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「キリストは何を言ったか」前置き

私はキリスト教に関心はあるが、聖書すらきちんと読んだことは無い人間であり、自分のキリスト教理解が底の浅いものだとは重々承知している。しかし、基本的に「創造主」という存在はまったく信じられないので、そうなるとキリスト教の細目がいかに道徳的に良くても、それについて考察する価値も無さそうに思ってしまうわけだ。
だが、前にキリスト教の成立についての論文、つまり「キリスト教」と呼ばれる宗教は、キリストと呼ばれる人物の言行の記録を基にしてパウロという「原始キリスト教」迫害者が創設したローマ・キリスト教で、それは本来のキリストの教えとは別物だ、という説を書いたのだが、それはキリスト教研究者にとっては常識だったようだ。
では、キリスト自身の教えはどんなものか、それには新約聖書の中のキリストの言葉を抜粋するしかないと思うのだがその作業をするのもなかなか億劫ではある。とにかく、イエス・キリストという人物が実在し、当時のユダヤ教とはかなり異なる「新ユダヤ教」「異端ユダヤ教」を教えていた、というのが歴史的事実だろう。面倒な作業ではあるが、新約聖書や、できればキリスト教の正典から除外された外典から「イエス・キリストの教え」を抜粋したら、それが本当のキリスト教だろう、と思う。そこで、とりあえず、手元の「平明訳・新約聖書」(角川文庫)から、キリストの言葉の中で、その教えの中の基本的な思想を少しずつ抜き出す作業をしてみることにする。ただし、私流に言葉を要約する場合が多くなるかと思うので、例によって「我、刷毛の影もて馬車の影を刷く御者の影を見たり」となるかもしれない。

「キリストの言葉」の抜粋は、もっとも古く、キリスト生前の時代に近い「マルコによる福音書」を中心にする。
キリストと悪魔との会話など、単なる説話か創作らしいものは除外する。また、キリストは「聖書」つまりユダヤ教の聖書を常に引用するが、それ自体が「シン・キリスト教」(つまり、これまでのキリスト教ではなく、私流の「キリスト教」。「新・キリスト教」かもしれないし、「真・キリスト教」かもしれない。)の本質の一部を示すと思われる場合は、抜粋して載せる。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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