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子供を心身とも健全に育てるのが親と教師の責任

私は、「体育」の目的は文字通り「体を育てる」つまり、健康な体を作るのが一番の目的だという考えだから、その授業内容も「運動能力の向上」ではなく、まして「競争」などさせる必要はない、と考えている。
だから、下の記事のような「女の子投げ」への軽蔑など、唾棄すべき思想だと思うが、問題は子供の体を健康に育てることが現代ではかなり軽視され、子供の健全な発達への親や教師の意識が低すぎることではないか。

幼児のころからファストフードに慣れ、家の食事よりコンビニ弁当のほうがまとも、という状態で、当然、飲み物も糖分や添加物満載の炭酸飲料などだろう。つまり、骨格そのものが脆くなっているのが、下の記事にあるような、子供の体育の授業での怪我の多発の原因かと思われる。もちろん、筋力も年齢相応に発達していないから、まともな運動(体の操縦)ができないわけだ。で、幼いころからテレビゲームやパソコンやスマホなど(発光体)を見て育つから、視力も低下する。
まあ、それでなくとも現代の若者は「結婚不可能」の貧困社会にいるのだから、子供の数もどんどん減少していくわけで、その数少ない子供は脆弱な肉体を持つことになるなら、まあ、このままだと日本は滅亡する、と言えるかもしれない。

WOKEという言葉は今のネット世界ではおそらく侮蔑語で、少し前の「意識高い系」に近いと思うが、現代の「勤労者世代(子育て世代)」こそ、まさに意識が眠り込んでいるのではないか。大昔の予言者ではないが、荒野で「目覚めよ」と呼ばわる者が必要だろう。

(以下引用)

「ボールをうまく投げられない小学生」急増の理由




「ボールをうまく投げられない小学生」急増の理由

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「クラスでボール投げをやらせると、男子でも8割くらいの子が“女の子投げ”をするのが普通です」…近年、ボールを正しく投げられない子どもたちが増えているという。ボール投げの飛距離も年々低下、いったい何が起きているのか? ジャーナリストの石井光太氏の新刊『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

《衝撃写真》どうやっても「女の子投げ」になってしまう男の子





◆◆◆

バンザイの姿勢をとれない

 学校生活では帰宅組と学童組だけでなく、運動能力の面でも運動ができる子とそうでない子の“分断”が顕著だという。


 先日、保護者向けの講演会で小学校を訪れた時、見慣れない光景に出くわした。校庭であるクラスが体育の授業でドッジボールをしていた。子どもたちの何人かが黒い防弾チョッキのようなものを上半身につけている。


 最初、私は運動能力の高い子たちが、加圧トレーニングでもしているのかと思った。だが、授業を見る限り、装着している子どもたちは、他の子と比べて体の線が細く、動作もぎこちない。そして真っ先に標的にされ、簡単にボールをぶつけられている。


 先生(関東、50代男性)は説明した。


「あれは、プロテクターなんです。今は運動能力が著しく低い子が結構いて、ボールを避けられず、胸に当たって事故につながることがあるんです。鎖骨や肋骨が折れるとか、最悪の場合は心臓が止まってしまう。なので、運動が苦手な子や、自分で怖いと思っている子には、プロテクターをつけさせているのです」


 最近の学校にはドッジボール用の軽量で柔らかなゴム製のボールが用意されている。病弱な子ならまだしも、健康な子がそのボールをぶつけられたからといって怪我をするとは思えないが、多少なりともその不安があるのだろう。


 子どもたちの体が弱くなったというのは、以前から指摘されてきたことだ。運動会でも、事故予防のために組体操や騎馬戦といった種目が次々と廃止されてきた。今回のインタビューでも、次のような子どもがいるとの指摘があった。


・100メートル走でカーブを走って回ることができずに転んでしまう子が続出する。また、転倒時に手を突いて身を守ることができないので顔面から倒れて大怪我をする。


・準備体操で両手を上げてバンザイの姿勢をとれない。肩甲骨が固まっているため。


・四つ這いになって雑巾がけをすることができない。体幹が弱いので、ちょっと前に進んだところでバタッと顔から倒れてしまう。


・両手両足を交互に使えない。行進の時に右足と右手を同時に前にだすとか、水泳の時にクロールがバタフライのようになる。


・キャッチボールをさせたところ、グローブをはめている手を動かさない。ボールの速度や距離を予測してキャッチすることができない。そのため、相手の投げたボールが顔や胸にまともに当たってしまう。


 何とも痛々しい光景だが、保育園、幼稚園では平らな床に座っていられない子が現れている。彼らが学校に上がれば、このような事態が起きても不思議ではない。


 先の先生は言う。


「20年くらい前までは、授業で怪我をするといっても、せいぜい捻挫や打撲で済んだものです。でも、最近はちょっと走って転んだだけで、前十字靭帯断裂とか、アキレス腱断裂とか、頭蓋骨骨折といった大怪我が起こるようになりました。普段から体を使っていない子が多いので深刻なものになりがちなのです」


