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「アメリカの精神」とは何か

「隠居爺の世迷言」記事で、全体的にはやや散漫というか、その主張の妥当性に疑問を持つ部分もあるが、自分の考察ネタには面白い。
先に、私が市民図書館から借りて、その内容のキリスト教的偏向ぶりにうんざりして読むのを中断した「平気で嘘をつくひとたち」というアメリカの精神医の著作中で私が興味を感じた部分を「引用1」として転載する。で、隠居爺氏の記事引用を「引用2」として、私の考察というか妄想的思念をその後に書く。

引用1は、引用2の「マザコン男性」との対比(参考)として載せる。赤字は夢人による強調。発病前のジョージとの対比が面白いが、それより、妻による夫ジョージへの非難の表現に注意。つまり、女性を含めアメリカ人の、男性評価の基準は「強さ」にあるわけだ。そこに、アメリカという国家の異常性もある、と私は思う。善悪ではなく、強いか弱いかが評価基準になるのである。そして、弱さへの同情はゼロに近い。
前置きとして注意を喚起しておけば、文中の「ジョージ」は次のような男である。と言うか、精神障害になる前は、このような男だった。ある意味、中流アメリカ人男性の理想像かと思う。
ジョージはセールスマンとしては一流、というよりは天性のセールスマンだった。ハンサムで、動作がきびきびしており、気の置けない物腰と話術の才にめぐまれた彼は、流星のごとき勢いで南部諸州の販売地域を手に入れていた。(中略)彼は、持ち前の几帳面さをもって売り上げを三倍に伸ばしている。三十四歳の若さで、とくにハードワークに頼ることもなく、給料とコミッション合わせて六万ドル近くの年収を得ていた。」
この「ジョージ」と、妻のグローリアの「ジョージ」への評価の落差に注意。

(引用1)

私は彼女(注:ジョージの妻グローリア)と面接し、彼女がひどい抑うつ状態にあり、彼女の心はジョージに対する嫌悪感でいっぱいだということを知った。彼女は夫について、「弱くてめそめそしたぐうたら男」だと語っていた。一方、ジョージのほうも、しだいに、グローリアに対する恐ろしいほどの憤りを口にするようになった。彼は彼女を、自己中心的で、まったく非協力的な、愛のない女だと見ていた。

(引用2)


 それはさておき、性別の取り扱いにおいても、アメリカは極端になる。通常の一般社会においては、凄まじいくらいの男女差別があると考えてよさそうだ。妻に対する家庭内暴力(DV)など、殺人の一歩手前までのことがしばしばありそうだ。しかし、それがゆえに反動が生じて、何でもかんでも女性優位にしようとする運動が生じる。

 政治でもそれが起きていて、上に挙げたヒラリー・クリントン、ビクトリア・ヌーランド、ナンシー・ペロシ、カマラ・ハリス、故マデレーン・オルブライトなどの存在は、善政を行うためにではなく、男女差別を思わせない高い地位を与えるためのものだ。
男女差別の激しさが前提にある。


 


 男に負けない地位を与えるだけではなく、彼女らが行う政治の内容についても、男以上の極端で、大胆で、粗暴なものになった。本来の男というものは、表面的な印象とは違って優しいものだ。というのも、男は兵士として生まれてくる。遺伝子的レベルで兵士に適している。それがゆえに、一定の限界も知っている。目の前の人間を無差別に殺してしまっては、人間全体の存亡に関わってくるからだ。

 ところが、女は兵士になることが遺伝子的に想定されていない。ゆえに、安全装置が設定されておらず、戦闘に参加させてしまうと見境がつかず、限度をわきまえず、平気で残忍なことをしてしまう。


 


 ただし、過去においてアメリカが原爆を日本に落としたこと、現在イスラエルがパレスチナ人に対してジェノサイドを行っていることを考えると、アングロサクソンというのは男女の別なく遺伝子的な欠陥を持っているのかもしれない。突然変異を起こした欠陥人種がアングロサクソンなのかもしれない。

 そう考えると、アングロサクソンこそジェノサイドの対象にするべき人種であるとも考えられる。ビル・ゲイツにしてもエマニエル大使にしても、あの気持ち悪さというのは、突然変異種であることが醸し出すものかもしれない。新人類、ガンダムでいうと「ニュータイプ」ということになるのかな。

 その点、ドナルド・トランプは明らかに旧人類、オールドタイプに思える。どこか安心できる雰囲気を感じとれる。前回大統領のときに、新たな戦争を起こさなかったということだけでも、バイデンよりは評価できる。

 ただし、私はトランプのファンではない。なぜなら、トランプはアメリカの大統領であるからだ。かつてアメリカファーストと言っていたように、大統領である以上、自国の利益を最優先させるのが当然であり、日本と利害が衝突するようなときには日本を攻撃するだろう。これは、プーチンについても同じことで、ロシアの利益が第1であることは間違いない。

