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「福島再生」は福島県民自身にとって最適解か

佐藤雄平知事は福島を核のゴミ捨て場にした後、大金を得て(だと思うが)、めでたく勇退するようだ。
そもそも原発政策の一部に異議申し立てをした前県知事佐藤エイサク(栄佐久だったか?)知事を政官(警察検察)マスコミの力で冤罪を作って引きずり落とし、その後釜に座った男である。それが「原発事故被害者代表」のような顔をしていること自体がおかしいと思うのは私だけか。近づく福島県知事選ではその男を自民・民主相乗りで候補とする計画もあったと聞いている。キチガイ沙汰も極まれりだが、福島県民もこの男を当選させるほど馬鹿ではないだろう、と見越してか、今期限りで勇退と意向を示した、その矢先の「中間貯蔵地受け入れ」である。どこまで恥知らずな男なのか。
そして、東電前社長、前会長、いや、小泉からおそらく竹中に至るまで、日本という国では、こうした「国賊」たちが、何も咎められずに無事に引退して悠々と安楽な老後がすごせるのである。本当なら、八つ裂きにしても足りないほどの苦しみと不幸を日本国民に与えた犯罪者たちではないか。
しかし、「最後は金目でしょ」は、実に現実政治の根本を一言で言った、発言者自身も意図していない、思いがけない名言であった。この言葉はこれから100年は生き残るのではないか。

なお、明月氏は最初から福島が核廃棄物処理場になることを予見していた、素晴らしい先見の明の持ち主だが、今でも氏はそのことに反対している。だが、事ここに至っては、福島の再生は不可能だ、と私は思っている。
福島再生のためには福島原発の事故処理ができなければならないが、それが可能だとは私は思わないのである。ならば、福島は日本全体の(あるいは、もしかしたら世界全体の)核廃棄物処理場となるしか土地の用途は無いのではないか。これがいかに非人道的な判断に聞こえようが、「死んだ子供」を生き返らせることは不可能なのである。(福島再生を推進することは、放射能汚染食品など、核汚染を日本全国に希釈拡散することになるという、アンビバレンツな状況である以上は、もはや福島再生はあきらめるしかない、ということである。福島にしがみついて生きることは、福島県民自体にとっても、その健康を阻害する結果にしかならないだろう。)
つまり、福島県民は、できるだけ高い補償金を取って福島脱出をするのが最善の道であり、「最後は金目でしょ」というのは、まったく正しいという皮肉な結論にしかならないのである。




(以下「反戦な家づくり」から引用)

2014-08-30(Sat)

「最後は金目でしょ」と言われて「はいそうです」と回答してしまった福島県知事

福島県の佐藤雄平知事は、今日にも中間貯蔵施設の受け入れを正式に表明し、9月1日にはあろうことかあの石原伸晃と会談して受け入れ回答をするらしい。

県、建設を事実上了承 中間貯蔵施設 30日受け入れ最終判断
福島民報 2014/8/30


せめて石原の首と引き替えにすることすらせず、当の本人に「1000億なら拒否するけど3010億円なら受け入れます」と回答するというのだから、開いた口がふさがらない。

中間貯蔵施設 福島県28日受け入れ表明 地権者2000人と交渉へ
産経新聞 8月22日


この佐藤知事の立候補を待っている「野党」の方々も、よく目を見開かれた方がいい。

さて、感情的なことだけではなく、この中間貯蔵施設というのがどのような意味をもっているのか、時系列で考えてみたい。

2011年3月  福島第一原発事故
2011年12月 国が県と町村に検討を要請
2012年11月 県が調査の受入表明
2012年12月 反対する双葉町の井戸川町長に不信任決議
2013年4月  現地調査開始
2013年12月 国が県と町に受け入れ要請
2014年6月  石原環境相「最後は金目でしょ」
2014年8月  福島県が受け入れ決定