 独立行政法人日本スポーツ振興センター「学校の管理下の災害─基本統計─」によれば、1‌97‌0年代と比べると、今の小中高生の学校における骨折率は2.4倍となっている。運動の機会が減っているにもかかわらず、骨折率が高まっているのは、運動能力が下がっていることの表れだと考えざるをえない。


 こうしたことは整形外科の分野でも注目されており、日本整形外科学会では「子どもロコモ(運動器症候群)」と呼んでいる。関心のある方は、NPO法人「全国ストップ・ザ・ロコモ協議会」のホームページで事例が紹介されているので見てほしい。

「女の子投げ」する男子たち

 今回、先生方から運動能力の低下を危惧する声があまりに多く寄せられたため、私は島根大学地域包括ケア教育研究センター講師の安部孝文氏にインタビューした。子どもの運動機能や体作りの研究者だ。


 安部氏によれば、子どもの運動能力を測る指標の一つが「ソフトボール投げ」だということだ。


 ボールを投げる動作は、全身を使って行う。しかも、日常ではやらないような動きが多い。そのため、運動能力の差が如実に表れるのだそうだ。


 図1を見てほしい(調査対象は小学5年生)。2010年くらいから飛距離が急落しているのがわかるだろう。因果関係は定かではないにせよ、子どもの間にスマホやタブレットが普及した時代と重なることは記しておきたい。



 似たようなことだと、子どもの視力の低下も著しい。小学生で視力1.0未満の子は、1986年には19.1%だったが、2022年には37.88%にまで上がっているのだ(「学校保健統計調査」)。眼鏡をかけている子どもが確かに町中でも増えている。これもまたデジタル機器の影響を疑わずにはいられない。



 先生(東海、30代女性)はこう話す。


「クラスでボール投げをやらせると、男子でも8割くらいの子が“女の子投げ”をするのが普通です。投げる時に飛び跳ねるとか、なぜか真横に投げることもあります。あとは、右腕と右足を同時に前に出して投げようとして倒れ込む子もいますね」


 女の子投げとは、肩の筋力が弱かったり、ステップを踏んで反動をつけることができなかったりして、砲丸投げのような投球フォームになることである。運動能力が均一に育っていないと、そのような投げ方になり、飛距離が出ないのだ。


運動能力の低下が叫ばれるのに「最高記録」だけは伸びているのはなぜ…? 子どものたちの運動能力の「二極化」が進んだ理由〉へ続く


(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))


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右も左も馬鹿と下種ばかり

不確かな推測でしかないが、文中のM氏が「共産党党首公選論」みたいな本を出したあの人物なら、ここで書かれている組織は日本共産党かと思われる。つまり、紙屋高雪氏は日本共産党から追放されたのだろうか。
その推測が正しいとしたら、日本共産党は、幹部に頭脳が化石化した老廃物しかいない政党になっている、と思うしかない。自浄能力の無さで、自民党と双璧である。
なお、所属議員の誠実さ、真面目さという点では私はれいわ新選組と日本共産党を双璧だと思って高く評価しているのである。

松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』
日本共産党は党首公選をやってはどうかということが話題になっ


(以下引用)


 それでも近いうちに実家に帰ってちゃんと説明しようとは思ったが、その前に手紙を書いて出した。


 その手紙の中でぼくは経過を次のように書いた。


 去年の2月に、「組織内選挙でトップを選ぶべきだ」と主張する本を出したMさんが、組織トップの逆鱗に触れ、組織を追放されました。


 その直後に私は「Mさんの追放のやり方はおかしい」と組織の会議で意見を述べたために、同じく組織幹部の怒りを買い、「紙屋はルール違反をした」とありもしない罪を着せられ、「お前はMの仲間だろう」「Mと連絡を取ったのか」「本心ではMをどう思っているのか」などと厳しい尋問を受け、「反省文を書け」「謝れ」となんども迫られました。


 私は頑として拒否しました。まったく身に覚えがないからです。


 組織幹部は私を有罪にする証拠がなにも無いので困り果ててしまい、私のアラを探すためになんと1年半もかけて「調査」をしました。私が組織内で知り合った若い人たち数名と温泉に遊びに言ったことまで調べ上げて、その若い人たちを呼び出して「紙屋と温泉に行っただろう。何を話し合ったか洗いざらい言え」というひどいプライバシー侵害までやる有様でした。


 もちろん何も出てきません。1年半かけて「証拠」が全く出てこないのです。当然です。「ルール違反」になるようなことは、何もしていないのですから。そこで私を事あるごとにいじめて追い出そうとしました(いわゆるパワハラです)。


 しかし、それでも私が屈せず、まじめに仕事をしていたため、とうとうろくな証拠がないままに組織幹部は私を追放・解雇することにしたのです。


 私にはすでに応援してくれる人や弁護士の方々がついており、まだわかりませんが、おそらく裁判になると思います。組織の内外で私の追放を「おかしい」という人が、たくさんいるのです。 