 では岸田総理はどうだろうか。残念なことに岸田総理は完全に狂っている。箸にも棒にも掛からない。日本の利益、日本国民の利益よりも、アメリカの利益や財界の利益を優先させようとするからだ。どこをどうしたら、そんな人間になるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、「冬彦さん」が頭の中に浮かんだ。「ずっとあなたが好きだった」というドラマで、佐野史郎が上手に演じた役柄だ。1992年の放送だったらしい。何となく、「冬彦さん」と岸田総理のイメージがかぶるのだけれど、「冬彦さん」といえば " マザコン " になる。マザコン男性というのはどのようなタイプだろうか。

(1)臆病
(2)自信がない
(3)他人の目を気にする
(4)優柔不断で流されやすい
(5)思い込みが強い
(6)言い訳が多い
(7)自立ができず人のせいにする
※マザコンの特徴7つ。マザコン彼氏と結婚したらどうなる?

 岸田総理に対する私のイメージは「男らしくない」というもの。とにかく男らしくない。言うことがコロコロ変わるのが第1だけれども、コロコロ変えた挙げ句に結局どこに行きたいのかはっきりしない。その理由は簡単で、要するに「お母さん」の方しか見ていないからだ。

 男というもの、家庭を持ったのであれば妻子を第一優先にすべきところを、「お母さん」の方ばかり見ている。それが岸田総理になる。「お母さん」とはアメリカと、日本の財界になる。2人のお母さんに気に入られるのであれば、妻など、子など、つまり、日本や日本国民などどうなってもいい、そんなマザコン男が岸田総理になる。離婚案件だと思うけれど皆さんはどのように思われるだろうか。

 やはり国として独立することは大切だね。そうでないことには、今後の日本の総理大臣は次から次へと「冬彦さん」ばかりになってしまう。あ、そうそう、今思いついたけれども、岸田総理主演(冬彦役)で「ずっとあなたが好きだったスペシャル」を1本撮影できないだろうか。きっとピッタリのはまり役だと思うけどな。



(考察)

前書き部分で主な考察をしてしまったので、詳細な考察は省略する。いずれ気が向いたら再度考察するかもしれない。
要するに「アメリカの精神とは何か」であり、それはアメリカ侵略をした欧州人による原住民インディアン大虐殺に如実に現れている、というのは隠居爺氏も何度も書いている。私は、その「弱肉強食」の精神がアメリカ女性も同じだ、という点に注意を喚起しただけである。
なお、日本では妻が夫の母親役もしていることが多いが、それが良いか悪いかは詳しくは論じない。ただ、「善悪より強さが価値判断基準」という精神(欧米的価値観)は戦争と闘争の世界にしかならないとだけ言っておく。
基本的に「母親」的存在は戦争を望まないと私は見ている。当たり前である。戦争で死ぬのは、もしかしたら我が子なのである。夫なら、死ねばいくらでも代わりがいるが、我が子の代わりはいないwww さらに言えば、我が子とは自分の分身であり、母親から見れば精神的には自分の一部なのである。(中には、子供は自分の「所有物だ」とひそかに思っている母親もいるかもしれないがww)それこそが、実は「平和な世界」を作る精神だとも言えるかもしれない。つまり、他者は敵ではなく、自分とつながる存在だ、ということだ。


(追記)前記した「平気で嘘をつく人たち」の中に、なかなか優れた「悪」の定義があるので引用しておく。これも同書にあるが、悪(evil)は、生・生命(live)を逆に読んだものでもある。

「したがって悪とは、とりあえず、人間の内部または外側に住みついている力であって、生命または生気を殺そうとするものである、ということができる。また、善とはこれと反対のものである。善は、生命と生気を促進するものである。」










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「公徳心」を失った日本人は本当に「日本人」と言えるか

「神戸だいすき」記事だが、好記事である。埼玉県だったか、クルド人犯罪を裁判所が審議せず、犯人が釈放されたとかいう事件(詳細は知らないので、私の勘違いかもしれない。)があったようだが、日本の「国家解体」は、もはや瀬戸際まで来ているのではないか。「グローバリズム」の影響(若者の精神にまで及んでいる)で国会、内閣、司法、その下部組織すべてにおいて国家組織が組織の存在意味(国民保護機能)を喪失している気がする。
そもそも「グローバリズム」とは国家消滅であり国家解体である。つまり、DS(大金融家)支配によるワンワールドだ。NWOとも言う。

そして、神戸だいすき氏が言うように、日本人の「公徳心」が薄れてきているとするなら、それは「日本人」がその本質を失い、もはや日本人ではなくなりつつある、とも言えるかもしれない。「軍事で国防する」以前に、守るべき国(国民)が消滅しつつあるわけだ。
なお、私が「通俗道徳批判」を批判するのは、通俗道徳という言葉がそのまま「道徳」と置き換えられて「道徳は無用」という風潮を作る可能性が非常に高いからである。

