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ファシズムの起源、国家とファシズム

私は安倍公房の作品はほとんど読んだことが無いのだが、そのエッセイ集(と言うか、雑文集と言うべきか)「死に急ぐ鯨たち」をたまたま図書館で借りて読み流していると、その中に面白い表現があったので、メモしておく。

「しかし『変わり者』はしょせん儀式次第からのはみ出し者だ。歩調をそろえられない兵士と行進をともにするわけにはいかない

この、「歩調をそろえられない兵士と行進をともにするわけにはいかない」という言葉は、戦争の時代を知っている人間の現実的な肉体感覚を感じる比喩だが、おそらくすべての人の中にかすかに存在するこの感覚の中に私はファシズムの起源(「変わり者=迷惑な奴」という感覚と「迷惑な奴は排除するのが(大多数にとっての)正義である」という思考法)があるような気がする。もちろん、安倍公房はどちらかと言えば「変わり者」を排除する側への否定のニュアンスでこれを書いているはずだ。
近代社会というものは、「構成員がすべて歩調をそろえられる兵士である」ことを必然的に要請するものなのではないだろうか。とすれば、いじめ問題などの本質は、この社会そのものがファシズム的社会であることにあるのではないか、というのが私の今考えたことだ。

もう少し、抜き出しておく。これはインタビューの部分だ。

「ファシズムとはすなわち選別の思想なのだ」
「シェルター、もしくはシェルターへの入場券さえ手に入れれば、君でも、ぼくでも、あなたでも、その瞬間から立派なファシストさ」
「なぜ核戦争が起きるのか。国家が意思決定をする可能性があるからでしょう。考えてみると国家自身が一つのシェルターなんだよね」
「国家はその内部でシェルター・システムをますます巨大な形に育てつづけ、繰り返しファシズムを再生産していくメカニズムを持っている」

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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