 組織幹部の不正をきちんとただし、まだまだ世の中にとって意義が大きいこの組織を、私はしっかりメンテナンスしたいと思っています。


 以上の話は、誰にしていただいても差し支えありません。


 私が組織幹部の不正を見逃さず、長いものに巻かれないで信念をつらぬいた結果ですので、誰にも恥じるところはありません。むしろ誇りに思ってください。


 話が後になって本当に申し訳なかったのですが、心配をかけまいと思ってのことですので、どうぞご勘弁ください。





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夏の終わりのト短調

「孤独のクラシック」というブログから転載。
なぜこのブログを転載するかというと、私が二十代くらいの頃に読んだ大島弓子作品に「夏の終わりのト短調」という題名の作品があり、未だに、それが誰の何という題名の曲を示しているのか気になり続けているからである。そこで、おそらく、モーツアルトだろう、という当て推量で検索して、このブログに出会った次第だ。
大島弓子のこの漫画自体、どういう主題だったのか、よく分からない。何か、自己欺瞞的人生を送っている有閑マダムが、自分の人生の欺瞞性を知って破滅するような印象だったが、彼女の家が火災に遭って、その焼け跡で壁にもたれて地面に座り込んだ彼女が何かを指さしているシーンだけが明瞭に印象に残っている。あるいは、まったく別の作品の記憶かもしれない。
まあ、今が夏の終わりだから、この漫画を思い出しただけだ。

一応、ウィキペディアで調べたが、さほど思い違いでもないようだ。ちなみに、蔦子は、袂に「蔦子は理想的な主婦である」と、その父親(蔦子がかつて思慕した相手)に報告させたかったわけだ。
記憶喪失になった蔦子が指さした空間に見えていたのは、「何か遠くにある存在」であり、「存在しなかった存在」、つまり、袂の父親となった男性と自分が結ばれていた理想の姿だろう。
ひとつの漫画作品を理解(誤解か?)するのに、いったい何十年かかったやら。まあ、優れた漫画はそれだけの価値がある。それも「夏の終わりのト短調」という言葉が私の頭の隅に謎となって残っていたからだ。つまり、「夏の終わり」の情緒が私にこういう思考放浪をさせたわけだ。

あらすじ

[編集]

高校3年の夏休み、袂は両親の3年間のアメリカ出張のため、母親の妹である蔦子の家に預けられることになった。袂は蔦子の聡明さや、彼女の家族が住む古い洋館に憧れていたが、いざ同居してみると、蔦子が完璧な家庭の完璧な主婦役を務めようと必死になっていること、長男の力が表面上はききわけのいい息子を演じつつ夜中に家を抜け出して麻薬パーティーに参加していること、蔦子の夫が他の女性と関係を持っていることなどを知る。


やがて蔦子は袂の行動をすべて監視するようになり、その息苦しさに耐えられなくなった袂が自宅に帰ると、絶望した蔦子は自宅に火をつけ、洋館は全焼する。


夫と息子によって助け出された蔦子だったがすべての記憶を失ってしまう。古いアルバムを見ていた袂は、若い日の蔦子が自分の父に想いを寄せていたことを知るのだった。



(以下引用)

モーツァルト交響曲 第40番 ト短調 K.550  

W.A.Mozart : Symphony no.40 in G minor, K.550


演奏:ルネ・ヤーコプス(指揮)フライブルクバロックオーケストラ


Freiburger Barockorchester & Rene Jacobs

第1楽章 モルトアレグロ


ヴィオラの1小節半の序奏のあとに、有名な、哀切極まりないテーマが奏でられます。いったいこのテーマは何を表現しているのか? 何度聴いても、聴けば聴くほど分からなくなります。ただ、情緒的な思いをできる限り排除して聴くと、アラビアンナイトの世界のような、妖しいエキゾチックな香りを感じるのです。当時流行っていたトルコ趣味を盛り込んでいるのでしょうか。そして、テーマは闇の中にふと現れた、わずかな希望の光に向かって疾走していくのです。そして感動の渦になる展開部。目まぐるしい転調の中で、メインテーマが、これまで担っていたヴァイオリンを離れ、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに移っていくさまは、人の魂を揺さぶってやみません。


もしも自分に指揮者が出来るとしたら、振ってみたいという曲はたくさんあるのですが、この曲は全く表現できる気がしません。

第2楽章 アンダンテ


どこまでも穏やかなテーマが、最初はヴィオラ、そして第2ヴァイオリン、第3ヴァイオリンと1小節ずつずれてカノンのように奏でられます。その抒情は、ため息のようで、心身ともに疲れ切ったときに聴くと、心の底から癒されます。そのテーマには、3曲セットの最後の作品〝ジュピター〟のフィナーレの、有名な〝ジュピター音型〟が隠されているのです。管楽器の呼び交わす声は、この世の憂さを忘れるため、深い眠りの世界にいざなってくれるかのようです。そこは、楽しい夢も、悪夢もない、無の世界なのです。

第3楽章 メヌエット:アレグレット


シンコペーション・リズムが鋭く刺す、ナイフのようなメヌエットです。宮廷舞踊とは程遠いですが、目に涙をたたえた貴婦人が踊るかのよう、という形容もあります。トリオは管と弦との対話がほのぼのとした明るさを示して、心癒してくれます。

