「混沌堂主人雑記(旧題)」で知った「逝きし世の面影」ブログ主の宗純氏の読者コメント欄への自己投稿コメントだが、宗純氏自身のプライベート生活(らしいように読める)の記述もあって興味深い。この記述によると、能登大地震の直前まで能登近辺(訂正:単に山岳地帯にいただけのようだ。)にいて、間一髪危機を逃れたようで、凄い偶然である。まあ、書き方が少し曖昧な印象なので、私の誤読かもしれない。
「大阪大空襲の米軍の1トン爆弾を恐れて疎開した先が能登半島地震の震源地に近い町野町(町村合併で現在は輪島市町野地区)」
「とんでもない田舎で寒いし腹が減るし、しかも小さな子供時代にいじめにあった辛い記憶があるので、「能登はやさしや土までも」どころか悪夢そのもの。一度も行く気が無いが、実は私の生まれ故郷なのです」
というのは、どういうことだろうか。能登には「一度も行く気はない」が、能登が「実は私の生まれ故郷なのです」というのは、生まれたのは能登だが、それ以降は行ったことがない、ということなのか。それなら、「小さな子供時代にいじめにあった」というのはどういうことか。能登で小さな子供時代を過ごし、大阪に引っ越し、集団疎開で一度戻って、それ以降は「一度も行く気はない」ということだろうか。で、宗純氏が戦争で(大阪から)集団疎開をした年齢なら、当時最低でも7歳だったとして、現在86歳以上の年齢なのだろうか。それなら御達者なことで慶賀の至りだが、書かれた文章の雰囲気だとそうは思えない。「何とも奇妙で不思議」な人である。文中の「中山忠光」の話も面白いが、前後の話とどうつながるのだろうか。私の判断で見え消しにしておく。私の読解力が小学生レベルだから話の筋道や論理が分からないだけかもしれない。それとも、宗純氏は時間も空間も超越したエスパーかwww 一休宗純のゴーストか。
念のために言えば、私は「逝きし世の面影」ブログは数あるブログの中でも良心的で、政治的姿勢は非常に立派だと思い、よく読んでいる。ただ、韜晦的な書き方はあまり好きではない。
(以下引用)文中の「前鬼の」は「前記の」の誤記だろうが、そのままにしておく。どうしたら、こういう漢字変換が起こるのだろうか。それとも「前鬼」は地名か?
「能登はやさしや土までも」 (宗純)2024-01-18 16:10:12何とも奇妙で不思議。謎のニュース
日本テレビ系列の地元メディアKNBニュースやNHKの1月12日放送では、
「志賀原発の一部で想定超える揺れあった 能登半島地震で 原子力規制委」とのタイトルで、
原子力規制委員会の定例会合が11日開かれ、能登半島地震に伴い、北陸電力の志賀原子力発電所で観測した揺れの加速度が、設計上の想定を一部でわずかに上回っていたことが分かった。会合の席上、報告があった。規制委の山中委員長は審査には年単位の時間が必要だと発言し、
北陸電力では「揺れのデータは『暫定の値』なので石川県など地元自治体へは報告する考えはない」としています。と報道。事実上公式ホームページの北電発表400ガル弱は出鱈目だったと認め「撤回」したようです。
どうも、志賀原発の状態は危機的らしい。あるいは北陸電力とか日本政府のガバナンスがボロボロで危機的らしいのですから恐ろしい。ほぼ終わっています。
最新ニュースでは志賀原発の非常用ディーゼル発電機の故障が報じられるが、刻一刻と破滅に向かって暴走しているのか、それとも単に疑心暗鬼で、右往左往。日本国自体が無政府状態に陥っているのか。何とも縁起の悪い話である。
王政復古(明治維新)5年前、一世紀半も昔の天誅組首領中山忠光卿は明治天皇の叔父なので百姓の近藤勇や土方歳三の新選組よりも大事件だったが今では忘れ去られほとんど知られていない。
