· 第41節 美と崇高との区別。人間がもっとも美しく、人間の本質の顕現が芸術の最高目標であるが、いかなる事物にも、 無形なものにも、無機的なものにも、人工物にさえ美はある。自然物と人工物のイデアに関するプラトンの見解。
· 第42節 イデア把握の主観的側面から客観的側面へしだいに順を追って、以下各芸術を検討していきたい。
· 第43節 建築美術と水道美術について。
· 第44節 造園美術、風景画、静物画、動物画、動物彫刻について。
· 第45節 人間の美しさと自然の模倣について。優美さをめぐって。
· 第46節 ラオコーン論。
· 第47節 美と優美とは彫刻の主たる対象である。
· 第48節 歴史画について。
· 第49節 イデアと概念との相違。芸術家の眼の前に浮かんでいるのは概念ではなく、イデアである。不純な芸術家たちは概念を起点とする。
· 第50節 造形芸術における概念、すなわち寓意について。象徴、標章について。詩文芸における寓意について。
(考察)
第41節 美と崇高の定義が無いと判断不能だが、崇高は美の部分集合だろう。そして主として人間の行為の美に属すると思う。もちろん、自然の美の中にも崇高とか荘厳という印象のものはあるが、それは「優美」つまり「優しい美」と対立する「厳しさの美」かと思われる。単純な例ではロココの美とバロックの美か。「崇高」とは「高さを感じる美」であり、つまり常識的な存在を高く超えた美である。そして美はあくまで見る人聞く人の心に起こる現象である。何が美であるかは当人の感受性による。「人間の本質の顕現が芸術の最高目標である」はあまり賛成しないが、詳しい説明が無いと判断不能。たとえば、音楽のどこに「人間の本質の顕現」があるのか。単に、それを聞くと心地よいという生理的かつ主観的な現象ではないか。たとえば私はロックを聞くと概して不快でありクラシックを聴くと概して快く感じる。その逆の主観を持つ人もたくさんいる。
第42節 判断不能。
第43節 判断不能。
第44節 判断不能。
第45節 判断不能。
第46節 判断不能。読んでみたい。
第47節 不同意。彫刻それぞれに美の性格が違う。たとえばラオコーン像は優美とは真逆の苦悩と力の美である。凄絶の美、壮絶の美だ。
第48節 判断不能。
第49節 「イデア」の定義次第だが、天才たちの頭にあるのがイデアだというのは単純すぎるのではないか。何かを深く追求した結果、他者から「イデア」と見做されるようなレベルに達するのであり、最初からイデアを追求した芸術家はほとんどいないと思う。不純な芸術家が概念を起点とする、というのも違うように思う。追求のレベルが低いために達成がイデアでなく概念で終わるだけだろう。何かの「アイデア」(まさしく「イデア」である)から創作が始まるのは天才も凡才も同じだろう。その「アイデア」が「永遠の形相」として結実するのが天才たちだ。
第50節 判断不能。