先に、クルド人関係のネット記事を載せておく。クルド人とはジプシーのような存在で、法意識が希薄であるとも何かで読んだが、まさに「公徳心」重視社会にはなじまないのではないか。「日本人も罪を犯す(からクルド人犯罪に寛容であれ)」というのは論理の捻じ曲げだろう。

れいわも賛成した川口市議会「クルド人」意見書 マスコミ報じず





川口市議会が可決した「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」






埼玉県川口市でトルコの少数民族クルド人の一部と地域住民との間に軋轢(あつれき)が生じている問題で、川口市議会は、国や県などに「一部外国人による犯罪の取り締まり強化」を求める意見書を可決した。「クルド人」と名指してはいないものの市議らの大半は「彼らを念頭に置いた議論だった」と明かす。「対立と共生」。今、欧州や米国では移民をめぐって社会が激しく動揺している。市議会の意見書可決までの道のりにも、この問題が凝縮されていた。

市議にも被害者

クルド人は家族や親戚など大勢で集まる習慣があり、夜間などに不必要な誤解を住民に与えてしまうことがある一方、窃盗や傷害、ひき逃げなど実際に法を犯すケースも後を絶たない。



「私たちにクルド人を差別したり対立したりする意図は毛頭ない。ただ、わが国の法やルールを守れない一部クルド人の存在は、残念ながら地域住民に恐怖すら与えている」。自民党の奥富精一市議(49)はこう訴える。


奥富市議は意見書の提出をまず自民党内で提案。すると、同僚市議らのもとにも、「敷地の駐車場を壊された」「ゴミ出しでトラブルになった」などの苦情や相談が住民から相次いでいることが明らかになった。公明党市議団にも相談したところ、市議団長自身があおり運転の被害者だったという。

警察も把握しきれず

クルド人の集住地域に住む男性(35)によると、改造車が中東の音楽を大音量で流しながら、住宅街を暴走することは日常茶飯事で、「深夜に家の前を爆音が通り過ぎる。その様子を自身のインスタグラムでアップしている者もおり、面白がっているとしか思えない」と話す。

令和3年10月には、19歳のクルド人少年がトラックで県道を暴走し、横断中の69歳男性をはねて死亡させ、逃走した。少年の所持品に運転免許証はなかったという。事件後、少年は出国しようとしたところを逮捕された。


ただ、こうした大きな事件は別だが、実際には言葉の壁などもあり警察が動くことはまれだ。関係者によると、交通事故などをめぐっては車の所有者すら分からず泣き寝入りするケースも多い。クルド人だけでなく外国人犯罪の実態なども把握しきれていないという。


6月29日に市議会で可決された意見書は、議長を除く41人の採決の結果、34人が賛成した。提出先は衆参両院議長と首相、国家公安委員長、埼玉県知事、県警本部長で、「一部の外国人は、資材置き場周辺や住宅密集地などで暴走行為やあおり運転を繰り返し、窃盗や傷害などの犯罪も見過ごすことはできない」と具体的に指摘。警察官の増員や犯罪の取り締まり強化を求めている。

日本人も罪を犯す

一方、意見書の採決に反対したのが、共産党4人と立憲民主党2人、れいわ新選組の1人だ。ただ、れいわ所属のもう1人の女性議員(48)は本会議の起立採決で立ち上がり、賛成した。女性議員は賛成の理由を議会関係者にこう話したという。

「私の自宅の前でも毎日、暴走車両が通り抜けて、近所から苦情が殺到している。到底見過ごすことはできなかった」。議会関係者によると、この議員はその後、れいわ内で難しい立場に立たされたという。党本部に取材を申し込んだが、応じていない。


一方、共産党は地区事務所が市内のクルド人集住地域にあり、関係者によると、街宣カーを止めている駐車場にクルド人運転とみられる車が突っ込み、ブロック壁を壊される被害に遭ったことがあるという。


同党市議は「暴走行為や犯罪は一部外国人に限らない。日本人にも罪を犯す人はいる。共生社会を目指す上で、ことさらに外国人を取り上げた意見書には賛成できない」と話している。


意見書を受け、埼玉県警は実際にパトロールを強化するなどしている。今月19日には、同市内の夜の公園で女子高生の体を触ったとして、市内に住むトルコ国籍の50代の男が強制わいせつ容疑で川口署に逮捕されている。


一方で、今回の意見書について「外国人と人権」をめぐる微妙な問題でもあるためか、地元メディアも含め報道機関はほとんど伝えていない。奥富市議は市役所の記者室を訪ね、居合わせた記者らに訴えたが、「そうですけどね」「難しいですよね」と、あいまいに応じるだけだったという。

病院でクルド人「100人」騒ぎ、救急受け入れ5時間半停止


(以下引用)


