忍者ブログ

日本文化の源流としての宮廷文化(王朝文化)



いやあ、「徽宗皇帝のブログ」記事の文章で「谷間の百合」さんから怒られてしまったが、文化方面のことなので、こちらのブログに「弁解」を書いておく。ww
私のブログは、構成も結論も何も考えず、思い浮かんだことを書き流していく(書き飛ばしていく)書き方なので、文章内容には誤りや考え違いも多いのだが、谷間の百合さんの指摘は、その通りだと思う。
ただ、弁解すれば、「江戸時代の庶民は天皇の存在などほとんど知らず」とは、「現在の(当時の)天皇が政治的にどんな存在でどんな暮らしをしているか、ほとんど知らず」と書くべきだっただろう。あるいは、谷間の百合さんが言うように、全国津々浦々の人々すべてが都にあこがれを持ち、都の噂話をしていて、天皇への関心も高かったのかもしれないが、私の知っている知識には、それは無かったので、ああ書いたわけである。あまりに情報過剰で逆に情報の内容を深く考えず、今日聞いたことを明日には忘れているような軽薄な現代人の感覚で、伝統と共に落ち着いて生きていた江戸時代の人間のことをいい加減に書いてしまったかなあ、という反省はある。
まあ、自分の生活、目の前のことだけで汲々としている現代のサラリーマンと、ゆっくりと時間が流れ、娯楽情報に飢えていた江戸時代の人間を等し並みに扱ったのは間違いだった。
なお、日本の「生活文化」のほとんどは宮廷から下に流れていって形成されたもので、「王朝文化が日本文化の源流」というのは私も強く同感する。そして記紀万葉が敗戦以前の日本人の精神の底流にあったということも同感する。そもそも、記紀万葉が日本語そのものの土台なのであって、「日本人とは日本語が使える民族だ」と言っていいくらいなのである。(なお、ここで「同感」した内容は、私が谷間の百合さんの考えと推測したもので、下の記事そのものの趣旨を誤解している可能性はある。)

(以下「谷間の百合」から引用)赤字部分は酔生夢人による強調だが、「皇室」というより「宮廷」全体だと私は考える。(もちろん、その中心は天皇であり皇室だが。)「枕草子」や「源氏物語」無しに日本の文化は存在しない。などと言いながら、私自身は「源氏物語」は通読していないがww 応仁の乱によって宮廷貴族たちが地方に流れて宮廷文化を伝えたのが現在の日本の生活文化の基礎だ、というのは定説だろう。日本人の精神文化も同様である。



国民が天皇を認識したのは明治に入ってからだと思っている人がたくさんいますが、中庸、中道の人でわたしがその記事から考えるヒントを多々貰っている「徽宗皇帝のブログ」の管理人さんまでが「江戸時代の庶民は天皇の存在などほとんど知らず」と書いておられて残念に思いました。
今では信じられないくらいむかしの人にとって天皇は身近な存在でした。
国の成り立ちの物語「古事記」はよく知られていたと思います。
物語に出てくる人物が残した足跡はあちこちにあり、なによりも全国津々浦々にある神社がまつっている神の祖先は天照大御神です。
天の岩戸は近くにもありますが全国に何か所もあるようです。
人々が天照大御神を知っているということは、天皇を身近に感じていたということです。
神社は村にとって最も大事な場所であり、それによって最小単位のコミュニティが成り立っていたのだと思います。
つまり、神社に祀られている神(天皇の租)が紐帯となって国民のこころを繋いでいたということになります。
それで日本は纏まっていたと。
歴史は皇室と共にある。_c0243877_10433424.jpg
現代を情報化社会と言うのは間違いです。
情報はあってもほぼ個人のところで止まっています。
また、マスコミが独占している情報は国民を洗脳するツールになっています。
むかしは、いまでは想像もできないくらい人の往来が盛んだったと思います。
旅人が茶店や宿で立てていたであろう「さんざめき」が聞こえてくるようです。
行商人や旅行者、行脚の僧や絵師や浪人などによって「都」の出来事が、人の体温を通じて全国に伝わっていきました。
人々の「都(皇室)への関心は今の比ではありません。
「都」のことを知りたいという欲求は知識慾以上に娯楽だったのだと思います。
どんな貧しい農家にも神棚には「天照大御神」のお札があり床の間には掛け軸がありました。
江戸時代から神社が各家庭に配っていたそうです。
お伊勢さんには全国から、もちろん江戸からも参拝に行く人がたくさんいて、足を延ばして京見物に行った人もいるかもしれません。
現代より、日本は狭かったのです。
いかに、神々と皇室が身近な存在だったかということです。
万葉集は庶民にも知られていたと思います。
丁度ドラマの時代と重なるのが、藤原定家によって成った「百人一首」と、後鳥羽上皇の命により編纂された「古今和歌集」です。
いろはかるたが子ども用だとすると百人一首かるたは大人の庶民の間でも流行っていたのではないでしょうか。
皇室の文化は皇室の独占物だはなく、すべて庶民に伝わっています。
皇室を外して日本の文化はありません。
村祭りからひな祭りまで、皇室の行事から始まり広まったものです。






拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
4
23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析