第三章 大伯皇女と大津皇子(注:以下の文の大伯皇女=大来皇女)
古来の歌の中で、死んだ人を悼んで詠む挽歌は大きなジャンルの一つとなっています。その中でも、大伯皇女(おほくのひめみこ)が、弟大津皇子のために詠んだ歌は、その痛切さにおいて、他の挽歌には無いものがあるように思われます。これらの挽歌における大伯皇女の感情は、はほとんど姉弟の垣根を越えた愛情のように私には読みとれるのですが、それは深読みなのでしょうか。大伯皇女は伊勢の斎宮であり、男と遇う(古文的な意味でです)ことは許されない身ですから、それだけにいっそう愛する弟の存在が、かけがえのないものだったように思われます。まず、弟、大津皇子が死の直前に詠んだ歌から。
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ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を、
今日のみ見てや、雲隠りなむ。 (「万葉集」大津皇子)
末尾の「なむ」は、完了(強意)の「ぬ」と推量の「む」です。「私は死んでしまうのだろう」という意味になります。磐余の池の実物は、私は見たことは無いのですが、いかにも死を思わせる語感を持った地名です。鴨は渡り鳥ですから、それ自体、別れを連想させるものですが、その別れがこの場合には永遠の別れであるわけです。「ももづたふ」は「い」という音にかかる枕詞です。歌意は単純で、「磐余の池に鳴く鴨を今日を限りと見て、私はきっと死ぬのだなあ」ということです。大津皇子は謀反の嫌疑で、24歳で処刑されました。
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