折に触れ、私は、外国人が日本に来て「驚いた」というシリーズを見るんだけど。

たくさん見るうちに、彼らが驚く場面・・・なくした貴重品が戻ってくる。町が安心。困っていると、誰かが助けてくれる。・・・ということを、煎じ詰めると

「自分中心ではなく、公の福祉を大切にしている」「みんなで一緒に幸せになろう」という日本人の姿勢が、発露した場面に、驚いているんだとわかってきました。

そして、この姿勢は、教育勅語の中に「忠と孝」と、一口にくくられ「親に孝」「兄弟に友」「夫婦相和」「朋友相信」、

学を学び、業を習い、公に貢献し、社会の進歩に資す。規則をまもり、法を順守する。

これは、なにも、明治時代の今、天皇である私が訓示を垂れることではなく、臣民が、先祖代々大切にしてきたことであるーと、書かれている。

驚いたことに、教育勅語を破り去り、捨て去った今の時代でさえ、子供たちでさえ「燃えないゴミは、どこに捨てたらいいですか?」と、心がけ、決まり守ろうとする。

スポーツ選手は「チームに貢献したい」という。自分が一番になりたいなんて言わない。

この傾向は、昭和の子供より、もっと強いよ。昭和の子供は、ゲバ棒を振り回して、社会を破壊しようとしたのに。

最近の子供は、わずかな牙も見せない。「きちがい」とか「殺すぞ」なんて言葉さえ、慎む。

昭和の私は、居心地が悪いよ、宅配業者に「ありがとう」というと、孫娘に「ばあば、ありがとうございますって言いなよ」と、注意される。

ったく、日本人にはあきれるよ。

庶民は、きまりを守りたがり、他人に親切にしたがる。みんなで一緒に幸せになろうと考える。新しい技術も、社会をよくするためにと、考えて発明する。

それなのに、首相はなんだ?

ウクライナの戦争を応援する前に、能登半島が、先だろう?
人殺しのために金を出すより、人救いだろ?

庶民感覚から見ると、あのエリートたちのいうことなすこと、信じられない。
みんなが苦しんでいるのに、金をちょろまかして、税金も払わず、何に使ったかも言わない?

信頼できない。人として、まともに評価できない。

次から次へと、政府は、政治家も、官僚も、人として許せない。

かつては、道義的に許されないことをするとき、こっそりしたり、ばれたら謝ったりした。

それなら、まだ理解できる。

ところが、最近は、白昼堂々と道義にもとる行いをする。

ばれても、カエルの面にしょんべん。嘘までついてごまかす。

これは、安倍政権から始まった。

私や妻がかかわっていたら、政治家を辞めますという嘘を平気でついた。そのあとは、なにもかも嘘だ。

やっぱり、純粋な大和民族ではないからね、あの男は。
李氏朝鮮とロスチャイルドの系列だ。
嘘はお家芸。

最近、ニュースを見ていて思うんだけど、

ウクライナの戦争は、止めようと思えば、いつでも止められる。
そしたら、気の毒な国民が死んだり不具にならなくて済む。

すでに、勝敗はついている。どこから頑張っても、ロシアには勝てない。
ならば、和平交渉こそ、するべきことだろう。

ところが、まだ、銃弾を作って、撃つといっている。
まだ、人が死ぬ。

死んでも仕方がないという。彼らの利権を守るためなら、無辜の民を何人死なせてもいいらしい。

自分の利益だけのために、他人を犠牲にして社会に騒ぎを起こしていいとは、普通の日本人の感覚にはない。

それを白昼堂々、公共放送で言い切る・・・

イスラエルもだ。

ガザ地区の人間なんか何人殺してもいいという。

そういう展開は、日本人としては容認しがたい。

そこへ、岸田がしっぽを振って金を持っていく。

大和民族には、理解できない世界が展開されている。

ものすごく居心地が悪い。

あの白い人たちは、人としてダメな民族なんだと、最近、ようやく気付いたわ。

ああいう風だから、平気で、広島や長崎に、ああいう爆弾を落とせたんだ。

しかも、あれは昭和天皇がやったと、まことしやかな情報を流す。

普通、日本人にはできないことばかり。

だから、私たちには、あの獰猛な獣が、次に何をしでかすか、予測できない。

よしんば人工的に地震を起こせても、日本人なら、そんなことして人を殺すことなんかできない。

とことん、わからない人たちだったんだ。

日本列島は、裸でオオカミの巣穴に投げ込まれているんだ・・・

なんか、昨日かなあ、本当のことをしゃべってしまったので詰め腹切らされた議員がいたね。川なんとかっていったけ?

