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天皇制を考える(2)日本人の自由と人権と天皇制

先に東海アマ氏の思想を引用しておく。

(以下引用)

 天皇という合理性のない、虚構を容認することが、死刑制度という合理性のない劣悪な報復主義の制度を生み出している。
 こうした権力主義の虚構こそ、日本人の自由と人権を破壊する張本人である。
 この意味で、日本に、本当の自由と人権が来るときは、天皇制が死滅するときである。

 このとき、天皇家の人々は虚構の拘束から解放され、真実だけをよりどころにして、はじめて一市民としての権利と自由を保障されることになる。
 天皇制は、歴史と人間の合理性という観点から、死滅してゆかねばならない制度である。

(引用終わり)

単なる揚げ足取りをする気はないが、事の順序として、上に書かれた内容を検討してみる。

1:「天皇、という合理性のない虚構」

これは明らかに間違いだろう。天皇は虚構ではなく実在だ、というのは揚げ足取りだが、それを「天皇制」と言い換えても、それが「合理性がない」「虚構である」というのはまったく成り立たないと思う。合理性の無いシステムが2000年近くも続いたはずがない。そして、それは多くの影響を日本史に残したのだから「虚構」であるはずがない。(おそらく「記紀神話」の内容を不合理と言っているのだろうが、神話や伝説は不合理な虚構に決まっている。ただ、日本書紀の中には明らかな歴史的事実も多いと思われる。)

2:「死刑制度という合理性のない劣悪な報復主義」

死刑制度に合理性がないというのも、単なる主観の表明である。ハムラビ法典の昔から、罪と罰とは相応関係にあるとされていたのであり、殺人などの罪に相応する罰は死刑である、というのは、まさに「目には目もて、歯には歯もて償うべし」そのもので、これは人間の自然な感情であり、報復そのものが悪いとすれば、あらゆる罪への罰は不公正であることになる。

3:「天皇(制)が死刑制度を生み出している」

これは理解不能だが、「不合理な制度は他の不合理な制度を生み出す精神的基盤である」ということだろうか。「天皇を容認するという不合理な精神が、他の判断でも不合理さを容認する」ということなら、天皇制容認者は科学者にも経営者にもなれないことになるだろう。

4:「こうした権力主義の虚構こそ、日本人の自由と人権を破壊する張本人である」

「こうした」というのは、天皇(制)以外の権力主義をも含むのだろうか。それなら、天皇が政治的権力から完全に切り離された「象徴天皇制」の憲法下では、天皇(制)は議論の対象から除外すべきだろう。論者(東海アマ氏)は「権力」と「権力主義」を区別しているのかどうかしらないが、どのような形態の政治制度であれ、権力は厳然と存在する。その過度に拡大されたものだけを「権力主義」とするなら、それが「日本人」の自由と人権を破壊するのは明らかだが、それは天皇とは無関係な話である。

5:「この意味で、日本に本当の自由と人権が来るときは、天皇制の死滅するときである」

これは上記1から4の帰結で、1から4がまったく成り立たないことは説明したので、当然この5も成り立たない。

東海アマ氏の記事後段はいちいち詮索するまでもないかと思う。

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