第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ


若き放浪時代の小林秀雄の頭に突然鳴ったテーマです。これも踊りのようなテーマですが、ピアノとフォルテの対比が、コンチェルト・グロッソのソーリとトゥッティのように、目まぐるしく交代しながら展開していきます。ひとしきりの疾走が終わると、どこまでも優しい第2テーマが弦によって奏でられ、やがて管に受け継がれていきます。胸がいっぱいになるくだりです。展開部に入ると、驚くべき転調の連鎖が悪魔的に続きます。ハ短調ト短調ニ短調イ短調ホ短調ロ短調嬰ヘ短調嬰ハ短調嬰ト短調と、5度ずつ上へと転調し、今度は逆に5度ずつ下へと降りていきます。あまりにも高度で複雑な音楽の遊び。モーツァルトが、いたずらっぽい笑みを浮かべながら書いているさまが思い浮かびます。それは神の悪戯か、悪魔の仕業か。いずれにしても、聴く者は大きな渦潮に巻き込まれた船のように、否応なく引き込まれてしまうのです。


 




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これが「代議制民主主義」政治の果実www

スケールは笑いたくなるほど小さいが、本質そのものはまさにポル・ポト的恐怖政治である。


(以下引用)

 【速報】兵庫県知事「告発職員を調査結果待たずに処分できないか」 人事当局に検討指示していたことが発覚

 


1: 名無しさん@涙目です。(みかか) (4級) [ニダ] 2024/08/25(日) 05:59:55.79 ID:BR+6kbpP0● BE:156193805-PLT(16500)


3: 名無しさん@涙目です。(庭) [IN] 2024/08/25(日) 06:03:03.11 ID:3phGUzCt0
人の上に立っちゃダメな人だ

6: 名無しさん@涙目です。(東京都) [KR] 2024/08/25(日) 06:07:39.41 ID:NSWmjORj0
弁護士の判断は妥当だったのかな?

12: 名無しさん@涙目です。(愛知県) [US] 2024/08/25(日) 06:19:05.48 ID:kcJ1HobV0
風向き変わるどころか暴風になったな


7: 名無しさん@涙目です。(東京都) [KR] 2024/08/25(日) 06:08:14.83 ID:NSWmjORj0
弁護士を喚問することになるのかな?

8: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [ニダ] 2024/08/25(日) 06:16:55.39 ID:h84RwZRE0
控え目に言ってクズだな

11: 警備員[Lv.51][N武][N防](東京都) [ニダ] 2024/08/25(日) 06:18:18.35 ID:2ZL00F6+0
控えなくても激しく屑だぞ

13: 名無しさん@涙目です。(東京都) [PL] 2024/08/25(日) 06:19:06.56 ID:9aC+bB0C0
>「『懲戒処分をすれば、(自身に対する批判の)風向きが変わるのでは』と知事が言っていると聞いた」などと話したという。

本当にクズだな

14: 警備員[Lv.7][芽](大阪府) [RU] 2024/08/25(日) 06:21:15.42 ID:qHhR9lIg0
だんだん無表情になってきてないか?コイツ
怖い…

18: 名無しさん@涙目です。(京都府) [JP] 2024/08/25(日) 06:23:35.72 ID:6V+Etrmh0
直接選挙ってこういう怖い一面がある

21: 名無しさん@涙目です。(日本のどこか) [ニダ] 2024/08/25(日) 06:30:21.78 ID:pEomOgRx0
どうやって知事になったんだよコイツ

55: 警備員[Lv.31][苗](庭) [ニダ] 2024/08/25(日) 07:50:46.74 ID:8CKgrWeO0
>>21
維新ブームでみんな思考停止してたんだろうな

26: 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2024/08/25(日) 06:36:55.10 ID:U3vjnEgo0
ネタに事欠かねーな

29: 名無しさん@涙目です。(茸) [CN] 2024/08/25(日) 06:44:13.82 ID:8RHBKF0K0
これはアウト

71: 名無しさん@涙目です。(茸) [CN] 2024/08/25(日) 08:55:06.91 ID:C7ezAD9/0
>>29
だよなあ

34: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [TR] 2024/08/25(日) 07:01:57.49 ID:CnCuWzuG0
人2人死んでます

37: 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2024/08/25(日) 07:21:13.23 ID:UadRW5Ql0
日本人が持つ負の部分を凝縮して具現化した様な野朗だな

38: 名無しさん@涙目です。(茸) [KR] 2024/08/25(日) 07:21:41.41 ID:O+C8tBTa0
当選したときは爽やかな印象だったんだけどな

47: 名無しさん@涙目です。(神奈川県) [ZA] 2024/08/25(日) 07:39:03.76 ID:m1+XQKW80
これでも逮捕にいけんのか

52: 名無しさん@涙目です。(北海道) [JP] 2024/08/25(日) 07:45:20.77 ID:yAz9Vskj0
公務員は不正が分かった場合告発する義務があるのにな

61: 名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ] 2024/08/25(日) 07:59:51.79 ID:IofaNcp90
どこまでクズなんだよw
人間ここまで腐れるんだな

69: 名無しさん@涙目です。(神奈川県) [US] 2024/08/25(日) 08:49:44.81 ID:rnSU8xiH0
パワハラ被害者を守る気もなくコウモリしてる連中もかなりの問題では…