おっちょこちょいだけど、人として理解はできるよ。あほやなあとは思うけど、少なくとも、ほっとする。

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日米の「自我」の強さの違い

下に引用する文章は、或る大学の現代国語の入試問題だが、題材となっている文章自体が、現代日本における「いじめ・自殺問題」の根本に触れているかと思うので、その参考として載せておく。
問題のポイントを簡単に言えば、「なぜ日本ではいじめられた人間が自殺するのか」ということである。(もちろん、これは引用した文章の趣旨とは異なるものだが。)
それを「日本人の自我の弱さ」と断定するのは、いじめ被害者に酷だろうが、「ではなぜ、アメリカ人の自我はあれほど強いのか」、という問題に置き換えてもいい。アメリカ人も何かに絶望して自殺はするだろうが、少なくとも「いじめられて自殺する」ことは無いのではないか。それくらいならどこかから銃を持ち出してクラス全員を射殺する気がする。そして私はそのほうが「健全だ」と思うのである。
当たり前の話だ。なぜいじめ加害者でなく被害者のほうが死ぬ必要があるのか。


(以下引用)上に書いた主旨からは不要ではあるだろうが、入試問題としての問いの部分も載せておく。自分の「読解力」を検討するのも面白いだろう。



練習問題1 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(関西大学・文・改)


 


①二、三年前のこと、私がアメリカのある大学に滞在している時、日本から友人の一人が、私の興味を持ちそうな話題を選んで、新聞の切抜きを送ってくれた。その中に、近ごろ中学生・高校生の自殺の原因として、「自分の心をすっかり打ちあけてとことんまで話のできる相手が誰もいない悩み」が大きな比率を占めているという記事があった。学校の先生は悩み事の相談に乗ってくれない。同級生はみな受験のライバルで、心を打ちあけることなど思いもよらないし、両親はただ勉強しろの一点ばりで、話にもならない。自分はこの孤独にもう耐えられないというのである。


②私はたまたま担当していた大学院の講義が、日本人の自我の構造と言語表現の関係にふれるものだったので、早速この話を学生たちにして、どう思うかと尋ねてみた。驚いたことに、何人かの学生がおかしくてたまらないという様子で笑い出したのである。私が理由をただすと、一人が次のように答えた。


③私は本当に大切なことは、友人はもちろん、親にも話したことがない。先生や他人と相当深くいろいろ議論はするが、それは自分の心の中にある大事な問題について自分で決定する手がかりを得るためであって、問題そのものを打ちあけることはしないし、ましてその解決を他人から教わろうとは思わない。個人が本当に個人である部分は、他人に言えない部分であって、それを明かすことは自分の存在を危険にさらすようなものだ。だから、何もかも心をすっかり打ちあける他人がいないことで自殺するなど愚の骨頂である、というような答であった。


④私は少々唖然として他の者の意見も求めてみた。女子学生の一人は、自分も大体同意見で、本当に自分にとって大切なことは夫にも決して言ったことがないと言う。そして自分以外の人間に、自分の本当の気持ちなど分かるはずがないとつけ加えるのだった。


⑤これは一つの挿話にしかすぎないことであるが、しかしこの話ほど私がこれから述べようとする、日本人にとって、自分とは何か、相手とは何かの問題を解明するための適切な糸口を与えてくれるものもないと思うのである。


  


問1 筆者はどのような問題を考察しようとしているのか、文中から適切な部分を抜き出せ。


 


問2 第三段落(③)で述べられたアメリカ人学生の考えを簡潔にまとめよ。


 


問3 本文中の日本人の自我について、最も適当なものを次から選べ。


 


 ① 日本人は、重大な問題を心の中にじっとしまってその重みに耐えていく力がきわめて弱い。


      日本人は、身近な人間には心を許すが、他人にはなかなか心を許さない。


      日本人は、大事な問題と些細な問題を区別して、大事な問題は他人には打ちあけない。


      日本人は、親兄弟や友人を第二の自我として、それにすべての判断をゆだねている。


      日本人は、集団性が自我の中に組み込まれており、主体性が無い。




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修羅の町か?

600人の生徒のうち85人が不登校って、校長や教師たちは何をしていたのかね。
まあ、町自体が異常な感じがするが、つまり家庭的にヤクザや暴力団的な家が多いのかもしれない。だが、その原因は何なのか。町がそのようになる根本原因は何なのか。単に偶然的にそうなったとも思えないのだが。
元記事の中の詳細はまだ読んでいないので、上に書いたことが不適切なら後で削除する。


(以下引用)


尋常じゃない数のいじめ・不登校が発覚した史上最悪レベルの中学校がこちら・・・自殺者が出てようやく発覚

「友達にからかわれる」中3男子生徒が自殺 いじめが原因か 「対応が不十分だった」学校と教育委員会が謝罪 福岡・田川市

いじめ 自殺 不登校 福岡県 田川市 九州 修羅の国 85人 60件に関連した画像-02

福岡県田川市の中学3年生が自殺し田川市教育委員会は18日、いじめが原因だった可能性があるとして調査すると発表しました。

<中略>

一方、この学校に通うおよそ600人の生徒のうち、85人が不登校の状態にあることも明らかになりました。

また、教育委員会によりますと、生徒が自殺したあとこの学校から、いじめ疑いの報告が60件上がり、このうち3件を重大事態に認定しました。

田川市教育委員会は自殺した生徒についてもいじめの重大事態と認定し、今後、いじめと自殺の因果関係を調べるため専門家などによる調査委員会を設置するということです。

以下、全文を読む
<ネットでの反応>

こういう街で隣の大任町は町長が射殺されるような地域ですからねw
いじめ 自殺 不登校 福岡県 田川市 九州 修羅の国 85人 60件に関連した画像-03

田川なら実質デスゲームやってるようなもんやね
子供のいじめ被害回避には住む地域も考えなあかんね


本当にあとからわかった事なのかな?
もっと前から分かってそうだけどね…


知らない全国の人に説明すると
福岡県の中でも田川市は治安が悪いよ!


