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政治的な真情吐露と処世術の衝突

「いつか電池が切れるまで」の記事後半を転載。
前半で記事筆者は東京新聞の望月記者に対する批判を述べているが、まあ、意見はそれぞれであり、望月記者の「突撃ぶり」を「自己宣伝」「自己陶酔」と見る皮肉な人も(特に保守側の人間には)あるだろう。だが、今の安倍独裁政治に単身立ち向かう「ドン・キホーテ」がひとりでもいるというのは素晴らしいことだ、と思っている人も(私も含め)多いはずである。
この記事を転載したのは、記事筆者を批判する意図ではなく、この部分には非常に共感するからである。


(以下引用)




 実は、ここからが僕にとっての本題なのですが(これではまるで、「ブログによる牛歩戦術」だな)、この14歳の女の子の言動に「親と子というもののややこしさ」を感じずにはいられなかったのです。
 「14歳の子どもが、こんなことを考えるわけがない。無理矢理母親の意見を代弁させられているか、『洗脳』されているのだろう」
 そういう意見を読むたびに、「えっ、あなたは、そんなに『世の中のことに対して問題意識のない14歳』だったのですか?」と思うのです。
 14歳は法律上「子ども」だし、40代半ばの僕からすれば、未熟というか「世の中を知らない年齢」ではある。
 でも、僕は14歳のとき、今よりもずっと、世の中の不公平に敏感だったし、いじめや戦争をなくしたい、なくせるはずだと、本気で思っていました。おとなではないけれど、おとなびてはいた。
 だから、彼女は「親の操り人形」ではなくて、自分自身の感性で、「記者がいじめられている姿に耐えられなかった」可能性は十分にあるのではないかと考えているのです。
 そして、彼女は自分ができることをしようと、ああいう形で、ネットで書名活動をした。親のサポートを受けながら。
 もし、今の時代に14歳だったら、僕だって、なんらかの矛盾に対して、そういう行動をとったかもしれない。
 僕が14歳の頃には、そういうときにどうしたら良いのかわからなくて、本を読んだり、あれこれ悩んだりしているうちに、何が正しいのかわからなくなって、いつのまにか、こんな年齢になってしまった。




 もしこれが14歳の女の子の「自分の意思」に基づくものであれば、親としては、「そんなことに関わると、ネットで身元を特定されてバッシングされるからやめなさい」と言うだろうか。それが、親として正しいのだろうか。
 それこそ、先日のエントリのように「処世術」としては、子どもがリスクに飛び込んでいくのを止めるべきなのだろうけど、それは、子どもの可能性を摘むことにはならないのか。




fujipon.hatenablog.com




 自分の子どもの発言や行動をみていると、子どもがある「思想信条」を抱くようになるには、親の影響というのは、多かれ少なかれあるのだよな、と考えざるをえないのです。
 僕の子どもは、最近「医者になりたい」と口にすることが多いのですが、僕は正直、自分自身には向いていなかった仕事というのもあって(でも、親が医者で、結局自分もなってしまった、という負い目もあり)、息子には「世の中には、もっといろんな仕事があるし、医者って感情労働と肉体労働のきついハイブリッドだから、おすすめはしかねる。なんかお前は僕に似ているような気がするし……」って、言いたくて仕方が無いのです。でも、言えない。
 結局のところ、「医者になってほしい」というのも、「医者にはなるな」というのも、子どもにとっては「将来を規定するかもしれない言葉」だし、それを突き詰めていけば、親が医者である、ということそのものが、子どもにとっての「呪い」になる可能性もある(いやもちろん、「誇り」や「希望」であればありがたいのだけれど、自分自身のことを思うと、そこまで楽観的にはなれない)。
 子どもは、親が思っている以上に、親のことをみている。そしてときには真似をし、ときには反面教師にするのです。
 この14歳の女の子が、親に強制されたわけでもなくて、身近な存在として影響を受けて、「自分でこう考えるようになった」と認識していたのだとしたら、それは「洗脳」なのだろうか?
 まあ、将来いろいろと生きづらくなりそうな話ではあるのですけど、こういうのって、「そんなに珍しくない、14歳の主張」であり、誰が良いとか悪いとかいうよりも、「多様な意見のひとつ」として、淡々と消化していく、しかないと僕は思っています。
 神ならぬ身としては、真実を知りようがないので、「わからない」前提で身構えておくしかない。




 インターネットが世に出たときには、年齢や性別、人種や社会的な地位などにとらわれずに、「正しい意見」が尊重される時代が来るのではないか、と夢見ていたのだけど、この20年でわかったことは、インターネットでも、人は発言者の「属性」にこだわらずにはいられない、ということなのです。結局、「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が、重視されているのですよね。


 「(自称)国民の代表同士の、うんざり頂上決戦」を見ていると、何かに苛立ちをぶつけたくなるのは僕も同じなんだけれども、この14歳の女の子と母親が、問題の「本丸」だとは思えないし、「親の顔が見たい」っていうのは、現代人がもっとも不快になる「呪縛」だと、多くの人が、わかっているはずです。

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酔生夢人
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仙人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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