という流れなのだが、ここにもう一つの流れを重ねるとこうなる。
少々煩雑だが、目を通していただきたい。

2009年3月  楢葉町が使用済み核燃料の最終処分場に応募
2011年3月  福島第一原発事故
2011年7月  モンゴルに最終処分場の話が浮上するも拒否される
2011年12月 国が県と町村に検討を要請
2012年1月  六カ所の再処理工場が目処たたずと報道
2012年8月  経産省 再処理しない直接処分の研究へ
2012年9月  青森県 「原発ゼロなら核廃棄物拒否も」

2012年11月 県が調査の受入表明
2012年12月 反対する双葉町の井戸川町長に不信任決議
2013年4月  現地調査開始
2013年12月 核最終処分場 国の責任で候補地提示の方針
2013年12月 国が県と町に受け入れ要請
2014年1月  原子力学会「放射性廃棄物地層処分の学際的評価
2014年5月  放射性廃棄物WG中間とりまとめ 発表

2014年6月  石原環境相「最後は金目でしょ」
2014年8月  福島県が受け入れ決定

オレンジ色が使用済み核燃料の最終処分に関する問題。 黒い字は除染で出た物質の中間貯蔵施設に関することだ。

注目すべきは、
① 楢葉町はもともと2009年に最終処分場候補として手を上げていたということ。
② 震災直後にモンゴルへ移動させる計画を日米でしたけれども、モンゴルに拒否されたと言うこと。
③ 六ヶ所村の再処理工場が全然目処が立たない。

③について少し説明を加えると、再処理を口実に六カ所には膨大な使用済み核燃料が実質的に中間貯蔵されている。もし、再処理が無理とか、青森県がもう嫌だとか言いだしたら、この膨大な核ゴミの行き場が無くなるのだ。

こうした使用済み核燃料の最終処分場の問題と並行して、いわゆる除染物質の中間貯蔵施設の話は進められている。
即死はしないレベルの放射性破棄物であったとしても、一度廃棄場になった場所が、何年かたってから他の場所に移しますなんてことになるのは、まず考えられない。絶対と言ってもいいほどだ。

なし崩しに、徐々に高いレベルの廃棄物が捨てられ、近い将来には使用済み核燃料の最終処分場にされていくことは、ほぼ間違いないのではないだろうか。

■■
(中略。夢人注:引用された文章があまりに分かりにくい「学者(役人)文章」なので。)
■■

昨年12月に示された 「候補地は国が決める」 という方針は、4月のエネルギー基本計画で閣議決定され、5月には
 放射性廃棄物WG中間とりまとめ という形でまとめられた。

概略が下記の資源エネルギー庁の資料の10Pに出ている

高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた取組の見直しについて

これまでのようにNUMOが公募して自治体が手を上げる式ではなく、国が科学的により適性が高いと考えられる地域=科学的有望地をパキッと示す ということだ。
有望さは科学的に判断し、リスクは「人文・社会科学」的に無視することで、とっとと決めてしまえということになっている。

こうした流れの中で、ふくいち地元自治体での中間貯蔵施設の話は進められている。
除染物質の中間貯蔵施設が、使用済み核燃料の最終処分場になるまで、何年の猶予があるだろうか。

これはただの思いつきで言っているのではない。
より詳しい検討を2011年に書いているので、もし見ておられない方は読んで見ていただきたい。

原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか(2011.4.1)


「フクシマを核処分場にする計画」を改めて検証してみる (2011.5.21)

脱原発・脱被曝を言う人々の中でも、「使用済み核燃料はふくいちの周りに埋めるしかない」と言う人が多い。
私はそうは思わない。それはモラルハザードだ。原発を立地に押しつけ、基地を沖縄に押しつけてきた価値観を、自ら認めることになる。
多数の快適のためには少数は犠牲になれ。これを、横暴な権力に抵抗している人たちまでが認めてしまったら、この国の最後の光が無くなる。

怖い、イヤだ、というエゴイスティックな、でもある意味当然な感情も含めて、真剣に話し合う必要がある。たたき合うのではなく。

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