85人不登校にするなら、犯人を隔離した方が学校が平和になるんじゃないの?

いやいや、どんな組織でも10%以上人がいなくなれば誰でも気づくのであって。。。
明らかになったのは不登校の人数ではなくて、その間誰も何も対象しなかったってことでしょ


85人って何だよ
むしろ「何かしらの怪異により行方不明になっている生徒を不登校としてカウントしている」とかであって欲しいレベルじゃん


住んでる人には申し訳ないが、ああ田川か。。。という感想しかない。

こういうのってワルの集団を連想するけど、核になってるのはせいぜい3人程度であとは金魚のフン、大半が傍観による加担という構図なのよね

どう考えても、学校になんらかの要因が有ると思わざるをえんと思うんだけど

頭下げて済む問題ではないだろう。こういうのにきちんと刑罰を与えるようにしないと。

九州男児弱肉強食すぎてこんなところで子供育てられない

もう全員教員免許剥奪すべきだろこれ。

どんな学校よ…歴代の教員の方々どう思いながら勤務してたんだろ?異常でしょ。

学校自体を緊急事態認定して国が支援する制度が必要
(追記)「ヤフーニュース」元記事へのコメントの一部を転載。






  • k72********

    ここまで不登校が多いと学校も手に負えないでしょ。どうなってんだ? 教師側に致命的に問題のある人間がいるか、生徒社会の中にバレないように裏で動いている問題生徒がいるか、そもそも地域環境で何かがおかしいか 全校生徒の7人に1人が不登校は異常状態




  • Oscar

    学校自体がまず警察の介入を避けるんですよね 。 教師は余計な仕事が増えるし、穏便に済ませるために被害者を黙らせる方向に舵を取りがち。 イジメは学校に相談せず暴行、窃盗、脅迫、恐喝等で直接警察へ、といわれる理由です。




  • g_4********

    地域性なのか親の育て方なのか、学校の指導の問題なのか、全てを考慮して第三者による完璧な答えを出さないと解らないのでのではないかと思ったりしますね。




  • gya*****

    600人の在校生のうち、85人が不登校って?単純に、15%が学校に来ないって事でしょ? 地域性の問題なのか? 例えば、虐めを助長するような昔からの差別的な階級社会が有ったりするというか?



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能登大地震の異様な政府・自治体対応

タレントの、それもお笑いタレントの発言ということで偏見で見られるかもしれないが、言っていること(見たこと)自体はほとんどが事実だろうし、意見は正論だろう。特に避難所の最悪な住環境である。「二次避難」ではなく、最初から、避難所ではなくホテルや旅館などを国費で借りて避難させるべきだっただろう。何度も言うように、季節が極寒の季節で、避難所が体育館ではまともな生活が送れるはずがない。体力の無い老人は死んでもおかしくない。まあ、死んでほしいというのが政府の本音かもしれない。
ついでながら、震災現場への外部からの立ち入りを禁止したのは、被災地近くの原発の放射能漏れの可能性が大きかったから、その隠蔽の目的だったのだろうと思っている人も多いはずである。

(以下引用)
タレントの清水国明氏(C)日刊ゲンダイ© 日刊ゲンダイDIGITAL

【注目の人 直撃インタビュー】


清水国明さん(タレント)


元日に石川県で最大震度7の揺れを観測した能登半島地震の発生から、10日で100日が経過した。9日時点で県内の死者は245人、避難者は6328人に上る。行政の泥縄対応が問題視されているが、果たして何が足りなかったのか。1995年の阪神・淡路大震災以降、大きな地震が起きるたびに被災地に赴き、支援活動を行ってきたのがこの人。行政の不備や個人の備えについて話を聞いた。


◇ ◇ ◇


──発災後、5回にわたって被災地支援を行ったそうですね。現場を見て、どう感じましたか。


これまで日本で起きた震災の問題点が集約されていると思いました。津波発生に、建物の倒壊。火災や道路の陥没も起きた。特殊だったのはボランティアが集まりづらい状況になったことです。

──阪神・淡路大震災では発生から1カ月で活動したボランティアは延べ約62万人。ところが、今回は発生後3カ月以上経った3月中旬で延べ約1万人でした。単純比較はできませんが、明らかに少ないです。


震災発生直後から、SNSで「不要不急の人は被災地に来ないで」といった投稿があふれました。それを拾い読みしたのか、行政までが「ボランティアは来ないでください」と発信。これが大きく影響したと思います。


