弥生時代の遺跡から出てきた人骨を分析したら、「母方は渡来系、父方は縄文系」という結果だったというんだが、それがどういう意味を持っているかというのは微妙なところで、「渡来系が日本列島にやって来て征服した」というのだったら、そういう結果にはならない。少なくとも、平和裏に、弥生の渡来系と土着の縄文系が共存し、交流していたという証拠です。国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で発掘された弥生時代後期とみられる人骨について、県が国立科学博物館や国立歴史民俗博物館と進めるDNA分析の経過報告が2日、鳥取市であった「とっとり弥生の王国シンポジウム」で発表された。昨年実施した母から引き継ぐミトコンドリアDNAの分析ではほぼ全員渡来人系だったが、父から引き継ぐY染色体からは縄文人系の配列がみられた。 いつもおいら言ってるように、弥生と縄文とは、生活の基盤が違う。弥生は湿地帯で稲作を専業でやり、コメだけをたくさん作る。でも、オカズに色々あると楽しいよねw そこで、海山の幸に詳しい縄文人が、イノシシ捕まえたり、カツオ獲ったりして、コメと物々交換。仲良く暮らしていた。稲作は生産性が高いのでどんどん子孫が増えるんだが、オンナはあまり労働力としては有益ではないので、どんどん嫁に出すw 土着の縄文人にしてみても、弥生のオンナというのは「都会的」で、色っぽく見えたかもw |
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