64: 名無しさん@涙目です。(大阪府) [CN] 2024/08/25(日) 08:21:36.61 ID:aV7UEjEm0
クズすぎて笑えないレベル
警察案件じゃないのこれ

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グローバリストとコスモポリタン

「神戸だいすき」記事の一節だが、この文章の主旨は好ましいが、疑念も多い。まあ、昔の記憶で書いているのだろうから、ケチをつけるのは野暮かもしれないが、誤った知識が拡散されるのも懸念される。

1:プラトンの時代は「都市国家(ポリス)」の時代で、はたして「国際人」という概念があったかどうか。
2:「コスモポリタン」は英語だが、それを「国際人」と訳すのは適切か。(英和辞書ではそれを第一義としているようだが)現代のネット市民の持つ「国際人」のイメージはむしろ「グローバリスト」で、それこそDS(ユダ金)のような「どこの国の人間かわからない根無し草」ではないか。
3:仮にコスモポリタンを日本語訳するなら、「世界市民(世界主義)」という訳のほうが、「政治に責任を持つ市民」のニュアンスを出せるのではないか。「世界市民」なら、「世界共同体の中で、あちこちに『市(国家)』があって、自治されている」ニュアンスになりそうな気がする。「市民」は、確かフランス革命でそれこそ市民権を得た言葉だと思う。「シトワイヤン」だったか。つまり、政治から無視され、単なる搾取対象だった下級国民が「政治への発言権(参加権)」を持った、そういう意味が「市民」という言葉にはこめられていると思う。なお、プラトンの時代のアテネなどでは奴隷以外の「市民」は政治に参加する義務と責任、あるいは権利があったと記憶している。つまり、民主主義はそこで早くも発祥しているようだ。
4:なお、「コスモポリタン」には「世界主義者」という訳もあり、しばしば冷笑的に使われるとも英和辞書にある。つまり、国家主義者の敵、という感じか。私のように中国やロシアに好意的な人間は、「世界主義者」かもしれない。欧米国家は、そういう意味では世界主義ではない。欧米国家の主張するグローバリズムの正体は、欧米(ユダヤ)による世界支配であり、そこに人類全体の幸福は考慮されていない。人類の大半はむしろ家畜扱いになるだろう。
5:つまり、私の考えでは「国家主義」「グローバリズム」「コスモポリタン」は対立関係にあり、その中の後二者の区別がつけにくいわけだ。まあ、これは「コスモポリタン」を私が勝手に定義しているとも言えるが、重要な概念だと思う。なお、「コスモポリタニズム」という言葉は英和辞書に載っていないので、「コスモポリタン」で代用する。

ちなみに、policeは警察で、「都市国家」は polisである。

(以下引用)


昔々、英語のreaderで、読んだ文章に「コスモポリタン」とは何かというのがあった。

プラトン曰く

コスモポリタン(国際人)とは、どこの国の人間かわからない根無し草のことを言うのではない。
真の愛国者こそ国際人だ・・・というのがあった。

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いじめ被害者は転校するか不登校が一番

非常に残酷な真実を言ってしまえば、「死んだほうが負け」である。加害者側のほうが数が多いのだから、彼らが共謀したら「事実」など簡単に作れる。学校側も多数者の味方をするしかない。学校内の出来事に警察は動かない。自殺したら、それで話は終わりになる。裁判でも「事実」の認定はほぼ不可能だろう。
学校など、ロクな知識も教えないというか、自分でも勉強できる内容なのだから、不登校でいいではないか。ムダなカネも使わずに済む。学校に行くカネで参考書とパソコンを買い、すべて自分で調べればいい。偉大な学者にだってなれる。何としても高校大学へ行かねばという誤った認識を持つからこういう悲劇が後を絶たないのである。

(以下引用)





       
       
       
       
       
       
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1: ななしさん@発達中 ID:sfpY
中1いじめ自●、同級生を提訴 損害賠償を求め両親、石川
石川県野々市市でいじめを訴えていた同市立中学1年の女子生徒が2021年2月に自殺した問題で、生徒の両親がいじめをしたとされる同級生8人のうち1人に165万円の損害賠償を求めて金沢地裁に提訴したことが18日、分かった。16日付。

訴状によると、いじめを行ったとされる生徒が女子生徒からいじめられていると学校に虚偽の申告を行い、クラスで孤立するきっかけを作ったこと、クラスのLINEグループや学校内で仲間はずれにしたことなどが自殺の原因になったとしている。

 女子生徒の両親は生徒8人と教員1人に損害賠償を求める民事調停を申し立てた。今回提訴した生徒とは調停不成立に終わっていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c11bec9383f0f67f324bde976796ffb7f87534a8
4: ななしさん@発達中 ID:ZQxK
頭脳派
7: ななしさん@発達中 ID:hbkV
割と芯を食った嫌がらせ
19: ななしさん@発達中 ID:ZQBt
自分は手を汚さないスタイル
9: ななしさん@発達中 ID:vqGy
女子の部活とか雰囲気ヤバそうやな
11: ななしさん@発達中 ID:sfpY
これからのイジメはターゲットを「加害者」にする流れが来るんだろうな
23: ななしさん@発達中 ID:qr9Z
まぁイジメが問題視されるといじめっ子はイジメ方を変えるだけよな
そういう器量があるからいじめっ子になれる
24: ななしさん@発達中 ID:ERno
もはや人狼ゲームやんけ
32: ななしさん@発達中 ID:jmAr
子供って結構残酷だよな
39: ななしさん@発達中 ID:TUxM
弱いもの達が夕暮れさらに弱いものを叩くんや
44: ななしさん@発達中 ID:zvSe
いじめって情報戦やなあ...
25: ななしさん@発達中 ID:4YdA
イジメ受けたらまず警察

