「長く、暗い冬」というタイトルで徽宗皇帝のブログに記事を書いたが、そこからの連想で、小泉八雲の「鳥取の布団の話」を思い出したので、ネットで拾ったものを転載しておく。訳が少し軽すぎるし、アレンジしてあるので、八雲作品の持つ詩情や不気味さが失われた感があるが、冬の夜、寒さに震えて布団をひきかぶる時には、この話を思い出すのもいいだろう。子供なら、この話がトラウマになって、布団そのものを怖がるようになりかねない話である。
ついでに、同じく寒さからの連想で、山上憶良の「貧窮問答歌」も後で追加しておこうと思う。
(引用1)最初の「ムカ~シ」は、この話の陰惨さにまったく釣り合わないと思うので、訂正させてもらう。その他、少々変更した。
鳥取の、ふとんの話
〔小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』から〕
昔、鳥取に小さな宿屋がありました。
この宿屋の主人は開店して初めてのお客に一人の旅の
商人を迎えました。宿屋は新しい店ではあり
ましたが、お金があまりなかったため、家具などはすべ
て古道具屋から買ってしつらえたものばかりでした。
お酒などのたくさんのもてなしを受けたお客は横にな
るとすぐに眠ってしまいました。
眠っていると
誰もいないはずの部屋から
もの悲しげな声がきこえてきました。
「兄さん寒かろう」
「おまえこそ寒かろう」
二人の子どもの声でした。
お客は明かりをつけて部屋の中を見回しましたが、だ
れもいません。気のせいかと思いましたが、また、
「兄さん寒かろう」
「おまえこそ寒かろう」
という声が聞こえてきました。
よく聞くと、掛けているふとんからこの声が聞こえてくるのです。
気味の悪くなったお客は慌てて勘定をすませ宿をとびだしていきました。
つぎの晩も同じようにふとんに怯えた別の客が出てい
ってしまいました。
はじめは、お客の話を信じていなかった主人もさすが
におかしいと思い、そのふとんを自分で掛けて寝てみる
ことにしました。すると――
「兄さん寒かろう」
「おまえこそ寒かろう」
という声がするのでした。
このふとんは、もとは貧しい一家のものでした。
貧しい家でしたが両親と2人の子供の4人で仲良く暮
らしていました。しかし、あるとき父親が病気で亡くな
り、それを追うように母親まで亡くなってしまったので
す。残された2人の子どもは頼りもなく生きていくため
に身の周りのものを売っていくしかありませんでした。
そして一番最後に残ったのがこのふとんでした。
ある寒い日、二人がふとんにくるまって寝ていると、
家主が家賃を払えとふたりのところへやってきました。
家賃が払えないふたりは、ふとんを取り上げられ、雪の
降るなか外に放り出されてしまいました。ふたりは寒さ
を凌ごうと抱き合い、いつしか眠ってしまい、永遠に目
覚めることがなかったのです。あまりの寒さにふとんに
魂が取り憑いてしまったのでしょう。
そんなかなしい話を知った宿の主人は、ふとんを供養
してもらいました。
それからは、ふとんがしゃべることはなかったという
ことです。
(引用2)夢人が少し訂正してある。たとえば、「布肩衣」が「布肩着ぬ」と誤記されていた。その他、返歌が長歌部分と連続していたのを分けて表示し、一部は色字にした、など。
ついでに、同じく寒さからの連想で、山上憶良の「貧窮問答歌」も後で追加しておこうと思う。
(引用1)最初の「ムカ~シ」は、この話の陰惨さにまったく釣り合わないと思うので、訂正させてもらう。その他、少々変更した。
鳥取の、ふとんの話
〔小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』から〕
昔、鳥取に小さな宿屋がありました。
この宿屋の主人は開店して初めてのお客に一人の旅の
商人を迎えました。宿屋は新しい店ではあり
ましたが、お金があまりなかったため、家具などはすべ
て古道具屋から買ってしつらえたものばかりでした。
お酒などのたくさんのもてなしを受けたお客は横にな
るとすぐに眠ってしまいました。
眠っていると
誰もいないはずの部屋から
もの悲しげな声がきこえてきました。
「兄さん寒かろう」
「おまえこそ寒かろう」
二人の子どもの声でした。
お客は明かりをつけて部屋の中を見回しましたが、だ
れもいません。気のせいかと思いましたが、また、
「兄さん寒かろう」
「おまえこそ寒かろう」
という声が聞こえてきました。
よく聞くと、掛けているふとんからこの声が聞こえてくるのです。
気味の悪くなったお客は慌てて勘定をすませ宿をとびだしていきました。
つぎの晩も同じようにふとんに怯えた別の客が出てい
ってしまいました。
はじめは、お客の話を信じていなかった主人もさすが
におかしいと思い、そのふとんを自分で掛けて寝てみる
ことにしました。すると――
「兄さん寒かろう」
「おまえこそ寒かろう」
という声がするのでした。
このふとんは、もとは貧しい一家のものでした。
貧しい家でしたが両親と2人の子供の4人で仲良く暮
らしていました。しかし、あるとき父親が病気で亡くな
り、それを追うように母親まで亡くなってしまったので
す。残された2人の子どもは頼りもなく生きていくため
に身の周りのものを売っていくしかありませんでした。
そして一番最後に残ったのがこのふとんでした。
ある寒い日、二人がふとんにくるまって寝ていると、
家主が家賃を払えとふたりのところへやってきました。
家賃が払えないふたりは、ふとんを取り上げられ、雪の
降るなか外に放り出されてしまいました。ふたりは寒さ
を凌ごうと抱き合い、いつしか眠ってしまい、永遠に目
覚めることがなかったのです。あまりの寒さにふとんに
魂が取り憑いてしまったのでしょう。
そんなかなしい話を知った宿の主人は、ふとんを供養
してもらいました。
それからは、ふとんがしゃべることはなかったという
ことです。
(引用2)夢人が少し訂正してある。たとえば、「布肩衣」が「布肩着ぬ」と誤記されていた。その他、返歌が長歌部分と連続していたのを分けて表示し、一部は色字にした、など。
貧窮問答歌 風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩衣 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか 汝(な)がよはわたる 天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く 鞭(しもと)とる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば |
訳 風交じりの雨が降る夜の雨交じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので,塩をなめながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすり,咳をしながら鼻をすする。少しはえているひげをなでて,自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれているが,寒くて仕方ないので,麻のあとんをひっかぶり,麻衣を重ね着しても寒い夜だ。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ,妻子は泣いているだろうに。こういう時はあなたはどのように暮らしているのか。 天地は広いというけれど,私には狭いものだ。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれないものだ。他の人もみなそうなんだろうか。私だけなのだろうか。人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火のけがなく,米をにる器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,短いもののはしを切るとでも言うように,鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる。こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。 この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。 |
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