五条代官所を襲撃して倒幕の決起に成功したが、その後に高取山城攻略に失敗した後に天辻峠から十津川に入り、
(たぶん今の国道425で)下北山村の寺垣内にある正法寺を本陣にして、十津川から嫁越峠越しに前鬼に運び込んだ兵糧や武器を幕府軍側に押さえられて万事休す、その後伯母峰峠から鷲家口にて天誅組は壊滅する。中山忠光一人は辛くも長州に落ち延びるが、長州藩の裏切りに合い暗殺されている。
今回奈良県に行って去年末、12月初めには大峰主稜線の嫁越峠を目指すが、運悪く寒波襲来での雪と風、ガスが濃く視界不良で池郷川の第31番靡の小池宿跡周辺周回で早々と撤退したが、この付近はゆるい傾斜の桃源郷。池郷下部の危ないナメ滝地帯とは大違い。天気さえよければ素晴らしい景色だったのだろうがガスで何も見えない。小池宿跡まではテープや踏み跡、道標があるが、小池宿跡から嫁越峠へほぼ何も無し。
時間に余裕が生まれたので前鬼の南にある国道169号線で下北山村役場がある寺垣内に向かうが、土砂崩れ片側一車線の地点では、私が通って1週間後には和歌山県在住の人が車ごと生き埋めになって炎上。死亡する。現在も通行止めで復旧工事のめどさえ立たないが、往復したので危ない遭難した場所を二回も通っていた。
実は、別の林道の落石で1年前に酷い目に遭った危険地帯では今回も落石があり、太い大きな丸太を梃子にして、苦労して何とか通過したのが今年1月1日午後4時。
なんと、その10分後に能登半島地震の余波の震度4の地震が到来しているので、たぶん現場ではもっと大きく落石していると思われるのですよ。まさに間一髪で命拾いしています。じわじわと最後が近づく不気味な感覚
大阪大空襲の米軍の1トン爆弾を恐れて疎開した先が能登半島地震の震源地に近い町野町(町村合併で現在は輪島市町野地区)なので、まさに限界集落。とんでもない田舎で寒いし腹が減るし、しかも小さな子供時代にいじめにあった辛い記憶があるので、「能登はやさしや土までも」どころか悪夢そのもの。一度も行く気が無いが、実は私の生まれ故郷なのです
「大阪大空襲の米軍の1トン爆弾を恐れて疎開した先が能登半島地震の震源地に近い町野町(町村合併で現在は輪島市町野地区)」
「とんでもない田舎で寒いし腹が減るし、しかも小さな子供時代にいじめにあった辛い記憶があるので、「能登はやさしや土までも」どころか悪夢そのもの。一度も行く気が無いが、実は私の生まれ故郷なのです」
というのは、どういうことだろうか。能登には「一度も行く気はない」が、能登が「実は私の生まれ故郷なのです」というのは、生まれたのは能登だが、それ以降は行ったことがない、ということなのか。それなら、「小さな子供時代にいじめにあった」というのはどういうことか。能登で小さな子供時代を過ごし、大阪に引っ越し、集団疎開で一度戻って、それ以降は「一度も行く気はない」ということだろうか。で、宗純氏が戦争で(大阪から)集団疎開をした年齢なら、当時最低でも7歳だったとして、現在86歳以上の年齢なのだろうか。それなら御達者なことで慶賀の至りだが、書かれた文章の雰囲気だとそうは思えない。「何とも奇妙で不思議」な人である。文中の「中山忠光」の話も面白いが、前後の話とどうつながるのだろうか。私の判断で見え消しにしておく。私の読解力が小学生レベルだから話の筋道や論理が分からないだけかもしれない。それとも、宗純氏は時間も空間も超越したエスパーかwww 一休宗純のゴーストか。
念のために言えば、私は「逝きし世の面影」ブログは数あるブログの中でも良心的で、政治的姿勢は非常に立派だと思い、よく読んでいる。ただ、韜晦的な書き方はあまり好きではない。
(以下引用)文中の「前鬼の」は「前記の」の誤記だろうが、そのままにしておく。どうしたら、こういう漢字変換が起こるのだろうか。それとも「前鬼」は地名か?
