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善と偽善

酔ったまぎれの哲学的考察である。
先ほどまで、酒を飲みながら、「タッチ」をネット配信で見ていたのだが、その前半は「善意と善意の引き起こす悲喜劇」であるわけだ。人物はすべて善意で行動するが、それが思わぬ軋轢を生む。登場人物の中で南ちゃんは特に女性に不人気なのだが、それがなぜかと言うと、「作為的行為が多い」からだろう。で、その作為が悪か、というのが私がここで問題とする哲学だ。
自分の欲望に忠実であることは、現代人の好意を得やすい。つまり、それだけ人間性に正直だ、という視点だろう。では、その種の正直さは、果たして「偽善」より価値があるのか、というのが私の問題提起だ。
あえて言えば、「あらゆる善は偽善である」というのが、私がここで提起するテーゼだ。
ただし、その「偽」とは「人為」の意味である。自然でないこと(自発的衝動ではない善行)を無理にやるのが「偽善」であるが、それは果たして自然な行為より劣るのだろうか。無理にやるからこそ価値があるのではないか。
「善」とは「倫理」に沿う行為である。そして倫理とは「禁止の体系」なのである。とすれば、「あらゆる善行は人間の自然な欲望に逆らう行為である」となるわけである。それは、「あらゆる善は人為的な善、つまり偽善だ」となる。
偽善だろうが何だろうが、他者に利益をもたらす行為が善であるならば、善は自分への不利益をもたらす場合が多い。ならば、そういう「偽善」つまり、やるのに努力を要する善は、自然の発露としての善行より価値がある、と言えるのではないだろうか。もちろん、他者の利益を目的とすると見せかけながら、実は自分の利益が真の目的であるような善、つまり一般的な意味での偽善は唾棄すべきものだが、それは「倫理とは行動の美のことだ」という視点からの判断だ。

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酔生夢人
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男性
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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