■「ボランティアは来るな」の弊害


──石川県の馳浩知事はSNSに〈能登へ向かう道路が渋滞し、物資が届かない〉〈能登への不要不急の移動はくれぐれも控えてください〉などと投稿していました。


僕は1月3日の朝には現地に行ってボランティア活動をやらせてもらったのですが、そんな投稿については「現場を知らんだろ!」と言いたい。橋が落ちたり、道路が陥没して渋滞していた箇所はあったと思う。でも、実際はおおむねスムーズでした。緊急車両がバーッと来た時は、復旧作業に従事する自衛隊の車両がパッとよけて道をあけていたほど。「ボランティアに来るな」と言われるのはちょっと腹立たしかったです。実際、被災者の方たちは僕らが行くと感謝してくれました。


──行政の発信の仕方がマズかったのでしょう。現場での支援対応については、どう見ていますか。


一言でいうと泥縄ですね。震災が起きてから仮設住宅を建て始めているのだから、出たとこ勝負の対応です。それで、仮設住宅の建設中、自宅に戻れない被災者を体育館などに押し込んでいるわけです。プライバシーがなく、天井が高いから室内は暖まらない。床も冷たいから、いくら重ね着したって寒い。地震でショックを受けている人をさらに劣悪な環境に追い込むなどおかしいでしょう。


──避難所の環境の悪さは深刻です。避難者は一時、3万4000人にも上りました。


一番の問題はトイレが汚いことです。大勢の人が使うわけですから排泄物でどんどん汚くなっていく。トイレに行くのが嫌になってきますから、みんな水は飲まない、ご飯も食べない。それで体調を崩して災害関連死につながっていくわけです。なぜ、こうした状況を予測して備えておかないのか。行政による人災ですよ。




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今の日本は「天皇制」国家か(国体論2)

「混沌堂主人雑記」で紹介されていたので、「天皇」という存在の意味や意義を考える参考として元記事を転載する。言うまでもなく「尊皇主義」の私とは正反対の思想だ。少し古い記事なので、明月飛鳥氏が今でも同じ思想かどうかは分からないが、同じ思想のままだと推測する。
一番の問題は、飛鳥氏その他が今の日本を「天皇制」国家だと主張していることで、憲法に明記されているとおり、今の天皇には政治的権力も政治的発言権も無い。その意味では一般日本人よりも政治権力から遠い存在だ、ということだ。(その潜在的可能性の大きさは別問題であり、私はそれを未来の日本の新しい政治システムに組み込むことを考えている。つまり、「象徴」の持つ大きな潜在力を政治に生かすという思想だ。)
私も昭和天皇の戦争責任は大きいと思うし、その「責任の取り方」も、ほかにも手段はあったと思うが、それと現在の「象徴天皇」制を同一視するのは極めて非論理的だろう。簡単に言えば、これらの論者が言う「天皇制」とは天皇に政治実権があるという幻想である。それと現在の「象徴天皇制」はまったく別物であり、現在の学校教育で

日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つ

というのも大嘘だろう。要するに、自分の恣意的な政治信条のための事実の捻じ曲げである。

私は夢想するが、たとえば、天皇がSNSで「日本の(米国からの)真の独立」を主張したら、どうなるだろうか、という夢想であるwww まあ、驚天動地の大騒ぎになるだろうし、それは今のDS支配下のマスコミ全体が束になってもかなわないかもしれない。しかし、それは最後の最後の手段だ。
それが天皇の持つ潜在力であり、天皇批判者たち(本心では米国支配に安住し、日本独立を嫌う者たち、あるいは日本をただ自分好みにしたいだけの無責任リベラル言論者たち)が怖れているものではないか。もちろん、私は「右翼支配」の日本を願っているわけではない。尊皇主義=右翼という馬鹿な単純化は拒否する。私は単に理想国家としての象徴天皇制国家(現在は象徴天皇の機能が不十分だということだ)を空想しているだけである。
ある意味ではプーチンのロシアが「哲人統治」に最も近いが、それはプーチンの個人的資質によるものなので、それをシステム化することは不可能か否かが私の思考課題なのである。天皇とは生まれつき国家と一心同体である、というのが、私の思想の土台である。そしてその「無答責」性(他者の批判から超越していること)こそが、その「判断」の正確さを保証するのではないか、とも思う。
ある意味では「天皇の無答責性」は一種の「超越性」において、ロールズの言う「無知のヴェール」にも少し似ているかもしれない。私の解釈では「無知のヴェール」とは、事件にまったく関与せず利害関係を持たないものだけが正義にかなう判断を下せる、というものだ。これは「天皇=国家」(天皇こそが国家問題の最大の利害関係者)という思想とまったく反対に見えるが、犯罪ではなくビジネスの問題として見るなら、最大の利害関係者こそが一番真剣に考える、という当たり前の話だ。そして自分を「正義」と思う存在はしばしば狂信化、非論理化するのである。正義よりも論理が正解を導く、という簡単な話だ。
裁判官が政治権力に動かされて意図的に誤判する、というのなどが正義の問題における「超越性」の欠如を示している。ロールズの「無知のヴェール」は単に判断方法だけの話で、実践性は欠如しているわけだ。つまり、裁判官には犯罪の利害関係者からの超越性はまったく無いのである。そこが「天皇=国家の最大の利害関係者」であり「他者からの影響(批判)を超越している」というのとの相違だ。しかも、「象徴天皇」の場合、生活の資を求めるための金銭獲得行動も不要だし、他国の王族のような有力貴族などとの関係による「行動制限」も悪行の必要性も無い。


