「罪と罰」の問題についての真剣な考察を社会に促す記事である。
私は、殺人という罪に対する適正な罰は死刑しかない、という考えだが、もちろんそこには事故に近いような過失致死や冤罪の問題もある。冤罪が確定するまで無期懲役というのが現実的だろう。これは「犯罪者から社会を守る」措置である。しかし「罪の許し」に関しては、原則として「罪を許す」ことは遺族には不可能だ、という考えである。
被害者にしか罪を「許す」権利は無い。これはあらゆる罪と罰の原則だ。しかし、殺人では許す主体が既にこの世に存在しないのである。いかに映画やテレビドラマで遺族が犯行者を許す場面が感動的に描かれても、私はそれを遺族の「越権行為」だと思っている。それを逆に言えば、既に刑が確定し、刑を完了した犯罪者に対し、遺族(殺人以外の事件での被害者も含む)がそれ以上責める権利も無い、ということに論理的にはなるだろう。
ただ、問題として、刑期を終えた殺人者が下の記事のように社会の匿名性(偽名の使用や名前の変更)の中に隠れた場合、はたして社会の成員は安心して暮らせるのか、ということだが、まあ、世の中には犯罪を実行していなくても、その内面では犯罪者すれすれの人間も膨大にいるだろうし、刑期修了者を特別に考える必要もないのかもしれない。しかし、あなたが親しくしている人間が実は過去に人殺しをしていた、というのはなかなか不気味である。
ついでに言えば、私は刑罰によって犯罪者が厚生する、ということもほとんど信じていない。人間性が刑罰によって変わるはずはない。中には刑務所暮らしで刑務所仲間から「教育」されてより悪質になる者も多いだろう。
(以下引用)
神戸連続児童殺傷 元少年A、改名して生活か 「匿名の森」に消える
神戸連続児童殺傷事件で逮捕された少年Aの両親と、殺害された山下彩花ちゃんの遺族が面会した部屋=神戸市内(撮影・鈴木雅之)
■「印税1000万円遺族に」と打診 姓名ともに、それまで見たことがなかった。2016年3月。神戸市内に事務所を構えるベテラン弁護士の元に、書面が届いた。1997年に小学生計5人が殺傷された神戸連続児童殺傷事件で逮捕された「元少年A」。その元少年Aが書いた手記「絶歌」で得た印税1千万円について、手紙には被害者への損害賠償として送らせてほしいと書いてあった。 【写真】神戸連続児童殺傷事件で逮捕された元少年が一時暮らしたと報じられた街 申し出た当事者の名前に驚いた。弁護士は発生直後から事件に関わったが、その名字は父方、母方のどちらでもなく、姓名に元の名前の漢字が1字も使われていなかった。少年Aである可能性が高いその人物。名前の上では、全くの別人になっていることになる。 少年法61条は、加害少年の氏名や顔写真などを出版物に掲載する「推知報道(身元を特定する報道)」を禁じている。未成熟な少年に非行(犯罪)行為のレッテルを貼れば、将来の立ち直りを妨げてしまうという考えからだ。 だが、1日に施行された改正少年法は、新たに18、19歳を「特定少年」と位置づけ、起訴されれば実名報道も可能にした。 神戸連続児童殺傷事件で14歳の時に逮捕された少年は事件直後、写真週刊誌に顔写真が掲載され、回収騒ぎになった。32歳で「絶歌」を出版した際は、著者名は「元少年A」と実名を伏せた。手記の冒頭で逮捕を振り返り、「僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な『記号』になった」と書いた。 ところが、インターネット上で当時の本名が検索できる現実がある。しかも、うそやデマ、信ぴょう性に乏しい情報も入り交じる。 当事者の「名前」は事件を伝え、検証にもつながる基本的情報だが、今回の法改正で、「実名・匿名」論争はより複雑になった。 医療少年院を出た元少年は、被害児童2人の遺族に毎年謝罪の手紙を送っていた。「絶歌」の出版以降は遺族が受け取りを拒否したが、関係者によると、手紙は事件当時の名前で書かれていたという。 昨年11月、元少年が一時期生活していたという東京都内の街を訪ねた。一部週刊誌が居場所を突き止めたとして、目線を入れた写真を付けて報じていた。彼の名前を出さずに住民に聞き込んでも、消息を知る人はいなかった。 元少年は「匿名の森」に消えた。彼の両親でさえ、現在暮らす場所は知らないという。 ■「会ってもいい」遺族の思い暗転、手記「絶歌」出版で 窓はなく、机があるだけの部屋だ。弁護士事務所の一室で、神戸連続児童殺傷事件で逮捕された少年Aの両親と、被害者遺族の一方が直接対話を重ねていたことはあまり知られていない。 1997年3月に殺害された山下彩花ちゃん=当時(10)=の両親は、少年Aの両親と何度もここで向き合った。同席した羽柴修弁護士(73)によると、毎回2時間程度は話していた。 医療少年院を出所した少年Aは、働いて得た報酬から毎月1万円を被害者への賠償金として送り、年に一度遺族に謝罪の手紙を書いていたという。 彩花ちゃんの母で、2017年に病気のため亡くなった京子さん(享年61歳)は、対話の席で「年1回の手紙はイベントではない。(謝罪の)思いがあるのだったら、もっと頻繁に何かがあってもいい」と訴えた。 しかし、親の返事は芳しくなかった。「どんな手を使ってでも親だったら(少年Aに)会いにいくでしょう。私だったらそうします」。京子さんは強い口調で迫るときもあったという。 羽柴さんは少年Aの立ち直りを支援していた精神科医に手紙を書き、面談を整えようともした。だが医師は丁寧な言葉遣いながら、慎重な姿勢を示したという。 ◆◆ ただ、事件から15年以上が経過した、14年と15年に受け取った手紙への京子さんの反応は違った。「(少年Aと)会ってもいいかな」と話したという。手紙が入った封筒が、それまでとは全く違って分厚くなっていた。 羽柴さんは、それでも元少年への疑念を払しょくできていなかったはずだと推察する。心が引き裂かれそうになりながら、娘が殺害された理由を本人の口から聞くという強い使命感から面会を示唆したのではないか、と振り返る。 その直後だった。15年6月、「元少年A」の名で手記「絶歌」が出版された。親同士の対話など、羽柴さんらが必死で積み上げた関係性は瓦解した。「信じようとした手紙は(手記を出版するための)原稿だったんだと、山下さんは思っただろう」。落胆は深かった。 ◆◆ 少年法は、処罰によって罪を償う方法は採らない。しかし今回の改正で、18、19歳は、成人のように刑事裁判を受けさせる対象事件が拡大する。刑罰化の流れは明らかだ。 一方で、少年法は根底で「更生」を求めている。内省を深め、心から許しを請う行為は、ある意味で処罰より厳しい側面がある。 羽柴さんは、逮捕された少年側と被害者の双方を見つめてきた。「更生とは何か」と尋ねると、沈黙の後、こう語った。 「自分がしたことを、誠心誠意を尽くして語ることだ。誰かの言葉の引用では届かない。被害者がその言葉を心に納める日が来るまで、語り続けなくてはならない」(霍見真一郎)
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