私は移住京都人なので、京都の人との付き合いは非常に浅く狭いのだが、接した限りでは、都会的で節度のある人が多い印象である。仕事には厳しい反面、思いやりもある。つまり、できないことを無理にやる必要はないが、自分の受け持ちに関しては、責任のある仕事をしろ、という姿勢だ。ただし、その印象は肉体労働的な仕事(今はやっていない)の仲間に関してだから、ハイソサエティでは違うかもしれない。
観光客相手の仕事だと、あれはどこの観光地も同じことで、お気楽気分の観光客からできるだけカネを搾り取る仕事だから、嫌な印象を受ける人もいるかもしれないが、詐欺的な商売は少ないのではないか。まあ、高い土地代を払って商売をするのだから、何の商品でもその土地代が上乗せされるのは、銀座などと同様だろう。
京都人が「本心を言わない」のは、文明人である以上当たり前の話であり、むしろ、人と人が本心で話せると考える人間がまだこの世にいるのか、と思う。「京都人の褒め言葉には裏の意味が」というのは、京都人を陰湿だとする他府県ディスりのパターンの中の有名なもので、私のように頭が単純な人間などは、そういう会話ができる頭の良さにむしろ感心する。
「あんたのそれ、いい時計ですなあ」が、「お前、時計を見ろ、話が長いぞ」の意味だ、などというのは、実に洒落た毒舌で面白いではないか。馬鹿には理解できないところが素晴らしい。おそらく、理解できない馬鹿を心の中で馬鹿にするのだろうが、それこそまさに都会的な社交技術だろう。
とは言うものの、京都出身のユーモリスト的な創作家というのはあまり記憶にないのは、日常生活で頭を使いすぎるせいではないだろうか。無口な人の多そうな東北の出身の作家などにユーモアのある作家は多い。太宰治のユーモアなど素晴らしいものである。宮沢賢治も井上ひさしも東北だ。面白いことは、他人に言うより自分の心の中で反芻するのではないか。
観光客相手の仕事だと、あれはどこの観光地も同じことで、お気楽気分の観光客からできるだけカネを搾り取る仕事だから、嫌な印象を受ける人もいるかもしれないが、詐欺的な商売は少ないのではないか。まあ、高い土地代を払って商売をするのだから、何の商品でもその土地代が上乗せされるのは、銀座などと同様だろう。
京都人が「本心を言わない」のは、文明人である以上当たり前の話であり、むしろ、人と人が本心で話せると考える人間がまだこの世にいるのか、と思う。「京都人の褒め言葉には裏の意味が」というのは、京都人を陰湿だとする他府県ディスりのパターンの中の有名なもので、私のように頭が単純な人間などは、そういう会話ができる頭の良さにむしろ感心する。
「あんたのそれ、いい時計ですなあ」が、「お前、時計を見ろ、話が長いぞ」の意味だ、などというのは、実に洒落た毒舌で面白いではないか。馬鹿には理解できないところが素晴らしい。おそらく、理解できない馬鹿を心の中で馬鹿にするのだろうが、それこそまさに都会的な社交技術だろう。
とは言うものの、京都出身のユーモリスト的な創作家というのはあまり記憶にないのは、日常生活で頭を使いすぎるせいではないだろうか。無口な人の多そうな東北の出身の作家などにユーモアのある作家は多い。太宰治のユーモアなど素晴らしいものである。宮沢賢治も井上ひさしも東北だ。面白いことは、他人に言うより自分の心の中で反芻するのではないか。
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