引用したのは副島隆彦の新著の目次で、彼はスピリチュアリズムに目覚め、その方向に生きるつもりらしい。
まあ、スピリチュアリズムとは何か、ということを私はよく知らないが、詐欺商売の温床であることは知っている。副島はその教祖になって金儲けでもするつもりかwww
つまり、政治的インフルエンサーとしての生き方をやめた、と言えそうだ。
私から見れば、思想的堕落、退嬰、退廃だが、人の生き方はその人の問題だ。むしろ、精神的次元上昇だ、と評価する人たちもいるだろう。
もともと、副島の社会的影響力はさほどのものでもなかったと私は見ている。しかし、「学問道場」の弟子たちは、彼のこの「転向」をどう思うだろうか。まあ、半分くらいは造反するのではないか。
目次から判断する限りでは、特に奇抜な思想を書いているようではない。伝統宗教への批判に関しては、私に似ているのではないか。つまり、始祖の哲学や思想を、後継者たちが捻じ曲げた、ということだ。それが
神との仲介業「司教」はもう要らない 016
ブッダとイエスは偉いが「教団」は要らない 023
人騙しや金儲けの宗教は要らない 029
という目次タイトルから感じられる。
なお、精神と霊魂の違いを定義するなら、「精神は肉体の死と同時に消滅するが、霊魂は肉体と分離しても存在し続ける」、というのが私の考えなので、私は霊魂の存在はまったく信じていないが、精神(思考、あるいは無意識も含む全意識)こそが人生の本質だと思っている。また、精神は肉体と共に消えるが、それが書籍や芸術や行動の記録などの形で、あらゆる人間に影響を与えるなら、それは精神が肉体の死の後も生き続けているとも言える。
先祖の墓や仏壇などは、先祖や父母を偲ぶよすがにはなる。つまり、そこに意味はあるだろう。できれば、土葬にして、その遺骸がそのまま地中にあるほうが、墓としての意義がある。前に書いた、C・ロセッティの詩は、キリスト教は土葬だから意味があるのである。「キャリー」では、それがホラーになるがwww
(自己引用)
歌
もしも私が死んだらあなた
悲しい歌を歌わないで
お願い、楽しい歌を……
私の枕元にバラや
陰深い糸杉を植えないで
雑草の生い茂るままにして
通り雨や露の濡らすにまかせ
そして
あなたが望むなら思い出して
そして、あなたが望むなら忘れて
私は影を見ることはないでしょう
雨を感じることもないでしょう
苦しむように鳴く夜鶯の声を聞くこともないでしょう
永遠の夕暮れの薄明かりの中で夢見て
幸せに私は思い出すでしょう
そして、幸せに忘れることでしょう
(クリスチナ・ロセッティ)*夢人注:実は、最後の連の中の「幸せに」は「haply」をhappilyと同義の古語だろうと勘違いした誤訳だが、この誤訳が気に入っているので、そのままにしておく。「haply」は「ことによると」の意味の古語である。
(以下引用)
『自分だけを信じて生きる スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ』 目次
序 私は霊魂に導かれ、女神さまと出会った 003
Ⅰ 霊界への扉が開かれた
神との仲介業「司教」はもう要らない 016
ブッダとイエスは偉いが「教団」は要らない 023
人騙しや金儲けの宗教は要らない 029
スピリチュアルと宗教は異なる 034
霊魂をバカにしたエリート層の自滅 037
Ⅱ 自分だけを信じて生きよ
エマーソン著『自己信頼』はなぜ重要か 044
大人気のエマーソンの講演 050
日本で先に出版された『セルフ・ヘルプ』との違い 056
『西國立志編』をむさぼり読んだ明治の日本人 059
「自己を信頼して生きよ」とはどういうことか 063
Ⅲスピリチュアルに神はいない
スピリチュアリズムの本髄と仏陀の名言 084
「犀の角のようにただ独り歩め」のすごさ 088
スピリチュアルが世界に広まるのは当然だ 091
スピリチュアリズムとは何か 099
Ⅳ あらゆる現代思想の源流となったエマーソン
1840年代、社会主義の勃興 104
エマーソンから始まった現代思想運動の数々 108
スピリチュアリズムの生みの親 110
デカルトの二元論と霊魂(思考)の大切な話 117
カントの「超越主義(トランセンデンタリズム)」と全く同じ 128
農地解放思想 搾取は人を幸せにしない 131
菜食主義とヒッピー運動 強欲は世界を破滅させる 134
性の解放 セックスは罪ではない 140
社会福祉運動と社会主義思想 貧困はよくない 142
ユニテリアンの特殊さ 146
ユニテリアンと理神論 148
ユニテリアンとフリーメイソン 151
おわりに 154