これを常識にするしかない
27: ななしさん@発達中 ID:4rGS
>>25
これやな
コトをデカくしないと何も変わらん






【恐怖】中1女子、いじめられっ子を『加害者』に仕立て上げ自殺に追い込む

嘘ついている子の矛盾や齟齬をついて「違うよね?」と確認して退けても、その保護者が「うちの子が嘘ついているって決めつけたのはなぜですか!」とかクレームしてくる
親が嘘を見抜けない間抜けなので大人を騙すのは簡単だし、ばれても親がかばってくれると思ってなめ腐った態度の人間になっていくんだろうな



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東海アマ氏の「辺境過疎地住民=防人」説

東海アマ氏の「過疎地住民=防人」説について、氏は防人というのが古代政府によって徴兵され、大きな犠牲を強いられた存在だということを知って「防人」という言葉を使っているのか疑問に思ったので、先に関連記事を引用しておく。そして、氏の最新記事の一部(藤井総の記事を含む)を「引用2」として転載する。

要するに、古代の防人も、東海アマ氏の「防人として過疎地に住み続けろ」というのも、国民一般、あるいは下層国民だけに犠牲を強いるものだ、ということだ。防人が必要なら、過疎地住民に「防人」を任命し、給与を与えるべきである。それなら、その道を選ぶ現地住民も出るだろうし、私も大いに賛成する。
辺境の過疎地住民に不便と危険な生活を耐え忍べ、というのと、より住みやすいところに転居する費用を国が出すのと、どちらが人道的か。
国を守りたければ、自分が防人に応募すればいい。もちろん、そのまま「ふるさと」に住みたい人はそうすればいい。とにかく、他者の犠牲で国を守るという点で、私は東海アマ氏の言うような「防人」論を否定する。防人が必要なら、日本の海岸線全体に給与支弁の「防人」基地を、交番のように置けばいい。暇な老人の有効活用になるだろう。
とにかく、巨大災害被災地が過疎地の場合、「復興」と「移住」のふたつの選択肢で、財務省が「復興するのは対費用効果が悪すぎる」と言うのは当たり前の話で、問題は、「移住」の費用すら出さないことなのである。
本当は、財務省側に立った、もっと冷酷な言葉も書きたいのだが、自制しておく。私は藤井総などの言葉は、きれい事を並べただけにしか聞こえない。もちろん、今の軍拡をやめれば、復興費用など即座に出るだろう。だが、財務省としても、米国の命令で、軍拡費用を最優先させなければならないのである。そうしないと社会的に抹殺されるか、実際に殺されるだろう。それを知っていて好き放題のことを言っていられるのは幸せな人種だ。


(引用1)ふりがなが変な形(1字ごとに本文に挟まる形)になっているので、最初は訂正したが、あまりに多いので残りはそのまま放置した。

1 防人の制度

防 人 とは、九州沿岸の防備にあたった兵士のことである。646(大  化 2)の改 かい 新 しん の 詔 みことのり に設 置の記載がみえるが、663年の白 はく 村 そん 江 こう の戦 たたか いに敗れたことにより、九州北部の防衛強化が必要と なり、本格的に整備されたと考えられている。701(大 たい 宝 ほう 元)年に制定された大 たい 宝 ほう 律 りつ 令 りょう により、 防人は律令制度に組み込まれる。防人の勤務期間は3年であり、在任中は課 か 役 やく を免除され、勤務 終了後には国内の軍団への勤務が3年間免除された。  しかし、3年間での勤務の交替は規定通りには行われず、帰 き 郷 きょう しない防人も多かったといわ れる。また、特に規定はないが主に東国の兵士がその任にあたり、東国の軍団から徴 ちょう 発 はつ された 防人は国司(部 ことりづかい 領使といわれた)に統率され難 なに 波 わ まで自 じ 弁 べん で赴 おもむ き、難波で各国の防人と集結して 筑 ちくし(つくし) 紫 に派遣された。防人の制度は、武器などが自弁である負担や、家庭の有力な労働力が奪 われる反発などから、757(天 てん 平 ぴょう 宝 ほう 字 じ 元)年には東国からの徴発は廃止された。その後、たびた び制度の改廃が繰り返されたが、防人の制度は実施が困難になり、次第に有名無実化していった。


(引用2)

  2024.08.14「過疎地の復興はムダ」「移住を考えよ」…財務省財政審が能登半島地震の被災者に言い放つ「許しがたい棄民思想」藤井 聡
 https://gendai.media/articles/-/135433

 「被災地の多くが人口減少局面にある」から!?
今日は、南海トラフ地震の「注意」情報についてさらに書こうと思っていたのですが、目を疑うようなトンデモナイニュースが飛び込んできました。

