私は理系科目が苦手だったくせに、物事に道理が通っていないと気持ち悪く感じる性格である。で、先を見通すというのが私は苦手であるのは、未来にはほとんど確実な事柄が無いからだ。つまり、「ケ・セラ・セラ」の歌で言う「What will be will be」というのが未来に対する正しい態度なのかもしれない。望ましい未来の生じる確率を少し高めるくらいしか、思考の関与はできないということだ。
我々はすべての要素を入れて考えることは不可能であり、冷静に考えようとすると、多くの人は「不安材料」が中心になるのではないか。「希望の持てる材料」を考えると、「しかし、それはまだ起こっていないのだから、それを考慮に入れるのは軽率ではないか」となるが、「不安材料」だと、「自分は冷静に考えている」という気になるわけだ。なあに、ちっとも冷静ではないのだがww
もちろん、合理主義は生活の内容を向上させることが多いが、一番大事な瞬間には、むしろ「当たって砕けろ」式の人間のほうがかえっていい結果を出すような印象が私にはある。と言うより、あまり物事を深く考えない人間のほうが幸せなのではないかwww
我々はすべての要素を入れて考えることは不可能であり、冷静に考えようとすると、多くの人は「不安材料」が中心になるのではないか。「希望の持てる材料」を考えると、「しかし、それはまだ起こっていないのだから、それを考慮に入れるのは軽率ではないか」となるが、「不安材料」だと、「自分は冷静に考えている」という気になるわけだ。なあに、ちっとも冷静ではないのだがww
もちろん、合理主義は生活の内容を向上させることが多いが、一番大事な瞬間には、むしろ「当たって砕けろ」式の人間のほうがかえっていい結果を出すような印象が私にはある。と言うより、あまり物事を深く考えない人間のほうが幸せなのではないかwww
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