章」は、もはや現代では通用しない宗教的教義、あるいはその儀式全体とする。
4:これは、解釈が難しい。つまり、ビートルズの「a hard day's night」にあるように、犬は「work like a dog」と酷使される存在であり、「犬のように眠る」という表現は珍しいからだ。猫だったら、そもそもその名前が「寝子」から来ているという説もあるように、ひがな一日寝ているだろうが。そこで、「犬のごとく眠り」とは、「私は犬のように(黄金のために)働いたが、実はそれは一生寝ていたのと同じだった」という自嘲だと解釈する。すると、次の「龍のごとく空に逝く」は、龍の雄飛どころか、単に「虚しい空に逝く」だけである。そもそも、空を飛ぶだけでは何の意味もない。「逝く」は、もちろん「逝去」である。
5:これは簡単。「狂騒の輪」は、遺書を書いた人間の人生そのものである。
6:「荒れ果つる庭」は、カネだけの世界のことだろう。「拐わかされし影ども」は、そこで狂騒的に活動している連中。もちろん、大半は「自分の意志」でその世界に入ったのだろうが、実は、それは「カネの誘惑」によって「拐わかされた」わけでもある。
7:「喜劇役者」は「笑われるべき存在」。「冬」は滅亡や死。当然、自分自身の死を意味している。
8:「楽園の東」は「エデンの東」、つまり、「楽園追放」を意味する。要するに、「(蛇の誘惑に乗るという)自らの過ちで、楽園を追放された存在」であるアダムとイブに自分を重ねたのだろう。「ユダ」は黄金30枚(だったか?)で、キリストを「売った」、つまり、自分にとって一番大事なはずのものを黄金によって売り渡した存在である。「ユダを縛めし裁きの椅子」は、意味不明。聖書にはユダは「縛められた」とか「裁きの椅子」に座ったという記述はないはずだ。まあ、ユダが「自分の心の中で自分を縛め、裁きの椅子に置いた」としておく。
9:「砕け散る卵」が、「鏡の国のアリス」に出て来る「ハンプティダンプティ」であるのは明白だろうが、「アリス」の話の中では、彼は砕けてはいない。そこで、「砕け散る」は「卵」ではなく「笑い」に掛かる(修飾する)言葉だと解釈する。ハンプティダンプティはアリスにナンセンスな問答をしかけ、アリスを困惑させるが、遺書の書き手もまた、アリスのように混迷の中で死んでいく、ということだろうか。彼に謎をかけた存在(神か悪魔か)の「砕け散る」ような狂笑の中で。
以上、この「謎」が出てきた以降の文章を(ハンプティダンプティという単語が出て来たのだけうっかり見てしまったが)、まったく読まないで謎を解釈してみた。わりと面白い解釈ではないだろうか。で、「正解」かどうかには、私はあまり興味はないのである。謎は、謎を解く過程こそが面白いからである。
(追記)一応、報告しておくと、上に書いた解釈(謎解き)は完全に大間違いである。ただし、「正解」が、私の目からは非常に無理があるものなので、私の解釈をダメ解釈だとは思わない。しかし、(たとえ偶然にでも)二重に解釈できる謎を作った作者は偉いとも言える。
「正解」がなぜ無理があるかというと、「謎を解かせたい相手」に出した謎が、やたらにマニアックな内容だからである。つまり、小学低学年生に二次方程式や微分積分の問題を出して、さあ解け、と言っているような感じだ。
記述の便宜と、読む人の便宜のために、先に、タイトル以外の各部分に番号を付けておく。
「 黄昏に梟は告ぐ
1:卑しき株式仲買人の死を悼(いた)め。
2:黄金の羽根の鳥は、緑の野の果てで挽歌をうたい、
3:格子に囚われし僧侶は、古(いにしえ)の紋章に弔いを刻む。
4:我は犬のごとく眠り、龍のごとく空に逝く。
5:いざ、狂騒の輪の回転を止めよ。
6:荒れ果つる庭に、拐(かどわ)かされし影どもが踊り、
7:人生の喜劇役者にも冬は疾(と)く訪(おとな)う。
8:見よ楽園の東、ユダを縛(いまし)めし裁きの椅子を。
9:砕け散る卵の笑いとともに我は消ゆ
」
1:実は、考え方次第ではこれが一番難しい。ここでの「死」が、遺書を書いた者の死であることは明白だが、彼は「株式投資家」ではあったが、「株式仲買人(証券会社員)」ではなかったはずであるからだ。まあ、証券マンも投資家も同じだ、と仮定しておく。実際そうなのかもしれない。で、株式仲買人は「卑しい」というのは、古い人間には普通の思想だった(「株屋」と軽蔑していた)が、投資家が株式仲買人を卑しいと言うのは、少し不自然である。まあ、これも、「どうでもいい」種類の話だろう。「株式仲買人の」「死を悼め」というのは、梟の言葉だろうが、「卑しい」とけなしながら、その死を悼めというのも、少し変ではあるが、これもどうでもいいとしておく。ほかに、大事そうな謎が続くからだ。つまり、少し変な部分は、単に作者が適当に考えた可能性もあるwww