「能登の復旧・復興『コスト念頭』 財務省、被災地は人口減」
――財務省は9日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、能登半島地震の被災地の復旧・復興は「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と訴えた。
 「被災地の多くが人口減少局面にある」ことを理由に挙げ「過去の災害の事例も教訓に集約的なまちづくり」を提言した。復興が本格化する中、無駄な財政支出は避けたいとの立場を明確にした。――

 要するに財務省の財政審議会は、「過疎地の復興は無駄」だと断じ、
 「そんな過疎地に住んでいた人間は移住しろ」
 と言っているわけです。
 これはまさに棄民思想。「政府であるにも関わらず民を捨て去り、見殺しにする」思想そのもの。「政府は遂にここまで腐ったか」と思わざるを得ぬ暴言です。国民は「自衛」のためにもこんなあからさまな棄民思想を顕わにする政府を絶対に許してはなりません。

 見殺しの思想そのもの
 この政府の棄民思想は、この審議会の増田寛也会長代理の次の言葉にも明確に表れています。
 「家の片付けが進んでない地域に、将来の議論をしようと言っても難しい」
 あまりにも酷すぎるもの言いです。

 家の片付けすら済んでいない方々だからこそ、「大丈夫、なんとかしますから安心して下さい。オカネの心配なんて何もしなくても大丈夫です」という態度を国家は取る必要があるのです。つまり、必ず街を復旧、復興させまるという「将来の議論」を通してはじめて、被災地の方々に希望が生まれるのです。

 つまり増田氏は「家の片付けも済んでないから未来の議論はできない」と言うわけですが、それとは逆に「未来の議論があるからこそ家の片付けをしようと思うようになる」のです。誠に以て許し難い話です。

 それにも関わらず、家の片付けも済んでいない被災者の方々に「もうオカネがないから復旧・復興なんて難しいですよ。移住考えてくださいよね」なぞと、政府が公式に言ってのけるなど、見殺しの思想そのものです。

棄民思想が文字通り蔓延ってしまっている
 こうした政府による「棄民思想」的態度に対して徹底批判すべく、まさに今週、元国交省技監の大石久和氏と出版したのが書籍『日本人は国土でできている』です。

 本書では過疎地における「棄民」や将来の災害における想定被災地における「棄民」など、様々な棄民思想批判を展開しましたが、その中でも特に強く非難したのがまさに、能登半島地震の被災者に対する棄民的態度です。

 実際、大石氏は次のように本書の中で語っています。
 「大石 能登半島地震ではもう一つ、非常に憤りを感じたことがあります。それは新潟県知事を務めた米山隆一さんがX(エックス)で、こう投稿したのですね。

 『非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います』(二〇二四年一月八日)と。

 この人は、本当に過疎地を多く抱えている新潟県の知事をやっていたのだろうかと思うぐらい、ひどい発言だと感じました。
 われわれは何をするにしても、誰一人として日本人を失うことがあってはなりません。それと同じで、寸土といえども毀損させていい地域があるはずはないのです。

 われわれは、いただいた日本の国土をそのまま次の世代に引き継いでいく責任があります。そこに人が住んでいなければ、国土は荒れていくしかないわけです」(『日本人は国土でできている』第六章『棄民思想がはびこっている』p.154)。

本当に酷い話ですが、恐るべきことに、この言語道断の米山発言は、SNS上でさして批判されることも炎上することもなく、世間からほぼスルーされたのでした。

 つまり、この令和日本には、棄民思想が文字通り蔓延ってしまっているのです。そして今回の財務省の財政審の「過疎地の復興は無駄。そんな過疎地に住んでた人間は移住しろ」と言わんばかりの提言は、この空気を捕まえて出されたものなのです(無論、財務省は「そんな事言ってない!」「移住も選択肢の一つだと言ったに過ぎない」なぞと言うでしょうが、復興のための事業費を所管する財政当局が、被災者にそんな選択肢を提示するだけでもはや言外に「移住しろ」と言っているに等しいものです)。

補正予算が1円も組まれない
しかし、一昔前の平成日本では、そういう空気は必ずしも支配的ではなかったのです。『日本人は国土でできている』(p.155)の以下の一節をご覧下さい。

 「藤井 東日本大震災のときも、実はそういう声を政府近辺で聞きました。主に経済官僚や財務官僚からそういう声が出ていました。霞が関、永田町ではずっと囁かれていた発言なのです。東日本大震災のとき、まったく米山さんと同じものの言い方が暴露されたニュースがありました。

 経産省の役人が自身のブログに『復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに』『もともと滅んでいた過疎地』『じじぃとばばぁが既得権益の漁業権を貪る』等と暴言を書き込んでいたのです。
 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/26/news085.html
 https://www.j-cast.com/2013/09/26184654.html?p=all
 https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/25/kanryo-tokumei-blog_n_3992634.html

 これが発覚してこの役人は懲戒処分を受けていますが、この事案は単なる氷山の一角であって、多かれ少なかれこうしたメンタリティは霞ヶ関、永田町では潜在的に共有されてしまっていたのが当時の実態だったのです。」

