実は私も、安倍談話を最初に読んだ時、飯山氏と同じような印象を受けたのである。もちろん、安倍総理が現在進めている「戦争法案」その他の行動とこの談話が真逆であることは言うまでもない。だが、談話自体にはケチのつけようがない、と思っていたら、談話発表直後から、さまざまなところで、「あの談話はこう読むのだ」という記事が登場して、自分の国語読解力の無さを嘆いたものである。
だが、言葉の表面だけを捉えれば、飯山氏が言うように、安倍総理は「不戦の誓い」をした、と言っていいのではないか。ということは、これだけでも「戦争法案」は廃棄にできる言質を野党各党は手に握ったとも言えるわけだ。もちろん、安保関連法案は「戦争法案」ではない、と安倍陣営は強弁するだろう。だが、「米国の戦争に協力して世界中で自衛隊が活動できるようにする」法案が「戦争法案」以外の何物でありえようか。そもそも、国会に諮ることなく、安倍が米国議会で「戦争法案」成立を約束したという事実だけで、安倍が三権分立の原則を踏み外しており、総理失格であることは自明である。
そういう内閣は不信任案を提出して、倒せばいいだけの話である。(補足)に書いてあるように、内閣不信任を成立させるのは(議会の過半数の賛成が必要なので)困難に見えるが、与党議員の中でもこの「戦争法案」に本気で賛成している者は少ないと私は見ている。野党がこの不信任案を突きつけることで、与党内部の「隠れ平和主義者」も自分の最後の決断を迫られることになる。そうなると、案外「キチガイ右翼」が支配する自民党の体制に不満な議員の造反が出て来る可能性は高い、と私は見ている。
(以下引用)
それは…、安部総理が本日(14日)発表した「70年談話」に明らかに出ている。
その内容は、隣国への「お詫び」に徹していて、ネットウヨを発狂させた「村山談話」を完全に継承している。
もっと魂消るのは…、
「事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはならない」と不戦の誓いを宣言した部分は、安倍総理が大嫌いだった憲法第9条そのままなのだ。
しかも…、
「70年安倍談話」は…、闘犬みたいに下品だった安倍晋三には似合わない上品さで、しかも大変に格調が高いのだ。
これは、今まで安部総理に張り付いていた戦争屋のパシリとは全く違う別の勢力が取って変わった!というコトだ。
どうやら…、
戦争屋のヌーランドがウクライナでの紛争解決を目指す和平派に転じたような動きが、日本にも波及してきたようである。
いったい、この世界的な規模での「和平を目指す潮流」を引き起こすエネルギーの源泉は那辺(なへん)にあるのか?
安部総理は「21世紀構想懇談会」の意見を受けたと述べたが、じつは、もっと巨大な「意見」が天下った(あまくだった)!と、鷲は見ている。
(補足)内閣不信任について
内閣の存立には議会の信任を要するとすることは議院内閣制の核心的原則とされている[2]。実際には議院内閣制の下では与党が議席の過半数を占めているのが通例で、与党内の分裂といった事態に陥っていない限り内閣不信任決議が可決されることは稀であり、先例では内閣不信任決議案が可決された事例は4例と少ない。また、慣例として認められている一事不再議の原則により、同一会期中には1度しか提出できない。そのため、会期中に否決されてしまうと会期終了時まで内閣不信任決議という対抗手段が失われることになってしまうため、現実には不信任決議案の提出には慎重にならざるを得ない。野党側からは、政権与党との対決色を示すために、国会の会期末あるいは内閣が衆議院の解散を実行することが確実になった段階において内閣不信任決議案が提出されることが多い(内閣不信任決議案の採決前に解散となる例も少なくない)。一方、与党内が分裂の様相を呈している場合などには、野党側から会期末に至る前に提出されることがあり、また、分裂状態にある与党内からの内閣不信任決議案の提出とその可決が確実視される政局において、内閣が採決前に自ら総辞職した事例もある。