「能登はやさしや土までも」 (宗純)2024-01-18 16:10:12何とも奇妙で不思議。謎のニュース
日本テレビ系列の地元メディアKNBニュースやNHKの1月12日放送では、
「志賀原発の一部で想定超える揺れあった 能登半島地震で 原子力規制委」とのタイトルで、
原子力規制委員会の定例会合が11日開かれ、能登半島地震に伴い、北陸電力の志賀原子力発電所で観測した揺れの加速度が、設計上の想定を一部でわずかに上回っていたことが分かった。会合の席上、報告があった。規制委の山中委員長は審査には年単位の時間が必要だと発言し、
北陸電力では「揺れのデータは『暫定の値』なので石川県など地元自治体へは報告する考えはない」としています。と報道。事実上公式ホームページの北電発表400ガル弱は出鱈目だったと認め「撤回」したようです。
どうも、志賀原発の状態は危機的らしい。あるいは北陸電力とか日本政府のガバナンスがボロボロで危機的らしいのですから恐ろしい。ほぼ終わっています。
最新ニュースでは志賀原発の非常用ディーゼル発電機の故障が報じられるが、刻一刻と破滅に向かって暴走しているのか、それとも単に疑心暗鬼で、右往左往。日本国自体が無政府状態に陥っているのか。何とも縁起の悪い話である。
王政復古(明治維新)5年前、一世紀半も昔の天誅組首領中山忠光卿は明治天皇の叔父なので百姓の近藤勇や土方歳三の新選組よりも大事件だったが今では忘れ去られほとんど知られていない。
五条代官所を襲撃して倒幕の決起に成功したが、その後に高取山城攻略に失敗した後に天辻峠から十津川に入り、
(たぶん今の国道425で)下北山村の寺垣内にある正法寺を本陣にして、十津川から嫁越峠越しに前鬼に運び込んだ兵糧や武器を幕府軍側に押さえられて万事休す、その後伯母峰峠から鷲家口にて天誅組は壊滅する。中山忠光一人は辛くも長州に落ち延びるが、長州藩の裏切りに合い暗殺されている。
今回奈良県に行って去年末、12月初めには大峰主稜線の嫁越峠を目指すが、運悪く寒波襲来での雪と風、ガスが濃く視界不良で池郷川の第31番靡の小池宿跡周辺周回で早々と撤退したが、この付近はゆるい傾斜の桃源郷。池郷下部の危ないナメ滝地帯とは大違い。天気さえよければ素晴らしい景色だったのだろうがガスで何も見えない。小池宿跡まではテープや踏み跡、道標があるが、小池宿跡から嫁越峠へほぼ何も無し。
時間に余裕が生まれたので前鬼の南にある国道169号線で下北山村役場がある寺垣内に向かうが、土砂崩れ片側一車線の地点では、私が通って1週間後には和歌山県在住の人が車ごと生き埋めになって炎上。死亡する。現在も通行止めで復旧工事のめどさえ立たないが、往復したので危ない遭難した場所を二回も通っていた。
実は、別の林道の落石で1年前に酷い目に遭った危険地帯では今回も落石があり、太い大きな丸太を梃子にして、苦労して何とか通過したのが今年1月1日午後4時。
なんと、その10分後に能登半島地震の余波の震度4の地震が到来しているので、たぶん現場ではもっと大きく落石していると思われるのですよ。まさに間一髪で命拾いしています。じわじわと最後が近づく不気味な感覚
大阪大空襲の米軍の1トン爆弾を恐れて疎開した先が能登半島地震の震源地に近い町野町(町村合併で現在は輪島市町野地区)なので、まさに限界集落。とんでもない田舎で寒いし腹が減るし、しかも小さな子供時代にいじめにあった辛い記憶があるので、「能登はやさしや土までも」どころか悪夢そのもの。一度も行く気が無いが、実は私の生まれ故郷なのです
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