 つまり、一昔前の平成日本では、こういう棄民思想発言は、炎上し、大問題となり、懲戒免職を受けるに至ったのです。そして当時の財務省の財政審は決して、今回の財政審の提言のようなものは決して提言されはしなかったのです。

 ところが、今やもう、そういう財務省的な棄民提言が正式に公表されても、さして炎上しないくらいにまで、棄民思想が世間一般に蔓延してしまっているのです。
 事実、これだけの大震災なのに補正予算が1円も組まれないという異常事態に陥っているのです。

政府によって「見殺し」にされてしまう
このままでは、本当に能登の人達は政府によって「見殺し」にされてしまうことになります。
 そしてそんな事態を放置すれば、今まさに起こるリスクが高まっている南海トラフ地震が起こった時に何百万人、何千万人と産み出されてしまう被災者達も全く同じ様に政府に見殺しにされることになるでしょう。

そんな日本で、本当にいいのでしょうか?
私は絶対にそういう日本を拒否したいと思います。
そしてそう思う方は当方や大石先生だけでは決してないでしょう。

 日本がそんな畜生以下の下劣な棄民思想に支配された国家に堕落してしまうことを避けるためにも、心ある国民の皆さんには是非、今回の財政審の提言に対して徹底的にご批判頂きたいと、考えています。

それは被災者の方々を救い出すためだけでなく、災害大国日本の将来の国民を、そして何より自分自身と自身の子供達を守るために今、強く求められている姿勢なのです。

追伸 ここで紹介した『日本人は国土でできている』(大石久和・藤井聡著)にご関心の方は、下記をご参照ください。

amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4819114387
http://www.sankeibooks.co.jp/m2_books/2024/9784819114387.html
************************************************************
 引用以上

 このブログで、何回も「米山隆一批判」を掲示してきた。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6114659.html
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6112908.html

 被災地の「復興より移住を」 ネットで物議 米山隆一氏の真意は? 2024/1/26
  https://mainichi.jp/articles/20240126/k00/00m/040/382000c

 【「人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだ」】

 米山氏は、魚沼・小千谷・長岡圏の人で、私の母のルーツでもあるので親近感を抱いていたのだが、上の発言に愕然として、抗議の意味で、米山事務所に以下のメールを送った。

 米山さんが発した【「人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだ」】について異議があります

 これは住民に、「生まれた土地を捨ててしまえ」と迫る乱暴な意見です。
 そもそも日本の過疎地帯は、自民党と新自由主義によって金儲け優先の目的で意図的に作り出された結果であって、住民の意思ではなかったのです。
 みんな故郷を離れたくなかったが、仕事がない、農業が低迷しているなどの理由で都会でしか生きられなくなりました。

 地方は、「金にならないことは捨てる」という「資本の論理」 「新自由主義の論理」によって、公共交通や医療機関などの生活インフラが廃止され、住民は生きて行くためにやむなく都会に仕事を求めるしかなかったのでです。

 もし自民党が大企業の金儲けを優先させるため、地方の農業を軽視・無視していなかったなら、地方はこれほどの過疎に苦しむことはなかった。
 自民党は、海外の一次産品を大規模に輸入することと引き換えに、工業製品を輸出することで大企業を儲けさせる政策を行ったのでした。円高により、多くの工場まで外国に移転してしまいました。
 この自民党の大企業優遇政策の結果、全国の農村、とりわけ能登のような地方は過疎に追い込まれたのです

 地方に、まんべんなく人が住んでいるということには国家の基盤として重要な意味があることを米山氏は理解していないように思えます。
 過疎地方は、いわば「防人さん」なのです。過疎地方に水源があり、河川と森林がある。これを監視し、崩壊を通報することで、下流の大都市の安全が守られています。

 そのために、住民がいなければならない。その住民を意識して守らなければならない。地方を廃村にしてしまうことは、大都会を危機に晒すものです。
 さらに、地方の本当の役割は、大都市が大震災や戦争で機能不全に陥ったときの逃げ場所でもあります。食料の生産供給地であり、水資源の補給地でもあるのです。

 米山さんの言うとおりに、金にならない地方を無人地帯にしてしまえば、いざ阪神大震災や東日本震災が再来したとき、インフラの崩壊した都市住民は、どこに逃げたら良いのですか?
 どこから清冽な飲料水が得られるのですか? 誰が食料を生産してくれるのですか? みんな地方ではないですか。

 日本国というのは大都市だけでなく過疎地方も含めた全体の有機的結合によって成立している本質が、なぜ米山さんに理解できないのでしょう?
 大都市を本当の意味で支えているのは地方だと理解できませんか?
 衣食住だけではない。みんな自然豊かな地方の存在に癒やされて、大都会での生活を送ることができています。

 地方は、大都市住民の安全を保証するクッションであることをなぜ知ろうとしないのか? なぜ大都市生活のことしか分かろうとしないのか?
 米山隆一さんの地方廃絶説には、とうてい賛同できません。
 ちなみに私は熊の徘徊する過疎の田舎に生きていて、ここから動きたくはありません。

地方の住民を大切にできない政府に未来は存在しない!
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 引用以上

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HN:
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職業:
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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