2:「黄金の羽根の鳥」は、一読では「梟自身」となりそうだが、梟が自分を「黄金の羽根の」と自賛するのは変なので、ここでは「黄金」自体を「黄金の羽根の鳥」と言ったと考えておく。あるいは、「黄金を支配する」存在、としておく。その鳥が、「黄金に憑(と)りつかれた者(遺書を書いた大富豪)」の死を憐れんで挽歌を歌うわけだ。まあ、軽蔑半分の同情だろう。「緑の野の果て」の解釈が難しいが、緑の野が尽きたなら、後は荒野だろう。つまり、黄金に憑りつかれた者の人生の果ては荒野である、というわけだ。
3:誤解釈の可能性が高いが、「格子に囚われし僧侶」は、「宗教という格子の中に囚われた宗教家」全体、あるいは神父や坊主の類としておく。「古の紋章」は、もはや現代では通用しない宗教的教義、あるいはその儀式全体とする。
4:これは、解釈が難しい。つまり、ビートルズの「a hard day's night」にあるように、犬は「work like a dog」と酷使される存在であり、「犬のように眠る」という表現は珍しいからだ。猫だったら、そもそもその名前が「寝子」から来ているという説もあるように、ひがな一日寝ているだろうが。そこで、「犬のごとく眠り」とは、「私は犬のように(黄金のために)働いたが、実はそれは一生寝ていたのと同じだった」という自嘲だと解釈する。すると、次の「龍のごとく空に逝く」は、龍の雄飛どころか、単に「虚しい空に逝く」だけである。そもそも、空を飛ぶだけでは何の意味もない。「逝く」は、もちろん「逝去」である。
5:これは簡単。「狂騒の輪」は、遺書を書いた人間の人生そのものである。
6:「荒れ果つる庭」は、カネだけの世界のことだろう。「拐わかされし影ども」は、そこで狂騒的に活動している連中。もちろん、大半は「自分の意志」でその世界に入ったのだろうが、実は、それは「カネの誘惑」によって「拐わかされた」わけでもある。
7:「喜劇役者」は「笑われるべき存在」。「冬」は滅亡や死。当然、自分自身の死を意味している。
8:「楽園の東」は「エデンの東」、つまり、「楽園追放」を意味する。要するに、「(蛇の誘惑に乗るという)自らの過ちで、楽園を追放された存在」であるアダムとイブに自分を重ねたのだろう。「ユダ」は黄金30枚(だったか?)で、キリストを「売った」、つまり、自分にとって一番大事なはずのものを黄金によって売り渡した存在である。「ユダを縛めし裁きの椅子」は、意味不明。聖書にはユダは「縛められた」とか「裁きの椅子」に座ったという記述はないはずだ。まあ、ユダが「自分の心の中で自分を縛め、裁きの椅子に置いた」としておく。
9:「砕け散る卵」が、「鏡の国のアリス」に出て来る「ハンプティダンプティ」であるのは明白だろうが、「アリス」の話の中では、彼は砕けてはいない。そこで、「砕け散る」は「卵」ではなく「笑い」に掛かる(修飾する)言葉だと解釈する。ハンプティダンプティはアリスにナンセンスな問答をしかけ、アリスを困惑させるが、遺書の書き手もまた、アリスのように混迷の中で死んでいく、ということだろうか。彼に謎をかけた存在(神か悪魔か)の「砕け散る」ような狂笑の中で。
以上、この「謎」が出てきた以降の文章を(ハンプティダンプティという単語が出て来たのだけうっかり見てしまったが)、まったく読まないで謎を解釈してみた。わりと面白い解釈ではないだろうか。で、「正解」かどうかには、私はあまり興味はないのである。謎は、謎を解く過程こそが面白いからである。
(追記)一応、報告しておくと、上に書いた解釈(謎解き)は完全に大間違いである。ただし、「正解」が、私の目からは非常に無理があるものなので、私の解釈をダメ解釈だとは思わない。しかし、(たとえ偶然にでも)二重に解釈できる謎を作った作者は偉いとも言える。
「正解」がなぜ無理があるかというと、「謎を解かせたい相手」に出した謎が、やたらにマニアックな内容だからである。つまり、小学低学年生に二次方程式や微分積分の問題を出して、さあ解け、と言っているような感じだ。
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