「一昨年の夏、私が休暇をいただいてここに来たころ、城の一族と乗馬をしようと城を出たが、イイダの君の白い馬がすぐれて疾(はや)く、私だけが引き離されずに付いていく時、狭い道の曲がり角で、イイダ姫は草をうず高く積んだ荷車に行き遇った。馬は怯えて一躍し、姫はかろうじて鞍に堪(こら)えた。私が救いに行くのを待つことなく、傍の高い草の裡(うち)に『あ』と叫ぶ声がすると聞く瞬間に、羊飼いの少年が飛ぶように駆け寄り、姫の馬の鞍際をしっかりと握って馬を鎮めた。この少年が牧場仕事の暇があれば、見え隠れに自分の後を慕うのを姫はこの時以来知って、人を使って物を与えなどしなさったが、どういうわけか目通りは許されず、少年がたまたま姫に逢っても、言葉をかけなさらぬ様子で、少年は姫が自分を嫌いなさっていると知って、しまいには自ら避けるようになったが、今も遠いあたりから守ることを忘れず、好んで姫が住む部屋の窓の下に小舟を繋いで、夜も枯草の中で寝ている」
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