(以下「反戦な家づくり」から引用)
2022-08-15(Mon)

あらためて天皇の戦争責任を問う

日本にあるもので、もっとも子どもの教育に悪いものは何かと聞かれれば、迷うことなく「天皇制」と答える。
「1人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄」を、まさに地で行ってるのが昭和天皇であり、象徴天皇制だ。
究極の無責任の象徴。
自殺したヒットラーのほうが、まだしも潔いといえるかもしれない。
日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つのだから、ひどい話だ。
天皇制には、もうひとつ際だった特徴がある。
「保身」である。
天皇や天皇制には、それ自体の思想性はない。
あるのは存続の意思と、そのためのきわめて柔軟(無節操)な「保身」である。
存続するためならば、どんな勢力とでも手を結ぶ。
処世術の鬼である。
軍部が強ければ軍につき、沖縄を初め国中が焼き尽くされ、自国民が何十万人も黒焦げにされても保身(国体護持)のためには意に介せず、負けたとたんにマッカーサーに擦り寄り、捨て石にした沖縄を、またしても米国に売り渡した。
手を携えて戦争を遂行した戦犯がまつられている靖国神社へも、自分だけは無関係化のように行かないという。
靖国神社は戦犯だけを葬って、戦犯の魂の牢獄にして、負の遺産として末代まで残すべきだと私は思っている。
その意味で、天皇は靖国神社に行くべきなのだが、自分だけはちゃっっかり「戦後民主主義」に乗っかってしまうところが、さすが処世術の鬼である。
これが「清く正しい」生き方だと、子どもたちに刷り込まれる。
私はこのブログでも何回も書いてきたが、「天皇の戦争責任」を曖昧にしたことが、戦後の日本をダメにした、と考えている。他にも要因はあるけれども、なんといってもダントツのナンバーワンである。
8月15日
私たちは、単に不戦の誓いをするだけでなく、戦争をやらかした奴らの責任を忘れない、その思いを新たにしたい。

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党派の「本質」と「真髄」

まあ、誰にも興味の無い話だろうが、せっかく考えたので書いておく。
翻訳の話である。ただし、言うまでもなく、私は外国語はまったく知らないので、ここでは原文は度外視しての二つの翻訳文の比較の話だ。どちらも古い翻訳で、訳者がご存命かどうかも知らない。
さて、問題の文章をふたつ挙げておく。文語的表記は現代文表記にしておく。

A:行動は党派たるものの本質である。
B:行動ということこそ党派の真髄ではなかろうか。

私は前者(A)を読んで違和感というか、疑問を感じて、別の翻訳であるBを見て納得したのだが、一応説明しておくと、Bの翻訳者が先にこの原作を翻訳し、Aがその後、その原作の改訳(新訳)をし、さらにそれを参考にしてBの翻訳者が自分の過去の訳を改訳したようだ。したがって、時系列的にはBの翻訳者に優位性があり、AよりBが翻訳者として優れているという話ではない。

さて、私はAの文になぜ違和感を持ったのかと言えば、その断定的口調による断言(命題)の内容が正しいとは思えなかったのだ。間違いとは言えなくても、「全肯定」はできない命題だろう。
そして、Bになぜ納得したかと言えば、同じ命題への「~ではなかろうか」という婉曲な口調とともに、「本質」が「真髄」になっている点も良しとしたのである。
「本質」と「真髄」に違いは無いだろうという大雑把な意見もあるだろうが、「本質」とは、その対象全体を包含するもので、「真髄」はその対象の中心部だけに該当するものだ。つまり、「党派」と「行動」に関して言えば、「(本質=)党派に属するメンバーは全員必然的に行動する」か「(真髄=)党派の中心層は行動する」かの違いだ。あなたが自民党(でも共産党でも何でもいいが)に同感するからと言って、自民党のために街頭に立って応援するか、しないか、という違いだ。もちろん、「投票」も行動ではあるが、それは自民党の「真髄」としての行動ではないだろう。(「本質」と「真髄」についてのもっと分かりやすい例を寝床の中で考えたのだが、もはや忘れたので書けない。)

なお、このふたつの翻訳はどちらもバルザックの「暗黒事件」の一文である。




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